2010年1月30日土曜日

P・B・シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』序文より

詩人というものは、他者の性質を変化させるほどの内なる力の結合の産物であり、これらの力を刺激し、支える、外なる影響の産物なのだ。詩人は、その一方ではなく、両方なのだ。この点で、人の心は、自然や芸術という対象によって変化させられ、人がかつてその意識に働きかけることを許したすべての言葉や暗示によって変化させられる。人の心はすべてのものの姿が映る鏡だ。その鏡の中でそれらの姿が一つの姿を組み立てる。詩人は、哲学者、画家、彫刻家、音楽家と何ら異ならず、ある意味では自分の時代の創造者であり、また別の意味では被造物だ。この従属関係からは、どんな至高のものであっても免れることはない。

(P・B・シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』序文、石川重俊訳、2003年、岩波文庫〔原書:1820年〕)

緒言

技術革新が人間の知覚に及ぼす影響への問題意識から、これまではデジタルメディアに対しては適度な距離を置いて付き合ってきたのですが、とうとうブログなどというものを始める気になってしまいました。

〈私〉という一個の主体が、複数の分裂した現存在によって構成されているということを、公共空間に記録を残すことで反復的に確認してみようという試みです。

硬軟ごちゃまぜ、詩的、哲学的、日常的、などあらゆる文体で綴ってゆければと思います。