2010年5月6日木曜日

ジャック・ランシエール『感性的なもののパルタージュ』

解放の論理としての美学=感性論の論理とは、まさに、個人がその階級的本性に割り当てられたものとは異なる感性的な経験形式を自らに与えることの可能性なのです。


ジャック・ランシエール『感性的なもののパルタージュ ~美学と政治~』(梶田裕訳,2009,法政大学出版局)93頁

本書はランシエール哲学の核心ともいえる政治と芸術の本質的関係について詳述したものであり、極度に凝縮されたテキストなので192頁の分量のうち、本文はたったの64頁。他は日本語版補遺として、訳者によるランシエールへのインタビューと解説(といっても立派な論文である)で占められる。訳者・梶田裕氏によるインタビューと解説は本当にありがたかった。

ネグリのテキストが変革のための投企として実践の中で読まれてこそ意味があるのに対して、ランシエールのテキストは実践の前提となる諸問題を徹底した厳密さで哲学的に極めてゆくものである。その思考の論理はこれまでのどの思想家とも違っているため(フーコーなど、ランシエール思想を構成する系譜を探ることはもちろん可能だが)非常に難解である。読み解くにはかなりの根気が必要だが、その厳密さゆえにランシエールの哲学はいわゆる標準的なアカデミシャンや評論家、哲学思想オタク、その他何かを書くために読んでいる詩人など、悟性的「読解」によって思想上の規範を得なければ安心できない読者や、論文生産や売文売名行為のための消費的「読解」に勤しむ読者にとっても、相当な読み応えを感じることだろう。
だが、論文であれ、評論であれ、批評的言説を可能にする条件それ自体をラディカルに掘り崩すランシエールの哲学を読み解くことができるなら、悟性的「読解」、消費的「読解」によって絶えず「新しい」思想を弁証法的運動のなかで求めていた者にとっては、ここが真に新しい思想への入り口となるに違いない。ただし、ぐぅの音すら出ないほど強い説得力をもっているので、しばらく何も書けなくなることくらいは覚悟した方がいい。(ぼけたことを書き散らして真摯な表現者をいじめる暇があったらこれを読んで出直せ、といいたくなる輩の名前を数名、即座に思い出した)

一方、それでも政治と芸術を切り離すことが可能だと信じて疑わない者にとっては、意味不明な暗号でしかないだろう。が、『現代詩手帖』あたりでは分かった振りしてしかつめらしくランシエールを語り出す輩がそのうち湧いて出てくることが容易に想像できてしまう。いつものことといえばいつものことだが、滑稽の極みである。

引用した一文は訳者によるランシエールへのインタビューの中の一節である。




先日読み終えたばかりの『イメージの運命』(堀潤之訳,2010,平凡社)については、また後日。こちらは具体的な芸術作品に即した論述で比較的読みやすいので、それほどびびることはない。

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