2019年9月12日木曜日

中野嘉一が語る冨士原清一(中野著『前衛詩運動史の研究』1975より)

拙編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』(共和国刊)に収録した年譜では、編者としての視点をフォーカスするポイントは詳細に、かつシンプルに、を原則にしました(次に執筆する評伝にて全面展開)。そんなこともあって冨士原の事蹟や彼を語る人物の言葉などは網羅しない編集方針をとったので、「参考文献」に上げていないもので図書館や古書店などでアクセスできる文献から順次、補遺的に紹介することにします。


◆1907年生まれの中野嘉一著『前衛詩運動史の研究 ―モダニズム詩の系譜―』(1975年、大原新生社[2003年に沖積舎より復刊])が語る冨士原清一。

中野は詩誌『薔薇・魔術・学説』2年1号(1928年1月)掲載の詩「稀薄な窓」の前半部分を引用した上で、以下のように語る(傍線および〔〕は筆者による)。
かれとしては初期に属する作品で、北園・上田敏雄などとは異質の、有機的な人間性を感じさせる幻想的な手法をもち、日本語の美しいひびきを尊重していたようである。冨士原は当時法政の学生で、慶応の学生であった上田敏雄とはよく一緒に法政の教室で三木清の講義などをきいたこともあったという。一九四四年、太平洋戦争に南方の島〔正しくは朝鮮木浦沖〕で死去。残念ながらかれは詩集を遺していないが、作品活動は多くのシュルレアリスム詩人の間できわだっていた。(中略)そのなかでも『詩と詩論』(第七冊)に寄稿した「魔法書或は我が祖先の宇宙学」とか、『苑』(第二冊)の「襤褸」などが私の印象に残っている。「レスプリ・ヌーヴォ」第一冊に載った訳「美学者としてのボードレエル」(フィリップ・スーポォ)などの労作もある。
かれの詩風は初期にはシュルレアリスムの影響に捉われたが、あとになって、言語の遊戯から離れて独自の精神の世界を切り開いたということがいえよう。フォルマリスム〔*〕に傾斜した多くのシュルレアリストたちの作品に比べて、かれの詩はあるときは精神の危機を、あるときはニヒリズムの強さを感じさせるものがあった(94頁)
*形式主義。ただしモダニズム詩の文脈で使われる「フォルマリスム」のニュアンスについては春山行夫『詩の研究』(改訂版、1936年、第一書房)が参考になる。

また、こんな記述も。
『詩法』第三冊に冨士原清一訳、ロートレアモンの詩論「現世紀の詩に関する呻き声はソフィスムに過ぎない。第一原理は論争外にあるべき筈である」という一行にはじまる長文のものがある。「人類を慰撫するものは詩人である! 役割が勝手に転倒されてゐる」「詩は嵐でもなければ旋風でもない。詩は荘重にして豊饒な河である」
冨士原清一のこの訳文の明確さはシュルレアリストとしての詩的な位置を示したものである。「高慢とそして思惟の正鵠をとり去る熄燈器の如きイロニイの卑むべき悦楽」を嫌悪するロートレアモンの知性・明晰さ・変身、そして、その心理学。(287頁)

私が愛用しているのは江間章子への献呈本(書簡付き)。本書は人名・書誌名・事項索引や年表がついていてとても便利な、モダニズム詩研究の基本文献。

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