2019年10月2日水曜日

X「傷む心 見えない明日」/寮美千子「心の地層に眠る言葉の結晶」(『紫陽』24号、2011年8月)


傷む心 見えない明日
                       



いまボクが見ている景色は何もないだれもいない真っ暗闇
明日の光さえ ボクには見えない
やさしい君も いまはいない
考えたくもない最悪な思い出
楽しかったあの思い出も
心の痛みがすべてを喰ってゆく
だからボクの中には「苦痛」しかないんだ
うそくさいやさしさ 作り笑い 冷たい目 ギゼン
いらない物がボクにまとわりつく
ボクがほしいのはあの思い出だけで
それ以外何もほしくない
君と過ごした思い出だけでいいのに
君はいま どこにいますか? 
君はいま 何を思い生きていますか?
声が聞きたい
笑った顔をもう一度みたかった
いまボクが見ている景色はおわりのない真っ暗闇
真っ暗闇さえ ボクには見えない
真っ暗闇さえ いまは見えない


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心の地層に眠る言葉の結晶
    ~「傷む心 見えない明日」に寄せて
寮 美千子


 前号の「孤独な背中と気怠さと」に引き続き、奈良少年刑務所の受刑者であるXくんの作品「傷む心 見えない明日」を、刑務所の許可を得て『紫陽』誌上でご紹介させていただけることを感謝している。
 現在、奈良少年刑務所で行われている情緒教育の授業「社会性涵養プログラム」の詳細については、前号で書かせていただいた。そのなかの「物語の教室」というわたしと松永洋介が共同で講師を担当する授業のなかから生まれたのが『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』(長崎出版)だ。
 出版は、昨年6月。広告を一本も打たなかったにもかかわらず、詩集として異例の反響があり、新聞、テレビなどでも取り上げられ、版も重ねている。受刑者たちの詩が、金子みすゞ、茨木のり子、谷川俊太郎などの著名詩人の詩集と並んで読まれている、というのは、ひとつの事件だ。技巧も何もなく、飾りもない、ぎりぎりのところから出た言葉が、多くの人の心を打った。わたし自身「詩とは何か?」ということを自分自身に問う、大きなきっかけとなった。
 ただし、新聞で取りあげられるのは主に「社会欄」。例外として和合亮一氏が読売新聞で「つむがれた詩句に、境遇をたどり現在の自分と深く向き合おうとする少年の姿が見える」(二〇一〇年八月十七日)と評してくださった。また、辛口で有名な東京新聞・中日新聞「大波小波」というコラムでは「節人」と名のる方が「流行と技巧に遊ぶ現代詩人は、少年たちの書くことをめぐる真っすぐな情熱をどう受け取るだろうか。」(二〇一〇年七月十六日)と問題提起してくださった。
 詩集にまとめたのは「物語の教室」の5期までの受講者の作品である。1期は半年なので、2年半分の作品の中から選んだものだ。その後も授業は続き、あす三月十一日の授業で7期が終わろうとしている。6期でも、7期でも、はっとするような素直で素朴な言葉が詩として結実している。いや、それだけでは済まされない詩としての強烈なインパクトを持った作品も登場している。
 度肝を抜かれたのは6期生のXくんの作品だった。前号でも少し触れたが、ともかく寡黙な子だった。この授業を始めてからこんなに寡黙な子はいない、というくらい言葉が少ない。結局、彼は、自分でこの作品を声に出して朗読することはなかった。いままでの授業で、ただ一人、朗読することを頑なに拒んだのだ。無理強いすれば、壊れてしまいそうだった。だから、わたしたちも強制はしなかった。
 彼の詩は、驚くほど繊細で、透明な悲しみと孤独に満ちていた。あまりのすばらしさにわたしは感嘆し、授業の後「これを外で朗読してもいい?」と本人に尋ねずにはいられなかった。彼はすなおにうんとうなずいた。「詩の雑誌に発表してもいい?」と聞けば、またこくりとうなずく。「本名で発表してもいい?」と重ねて聞くと、またうなずき、彼は笑顔を見せた。控えめな、はにかむような笑顔のなかに、彼の歓びの輝きが見えた。
 彼のそんな顔を、わたしはそのときまで、見たことがなかった。いつも、氷原のただなかに、ぽつんと置き去りにされたような、さみしげな表情をした子だった。みんなで体を動かしているときも、教室の片隅で膝を抱えてうずくまっているような子だった。
 その重い沈黙の中で、言葉はこんなふうにゆっくりと結晶していたのだ。このしんしんとしたさみしさ、この絶望の深さ。「真っ暗闇さえいまは見えない」というほど「傷んだ心」が、ひしひしと胸に迫ってくる。
 けれど、彼はそれを言葉に結晶させる術を持っている。「詩を書いて」と言えば、彼はそれを取りだして、そっと見せてくれる。声高らかに朗読することはできないけれど、大切な宝物を差しだすように、掌のなかの結晶を見せてくれたのだ。あ、すごい、とこちらが思ったその瞬間、結晶は、きらりと光を放った。
 ああ、彼自身が、地層深くに眠る、まだ人の目に触れていない晶洞のようだ。無数の美しい結晶をびっしりと壁に生じさせた閉じられた洞窟。その真ん中の真っ暗な空洞のなか、ひとかけらの光もなく、彼の魂は膝を抱えてうずくまっている。
 人の目に触れ、光を受ければ、結晶はいやでもきらきらときらめく。
 この詩は、宮沢賢治が友に書いた手紙をわたしに想起させた。
 
「今朝から十二里歩きました 鉄道工事で新らしい岩石が沢山出てゐます 私が一つの岩石をカチツと割りますと初めこの連中が瓦斯だつた時分に見た空間が紺碧に変つて光つてゐることに愕いて叫ぶこともできずきらきらと輝いてゐる黒雲母を見ます 今夜はもう秋です  スコウピオも北斗七星も願はしい静かな脈を打つてゐます」

 詩の言葉のきらめきが、結晶から反射してくる賞賛の言葉が、Xくんの心を照らしてくれたらと願わずにはいられない。
 Xくんのいた6期の授業は終わってしまった。彼らは「社会性涵養プログラム」を卒業し、刑務所の日常へと帰っていった。わずか半年、しかも、わたしにとっては月に一回だけのつきあいだった。もっともっと彼らの詩を読みたい。彼らといっしょにいたい。まだ、表現の大海原へと漕ぎだすための港についたばかりではないか、ここからいっしょに、彼らと彼方への旅をしたい、と願う。でも、それはいまは許されていない。わたしには、いまのところ、授業を終えた彼らと接触する術はない。残念だ。
 彼はいま、どうしているだろう。わたしたちの授業は、彼のいる晶洞に、わずかでも光をもたらすことができただろうか。彼は、自らが作りだした結晶の美しさに、気づいただろうか。彼が、その美しさに励まされることはないだろうか。
 彼がここに来る以前に詩を発表することができていたら、もしかしたら、罪を犯さずにすんだのかもしれない、とも思う。
 きょうも、刑務所ではいつもの日常が淡々と過ぎていく。そこには、まだ誰の目にも触れたことのない結晶たちが眠っている。地層のなか、さまざまな言葉が、だれにも届かないまま、静かに結晶を伸ばしていく。


追伸:『紫陽』23号を読んだXくんから手紙が来た。「この詩集にのってるのが本当にびっくりです。書いてよかったと思っています。今まではなんでもやりきった事がなかったし、やりたい事がなかったけれど、一つやりたい事が見つかりました」それは詩を書くことであると。よかった。


※(編集人記)『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』は今年五月に新潮文庫版が出版された。
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詩誌『紫陽』24号、2011年8月
編集:京谷裕彰/藤井わらび
発行:紫陽の会

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