2010年2月6日土曜日

カール・ヤスパース『ニーチェ』

ミクロとマクロとを問わず人が集まる場所に必ず形成される社会においては、人の思想や行動が先鋭的になればなるほどその社会の保守層から嫌悪される、というのは広くみられることです。
とある出来事をきっかけに、ヤスパースのこんな言葉を思い出しました。

ヤスパース『ニーチェ』第2部『ニーチェの根本思想』/第二章「真理」/「解釈的理論―真理と生」/「理論の適用」の中の一節、

「生を結合する真理は、共有的(伝達可能)であらねばならない。『多くの眼が存在する……したがっていろいろな種類の真理が存在する』という命題は、共同体を可能ならしめるものにおいて、その限界を見いだす。共同体のうちに住む人間にとっては、すべての者にとって共有的なものだけが真理である。したがって普遍的な共有性は無意識のうちに、共同体を通じて生を促進する真理の源泉となり、規準となる。真理とは、使い古されて慣習的になり、一つの共同体にとって合目的として妥当するところのものである。真理は言語においては、永い間の習慣によって、或る人間共同体にとって確定的なものと思われるところの『生きた隠喩の大群』である。この共同体から排斥せられた《虚言者》は、無意識のうちに一致した、かかるものとして妥当する隠喩を誤用する。けだし彼はこれらの隠喩において、この共同体にとっては或る非現実的なものを、現実的なものとして現象せしめるからである。彼は共同体の成員として、定められた慣習にしたがって《嘘を言う》ように義務づけられているのだ。換言すると、このことはあたかも彼が骰子遊びをする場合には、骰子の面に表示されてある通りにすべての骰子を使用しなければならないのと同じように、この共同体の意味において真実であるという意味なのである。したがって鋳造された貨幣をもって支払わないということは、禁止せられた虚言である。というのは、定められた慣習の中で妥当する真理の外に立つものは、かかる真理の側から見れば虚偽だからである。このような虚言者は社会的な永続を保証する世界を犠牲に供する。他面からいうと、ここでは禁止せられた真理が存在するのだ。そこで、このような真理は共同体の存続にとって危険であるから、慣習を踏み越えて本来の意味でいう真理を考えたり、表明したりすることは、仮借なく弾圧される。」
(『ヤスパース選集18 ニ-チェ (上巻)』326頁~,草薙正夫訳,1966年,理想社〔原書1936年〕)
※『』はニーチェの言葉の引用。


ヤスパースはサルトルと並んで「実存主義」の代表的思想家として随分よく読まれた時期がありますが、 80年代~現在にいたるまで、思想哲学におけるアカデミックな書物において、ヤスパースはほとんど言及されることがありません。というか完全無視。これは彼と並び称される(ていた)ハイデガーが現在においても圧倒的な影響力を保持し、また多くの物書きがハイデガーに呪われていることと単純比較をしても、やはり異常な事態であるといわざるをえません。が、もっとも典型的な現象は90年代後半以後のアーレント・ルネッサンスと呼ばれるハンナ・アーレントの復権があった際、彼女の思想の核心的な要素の多くが師であるヤスパースとの実存的交わりの中で形作られたものであるにも拘わらず、ヤスパースとの思想的な繋がりが指摘されることは皆無だったことです(彼女のプロフィールにハイデガーとヤスパースに学び・・・云々と書かれる程度。これはアーレントとヤスパースの往復書簡が邦訳された今も何ら変わった気配はない)。
ヤスパース無視にはいろいろな原因があると思いますが、10年近くヤスパースの著書を愛読しつつ、現代思想の(いいかげんな!)読者であり続けた私の経験から以下のように判断してみました。

1.ヤスパースは特定の学派や党派に与することを嫌っただけでなく、知のパラダイムをコントロールする学派の形成をも厳しく戒めたこと。これはナチ時代にドイツ中に子分を配置しまくったハイデガーとは対照的であり、ホルクハイマーやアドルノのフランクフルト学派と仲が悪かったという事実が言外に物語っている。つまり哲学アカデミズムにおいて、ヤスパースは無視しても出世に差し支えがないということ(?)。因みにアーレント・ルネッサンスはフランクフルト学派のハーバーマス経由で日本に入ってきたようです。

2.東西冷戦時、西側の立場についた政治評論をやや軽率とも言える質で展開した。これは特異な戦時経験(自国〔ナチスドイツ〕の軍隊に殺されそうになり、敵国〔アメリカ〕の軍隊に助命された)に由来するものではあるが、当時ボーヴォワールら左派思想家から「反動思想」として激しく糾弾された(ボーヴォワール『現代の反動思想』1959年,岩波現代選書)。ヤスパースの政治的発言はアーレントとの往復書簡の中でもアーレントにたしなめられたりする様子が窺えるのですが、指摘されると素直に誤りを認めるヤスパースの誠実さには好感がもてます。実際、左派の思想家たちがヤスパースの哲学を理解した上で批判したとは到底思えない場面が多々ありますが、「実存主義」・構造主義以降の現代思想をリードするのはフランスの左派、とくに68年革命の世代であることを思うと、ヤスパースが読み継がれなかった理由は容易に想像できます。

3.著作があまりにも多すぎて思想の全貌がつかめない。ヤスパース思想の源泉をたどるとスピノザ、カント、シェリング、キルケゴール、ニーチェ、アウグスティヌス、ニコラウス・クザーヌス、などいろいろな思想家に行き着くが、そのどれが核になっているのか読んでいて分からなくなる。

大きな理由としては以上の三点であるように思えます(もちろん他にもいろいろありそうですが)。


さて、ヤスパース『ニーチェ』は1935年に発表された名著『理性と実存』(草薙正夫訳,ヤスパース選集29巻)や、戦時中に書かれ戦後(1947年)に発表された大著『真理について』(ヤスパース選集31~35巻)へと至る基礎研究にあたるものですが、このニーチェ論、読めば読むほどそのスゴさに感服します。
ヤスパースの哲学はデリダやドゥルーズといったポスト構造主義が後に展開していく課題を先取りしていることが実に多いのですが、このニ-チェ論はドゥルーズとの近縁性が強く感じられました。ドゥルーズはガタリとの共著『アンチ・オイディプス』(数年前、河出文庫になった)で触れている『精神病理学原論』(強力なフロイト批判)くらいしかヤスパースの著作は(ちゃんと)読んでいなさそうなので、もしドゥルーズがヤスパースの『ニーチェ』を精緻に読んでいたら、彼の名著『ニーチェと哲学』(河出文庫)はまた違った論述になったのではないかと思います。
ニーチェ論、ニーチェ入門といえば三島憲一の『ニーチェ』(1987年、岩波新書)をよく人に薦めていたのですが、ヤスパースの『ニーチェ』を読めば「三島さん、ヤスパースをパクリ過ぎなんじゃないか?」と思うのは自然な感情でしょう(竹村正人氏の指摘)。三島さんがヤスパースをちゃんと読んだのならそのことに言及すべきですし、読んでないなら知ったかぶりして「あとがき」にちょこっとだけヤスパースの名前を書くなよ、と言いたくもなります。それとも偶然、似たような解釈になったのでしょうか(それもありうる)。彼もやはりアカデミシャンの典型なのかな? 三島さんと会う機会があれば突っついてお酒でもおごらせようか。

いずれにせよ、ヤスパースの『ニーチェ』は今、広く読まれるべきだと思います。選集版の古書価が高騰してほとんど稀覯本、という事態はほんとうに悲しいことですので、ちくま学芸文庫や平凡社ライブラリーの企画担当者にはぜひ眼を開いてほしいな、と思う今日この頃です。

因みにかつてよく読まれ、今ではまったく忘れ去られている(感じの)思想家にカール・レーヴィットもいますが、ヤスパースの友人であり、また的確な批判者でもあった彼の『ニーチェの哲学』(岩波現代選書)はこれから読もうと思っています。レーヴィットもポスト構造主義を先取りしている思想家だと思っていますので、また機会を改めて論じるつもりです(たぶんそのうち)。

※草薙正夫訳のヤスパース『ニーチェ』には主に2種類の流布本があります。一つは新潮文庫版で『ニーチェの生活』『ニーチェの根本思想』『ニーチェの実存的意義』という三分冊本(このうち第2部の『根本思想』は創元社版もある)。新潮文庫版は旧字旧仮名ですが、各冊単体だと比較的手頃な値段で探せます。もう一つは理想社のヤスパース選集版の上下二冊本。


 

2 件のコメント:

  1. 「もっとも彼ら〔アドルノとホルクハイマー〕とニーチェの大きな相違も指摘しておかねばならないであろう。彼らは理性の自己批判、啓蒙の自己反省を行ったが、それは理性が本来めざしていたものに強く固執していたからである。それに対してニーチェは少なくとも晩年の激烈な道徳批判の中でそうした理性やその自己反省からあっさり降りてしまった面がある。美と認識の一致すらも放棄して支配者道徳を説いたようにもみえる。自分の本来のプログラムをどこかで誤解したところがある。
     この本来のプログラムを理解したのは後世でもごく少数の人々であった。ホルクハイマーとアドルノはその少数の人々に属している。特にホルクハイマーはドイツでの理解が権力主義的なそれか、実存主義的なそれに塗りつぶされていた戦前に、すでにニーチェのドイツ人批判が、社会主義批判が、道徳批判が、本当は何を意味するかを正確に理解していた。
     それを示すのがヤスパースのニーチェ研究への激烈な批判(1937年)である。彼はそこでこのニーチェ論をまずは、現実との葛藤をいっさい起こさずに人生と世界について考えることができるドイツの教授とそれを支える小市民性の典型であるとこきおろす。そして彼は、ニーチェの本来の意図は、人間が自然の認識によって自由になった世界にあって、それまでの歴史の中での姿とはまったく違った可能性を宿していること、その可能性は認識によって描きだしうるものであることを示そうとするものであったと指摘している。つまり、啓蒙の弁証法によって新たな抑圧が生じるのではない世界、その意味での超人の世界を夢見ていたということである。「ニーチェの目的は未来であった。この未来においては自然支配が極度にまで高まった結果、人間の規定し難いまでに大きな力が解放されるのである」。ニーチェは「地上における人間の可能性を、これまでのいかなるユートピア主義者もかなわぬほど熱狂的に評価していた」と彼は論じている。」

    (三島憲一『ニーチェ』(岩波新書、1987年、214頁)

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  2. 以下、『ニーチェの生活』→文庫①、『ニーチェの根本思想』→文庫②と記す。

    さて、三島憲一の文章、こいつぁひどいね。ニーチェが「理性やその自己反省からあっさり降りてしまった面がある」だって?何を根拠にそんなことが言えるのだろうか。それにニーチェを正しく理解している人間が学派を作ったりするだろうか。ヤスパースは書いている。
    「凡そニーチェにおいて現われる教説で彼自らそれに服従するようなものは一つとしてない。彼はどんな教説でもそれを自己の自由にし、実際に他の教説によってそれと均衡を保持させる。権力への意志説はニーチェの究極的な形而上学ではなくして、彼の存在探求の全体内における一試みであるにすぎない」(文庫②317頁)

    さて、ホルクハイマーのヤスパースに対する批判はどういうことだろう?すでに33年には大学の運営から閉め出されていたヤスパースが、ナチスに積極的に反対しなかったことをもって「現実との葛藤をいっさい起こさ」なかったと書いているのだろうか。だとすればそれは、あまりにも表層的な理解ではないか。たしかにヤスパースは沈黙を守った。だから英雄ではないし、生き残ったことに「負い目」がある。しかし、彼は常に不安の中でニーチェを読むことを呼びかけていた。
    「吾々はニーチェにおいては、体系的可能性の経験と同時に、その崩壊の経験をもしなければならない。」(文庫①11頁)

    さらに、36年という厳しい状況下で出版されたこのニーチェ論には、ナチス批判ともとれる箇所がある。
    「純粋な正義というものは、積極的な感情におかれていて、あの正義の濫用のように反動的な感情にはおかれていない」(文庫②140頁)
    「しかし大規模であると共に究極的には空虚なこの展望〔人間の未来の指導という展望〕は、再びニーチェにとっては、今日すでに何かこういったものが行われうるかも知れないということ、即ち何らかの決断がなされうるかも知れないということを意味しない。私が、神の如く超越することなくして、私の知に基づく方法によって全体者を手に入れようとする限り、私はまずこの全体者を認識しなければならない。でなければ私は単に破壊的な混乱を惹き起こすにすぎないだろう。(中略)何れの場合においても吾々はニーチェに従うわけにはゆかない。吾々が、ニーチェは極く簡単に受け取られるものを描いたのだと考えるなら、それは根源的に誤りであるだろう。大政治の分野においてこのことは、どこまでもニーチェはすべての人のためにではなく、特に≪新しい支配者≫のためにだけ思惟するという点において示されているのである」(文庫②253-254)

    ちなみに、ヤスパースも未来について書いている。
    「ニーチェが固執したものは、人間における可視的なものでもなければ、隠れているものでもない、それは人間によって人間を超えてあるところの未来のものである」(『ニーチェの根本思想』文庫81頁)

    ホルクハイマーとアドルノは、ここ読んだのか?

    最後に、この大部なニーチェ論の中で、ほとんど唯一、正面からニーチェを批判した箇所があるので紹介しよう。

    「権力意志の中には、自己自身に対して責任をとることを自覚しているところの自己存在―――自己の絶対性においてただ超越者にのみ関係する独自的な点、権力意志だとか権力の使用を必要としない愛しながらの闘争としての交わり(die Kommunitation als liebender Kampf)、本当に明るい、広い地平圏―――がもはや存在していない。」(文庫②316頁)

    ただし初めに引用したように、この権力意志(最近ではドゥルーズの文脈もあって力能意志と訳されている)もニーチェにとってはひとつの過程でしかないことが指摘されているのだが。

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