2013年6月30日日曜日

つかもとよしつぐ展「家事が美術」 於、GALLERY wks. (大阪・西天満)


 「青春の洗濯」。作家がかつて描いた絵を洗い流し、乾かしたもの(瓶の中身は洗い水)。

8ミリフィルムを漂白剤溶液で瓶詰めにした「漂白の民からのフィルムレターシリーズ」(左より、「日本海を撮影したのだが、真っ黒だった思い出」「枝を剪定するおじさんとの思い出」「なぜ消化器を撮影したのかわからない赤」「映画に使われなかったマンション」)。

 「ふとんの山をたたみ終え、隙間を覗きこむと、グランドキャニオンが覗き見えたのだ。」
筒を覗くと古い8ミリ映画が流れている。

 「終わらない洗い物と 決まっていない手順書
スイッチを踏む、霧吹きで植物に水をあげる、洗剤を入れる」
OHP脇のワゴンにはお茶、洗剤、霧吹き、植物などがならぶ。
OHPのデッキ上に設えられたアクリルトレーには水が張られ、そこから物語が展開する。
デッキの表面、アクリルトレーの底、水中、水面、ミラー、という複数の平面を一つの光が透過、反射し、最後の平面である壁面へと投影される。



感熱紙にアイロンでドローングした「アイロン山水図」(右)

「照明器具のひもを引くと、カーテンが揺れて、ゆっくりと
レースの隙間に挟まってゆくので、照明器具のひもを引っ張ってください」

★★★★★★★★★★★★★★★★

〔つかもとよしつぐ(プロジェクション)×木村由(身体表現)によるパフォーマンス「ちゃぶ台ダンス」2013.6.8の記録〕(つかもとよしつぐのソロパフォーマンス「アイロン山水図」には間に合わず)












★★★★★★★★★★★★★★★★

細胞状の塊はオリーブオイルに洗剤の泡がからまったもの。赤い染みはトレーとデッキとの間に私が注いだ赤ワイン。
この一回性に宿命づけられた作品は、作家により「終わらない洗い物と批評家の赤い葡萄酒」と命名された。

GALLERY wks. 6/1~6/15

浮田要三 展 於、LADS GALLERY (大阪・福島)

浮田要三さん(児童詩誌『きりん』編集主幹/具体美術協会会員)の近作を集めた展覧会(2013.4.30~5.8)の記録。

 「三つのトライアングル」
 「黄色で切る」
 「ちぎれたストライプ」
 「天からシズク」
 「2枚刃と赤」(左)、「ちょっと」(右)
 「ドーンと黒鍵」
「黒のエル」

抽象化された記号と作品に付せられた言葉の詩性とが、深いところで一致していることが察せられるが、浮田作品に惹かれる理由はそれだけではなさそうである。
表現はミニマルなのに生(ナマ)感のあるマチエールは、受け手の内面にある生々しい感覚とたやすく呼応しそうな強さがある。
作為性が希薄でありながら、それでいて手の跡がわかる生気的な仕上げとなっており、いやったらしさがないままにいやったらしい(もちろん褒め言葉です)。

LADS GALLERY  4/30~5/8




戦後、竹中郁と井上靖が主宰した児童詩誌『きりん』の編集主幹をつとめ、現在も障害をもつ人々のための絵画教室を営む浮田要三さんは、具体美術協会のメンバーの中でもひときわ強い批判精神を保持する人である。ぶれることなく、しなやかに。

河口重雄×岩名泰岳「郵便夫(ポストマン)と森の星」 於、アトリエ河口(三重・島ヶ原村)

市町村合併により消されてしまった村から、名もなき土人(つちびと)たちの文化を創造力で新しい美学へと変換していくことをめざす"島ヶ原村民芸術「蜜の木」"の第1回展覧会(2013.5.25・26)の記録。

郵便局員をしながら絵を描いていた村の画家・河口重雄さん(1943-2004)は独力でここにアトリエを建てたものの、完成直後に急逝。その後8年あまり放置されていたところ、留学先のドイツから帰国し、地元の村で制作することを決意した岩名泰岳さん(1987生)がこのアトリエを譲り受け、整備した。
















「蜜の木」スケッチ
                     岩名泰岳
01.
畑の火。花の匂い。
野原の魚はじっとしている。水のなかで生き返る。
地蜂が巣に返る頃、巣はもうどこにもない、みんな死んだ。
やがて君も死ぬ。草の底が笑っている。
黒い木の下に鳥と魚を埋めた夕暮れ、橙色の星だった。
春には墓から芽が吹いて、田も山から降りた水の鏡になった。

02.
知性と野生の車輪を、あの白い花びらのように廻してゆけるだろうか。
峠の地蔵のそばで紺色の山人は眠る。獣と月の声を聞きながら。
森と里の境界を往来する透明な旅人。
「遠いあなたは土や水の粒で、観音の森の木の蜜だった」

03.
私は消えてしまった村に帰って、その土を掘り続ける。
その掌は冷たい水脈に触れて、暗い水際に無限の星空を写し出した。


島ヶ原村民芸術「蜜の木」

21世紀10年代の今、グローバル資本主義は世界中のいたるところで、先祖代々継承されてきた文化、都市に住む人々が生み出し発展させてきた文化、ゆたかな自然、小さきもの、繊細なもの、あらゆるものを腐敗した権力とカネの暴力によって破壊し、荒れ地に変えている。
そして「経済=資本主義」という詐りのロジックで人々を洗脳し、友愛や文化を育む時間を奪い、他方では無為の時空へと捨て置いてゆく。
だがグローバル資本が押しつけ扇情する「成功イメージ」は、すでに明白な破綻を来していることに、多くの人々が気づき始めたのだ。
村で生きる岩名さんと若者たちが村ぐるみで進める村民芸術運動「蜜の木」とは、そんなグローバル資本主義に対する、もっともローカルな場所からの、そしてささやかであることへの信頼に貫かれた文化的抵抗である。
それは、伝統的なものへの敬意と因襲的なものからの桎梏、そして両極への引き裂かれなどあらゆる困難を引き受けながら、差異を力に変える触媒として、芸術を信頼するということを意味している。

2013年6月29日土曜日

栗棟美里 展 「Complex/Crushed/Condolence」 於TEZUKAYAMA GALLERY(大阪・南堀江)

モノクロ写真をプリントした布に、アウラを描画する栗棟さんの三つのシリーズによって構成された展覧会。
モデル本人はそれを「醜」と思う一方、作家はそれを美と思う、主客の間の美醜観念の齟齬をテーマとした「Complex」(写真は三幅対の右二つ)。モデルはダンサーである作家の実母であるという。
視座が変われば主客が容易に反転するように、美と醜もまた反転しうることを語るにとどまらず、二つの観念の間に立つ鑑賞者の意識は、紛れもなく〈美〉としかいいようのないものに導かれてゆく。
一般には廃物とされる割れた器の、その割れ目を継ぐように銀箔を載せた「Crushed」。
「Condolence」は枯れゆく花が放つアウラを、灰によって表象したシリーズ。有機物が燃焼した後に残る灰は、〈死〉のみならず、〈弔い〉〈再生〉、そして洗礼者ヨハネの祝祭において聖なる篝火からとれた灰が穀物を実らせるといわれることから〈豊饒さ〉をも象徴する。


どの作品も〈美〉という観念に包含される価値の多相性を問いかけるものとなっているのだが、けっして難解ではない。親しみやすさと近寄りがたさの間で、ある種の緊張感を催すところから何かが結び合わされていく。
生物/無生物という区分を超えて、モダニティが乱暴にも腑分けしてしまったものを、鑑賞者との交わりの中で再接合するメディウムのように。
この上なく凛として、佇んでいる。

内に向かうことと外に向かうこととが背反しない、象徴性ゆたかな作画法と作品の基層に流れる強い思想性が栗棟さんの魅力である。

意味性の消去/不在、といいながら薄っぺらさを糊塗したり、韜晦しただけのものが溢れかえる昨今の風潮からの揺り戻しとして、これから多くの人々を惹きつけてゆくことだろう。

TEZUKAYAMA GALLERY  6/7~7/6