2010年4月12日月曜日

3/7の記事「幸徳秋水『平民主義』を紹介するつもりが政治と芸術との本質的関係についての話に飛躍・・・」への2件のコメント。および谷川俊太郎の「詩」。

3/7の記事に2件のコメントをいただきましたのでこちらで紹介します。あわせて谷川俊太郎の「詩」も参考までに。


◆星人さんのコメント...

「むしろ耳に心地いいことば、穏やかでやさしいことばのなかに、慄然とするような悪が居座っている。ことば自体、ほとんど資本の世界、商品広告の世界にうばいとられている。やさしさや愛のことばも。ことばということばには、資本の鬆(す)が立っています。有名な詩人が大手生命保険会社のテレビコマーシャルのためにもっともらしい文章を寄せる。べつにそれはcrime(犯罪)ではない。ですが、これほど恥ずべきsin(原罪)はない。ぼくはあれほどひどい罪はないとおもう。あれは正真正銘の“クソ”なのです。堪えがたい詩人のクソ。そうおもいませんか?そうおもわないという人はしょうがないけど、ぼくはおもわないということが怖いのです。おもわなくなったということに戦慄を感じます。」
(辺見庸『しのびよる破局』09年、大月書店、113頁)

※ここで辺見庸が谷川俊太郎の愚劣な行為を指して使っている「クソ」という名詞は、反時代的な詩性を纏う「糞(うんこ)」とは何の関係もないし、藤井貞和がボロボロになりながら書いた「クソ詩」とも全く別のものだ。むしろそれは、<人びとを病むべく導きながら、健やかにと命じる>、資本主義のヴァーチャルな「クソ」であるだろう。臭くないことは言うまでもないが、だからこそ極めて恐ろしい。

2010年4月6日19:59


◆ほしのむらびとさんのコメント...

「詩人も受勲し褒章を受ける。シンボリックにいうと〈幸せな詩人たち〉、私はこの人たちがもっとも罪深いと思っています。〈幸せな詩人たち〉ほどひどい人間はいない。〈幸せな詩人たち〉はどこに人を殺すと書くこともなく、なにを悪辣な言葉で汚すこともなく、きいたふうな言葉で世界をきれいなものに装わせてしまう。まったく手を汚すことなく世間に同調し、あるいは安全なところで世間を支えさえするでしょう。これほど偽善的なことがあるでしょうか。」
(辺見庸『愛と痛み』2008年、毎日新聞社、74頁)

以前、敬愛する詩人から教えてもらったこの本、ものすごく大切なことが書かれています。詩の窟が再会したらぜひ取り上げたいと思います。

2010年4月8日12:41


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《参考資料》
日本生命「愛する人のために ~改札篇」(←YouTubeに飛びます)


愛する人のために
                  谷川俊太郎

保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、
パソコンの便利さもありません。
けれど目に見えぬこの商品には、
人間の血が通っています。
人間の未来への切ない望みが
こめられています。
愛情をお金であがなうことはできません。
けれどお金に、
愛情をこめることはできます。
生命をふきこむことはできます。
もし愛する人のために、
お金が使われるなら。

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日本生命が自民党・公明党にこれまでにいくら献金したのか、その具体的な数値データは持ち合わせていませんが、自公政権が推し進めてきた健康保険制度の縮小には、契約を拡大して金儲けをしたい保険業界との利害の一致があることは周知のことですね。
金のないやつは病院に行くな、金のないやつは死ね、金が払えないのは自己責任、金を払って保険会社と契約しましょう、それこそが大切な人への愛情です、谷俊はそうおっしゃっているのでしょうか。谷俊は昔から詩人仲間にも批判されているわけですから、イノセントなわけでもないでしょう。
詩人として、これほど恥ずかしいことはない、と僕は思うのですが・・・。

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