ラベル 名言 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 名言 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年1月28日日曜日

『アトリヱ』7巻1号「超現実主義研究号」(1930年1月)での有島生馬の言葉


「○ 有島生馬 /シュールレアリスムの代表的見本と見られるべき作品は、まだ日本に表れて来てゐません。然し日本画なるものは大体がシュールレアリスムの傾向をもつものですから、日本人にとってこれは立体派などより、適した性質のものと思はれます。」
(記事「超現実主義批判」より)

「日本画なるものは大体がシュールレアリスムの傾向をもつもの」とはとてもユニークな見解である。今、日本画の実作者でシュルレアリスムの傾向をもつ人といえば三瀬夏之介さんや松平莉奈さんはじめ、枚挙に遑がないというか有島のいうことが今まさに21世紀の日本画に当てはまりうるのではないか、と思えてきた。
但し、21世紀の日本画は形式的にそうである、デュシャンやアブストラクトと並んで現代美術を条件付けるものとしてのシュルレアリスムという観点からみればという話なので、実作者当人それぞれの自覚の有無はさておいても、思想的な強度というところを指標にするならば、また違った見え方はするのだが。
もちろん、有島が生きた時代の日本画は形式的にシュルレアリスム的なものは僅少だったはずだから、彼はある本質的ななにかを見抜いていたのだろう。

形式はともかく、誰かから贈与された痙攣が、制作という営為、結晶した作品を通じて見知らぬ誰かへと受け渡される回路のなかに、大切なものがあるはずである。




2017年7月26日水曜日

ヤスパース形而上学の根本概念、〈包越者〉とは?

私に対して対象的になるものはすべて、われわれが生きているわれわれの世界という相対的に全体的なもののなかで、そのつどつなぎ合わされている。われわれはこの全体者を見、そのなかで庇護されている。この全体者は、われわれの知のいわば一つの地平のなかに、われわれを包んでいる。
それぞれの地平がわれわれを閉じこめ、それ以上の展望を拒否する。それゆえわれわれはそれぞれの地平の地平をのりこえておし進んでゆく。しかしわれわれがどこに到達しようと、そのつど達成されたものをたえず閉じこめるところの地平が、いわば一緒に進んでゆく。地平はつねに新たに現存しているのであって、それが単なる地平であって終結ではないがゆえに、あらゆる窮極的な滞留を断念することを強いる。われわれは決して、制限づけてゆく地平がそこで終わりになるような立場を獲得することはないし、また、今や地平なしに閉ざされていて、それゆえもはやそれ以上を指示することのないような全体が、そこから概観可能になるであろうような立場を獲得することはない。(中略)存在は、われわれに対しては閉ざされないままであり続けるのであって、それは、すべての方向にわたってわれわれを無制限のところへと引っぱってゆく。存在はつねに繰り返して、そのつど限定された存在としての新たなものをわれわれの方に現れさせる。

われわれの認識作用は、(われわれが直接にそのなかで生きているところの)われわれの世界という無限定の全体から、(世界のなかで現れて世界からわれわれの方に歩み出るところの)限定された対象へと進み、そこから意識的にその諸地平において把握された存在のそのつどの体系の形での世界閉鎖性へと進んできた。この歩みのそれぞれにおいて、われわれには存在が現前しているが、しかしそのいずれをもってしても、われわれは存在そのものを所有しているのではない。というのは、どの場合にも、獲得された存在の現象をこえて存在のなかへとこえ進んでゆく可能性が示されるからである。限定された存在と知られた存在は、それ以上のあるものによってつねに包越されている。どの場合にもわれわれは、ある特殊なもの(存在の全体というそれぞれの思惟された体系もまた特殊である)を積極的に把握するに当たっては、同時に存在自体ではないところのものを経験する。

この経験がわれわれに意識された後で、われわれはもう一度、存在に対して、すなわち、すべてのわれわれの方に現れてくる現象が開顕されるにともなってそれ自身としてはわれわれから退いてゆくところの存在に対して、問いを発する。この存在、(つねに狭隘にする)対象でもなければ、(つねに局限してゆく)地平のなかで形成された全体でもないところのこの存在を、われわれは包越者と名づける。

◆カール・ヤスパース『真理について 1』「第二序文」より(林田新二訳,2001年[第二版],理想社[原書は1947年]) ※太字による強調は引用者。





2017年3月7日火曜日

「われわれのデモクラート美術家協会について」(1952年)

創造の精神は本来来(くる)ものをも妨げず、何ものにも妨げられない独立と自由の精神から生まれるもので、これこそ形式や流派を離れて本質的に前衛の精神なのである。
われわれがかかる眼で日本の画壇を眺める時、果して画壇はわれわれの創造の精神を、より自由に解放してくれる場所であろうか。
大公募展の組織とその組織が必然的に生み落した政治的な
かけひきはわれわれの独立精神をおびやかし芸術家に自由の放棄を迫って少しも怪しまない状態である。
このような
創造とはおよそ縁のない、むしろ逆方向の精神に依存しながら制作することの如何に困難であり如何に絶望的なものであるかを我々は身をもって体験して来た。
われわれははじめ画壇の中にあって志を同じくするものと協力し、漸進的に組織の上部に働きかけ画壇を少しでもよい方向にむけようと試みた。しかしその考えが如何に甘いものであるかわれわれはやがて知らねばならなかった。こうした世界にあっては善意に根ざす協力は不可能であり、真摯な努力は隠然たる彼等の組織力にいつか併呑され、われわれの叫びは彼等の嘲笑の中にかき消されてしまったのである。そこでわれわれは一歩後退することを余儀なくされ、沈黙と孤立をまもりとうそうと試みた。これはつねにわれわれの良心が許し得る最後の場所でなければならない。しかしここでもわれわれは包囲され、無言のままほうむり去られてしまった。
審査、そして落選、彼等の画風――それは暗黙のうちに会を独裁し、一切の革新的なものを異端視する形式主義あり、すべてを独裁する黙契であるが、その画風にそわないものは会場で民衆の視線と語りあわない前に、闇から闇へとほうむり去られたのである。
もしこれ以上われわれが描きつづけるとすればわれわれは画壇にあって名声を獲るために芸術家の精神を放擲するか、妥協をきらって一生日かげで独り描きつづけるかのいずれかを撰ばねばならないだろう。前者は
創造の精神を放棄した以上、画家であることをも放棄したのであり、後者はあまりにも消極的であって、彼の画面からは、恐らく現実逃避の弱々しさと、造形性貧困以外の何ものも生まれないだろう。
そこでわれわれは第三の道を撰んだ。この道こそ条件の中で、積極的な創作活動をまもる唯一の道であることをわれわれは過去の経験と、思索と、魂の希求と、敗れ去ったひとりひとりの歴史から確信するに至ったものである。
われわれは、われわれの創作活動をまもる組織を、最後までまもりとうすため、少しでも多くの協力者と手をつなぎたい。

デモクラート美術家協会
--------------------
※漢字・仮名遣いは現在通用のものに改め、読みやすくするため()内に読みを補ったり、明らかな誤植を改めるなどしている。

写真は久保貞次郎『瑛九と仲間たち』(1985年、叢文社)より。

2016年9月24日土曜日

島尾敏雄「非超現実主義的な超現実主義の覚え書」(1958年)より

眼に見えたかたちだけが安らかだと思いたがる傾きがあって、眼に見えないものにはおそれが先立つ。眼に見えたもののようになにかが表現されていなければ、落ち着きを失い、それはじぶんとはかかわりのないどこか違った世界のできごととして避けてきた。理解しようとこころをうごかすまえに、しりごみして、その影響のそとにでたがる。しかし眼に見えたかたちだけでは理解できない無数のものに取りかこまれていることを認めると、足がすくんでくる。それはわれわれをなやまし続けている亡霊のひとつとなった。しかしそれを拒否するだけでは、その知ることのできないゆがんだかたちのものにますますおさえつけられるばかりだから、限りなき小胆が、しかしどこまでも、かたちのはっきりしたものだけを、そうでないものから区別して、じぶんの味方にしようとはたらきはじめ、しかしわれわれは対象を崩したり組みたてたりすることになれていなかったから、対手はおさえようもなく大きくなって行くばかりだ。それらはからみ合っているために、意識すればますます窮屈な場所に身をちぢめこめなければならないことになった。知ることのできないゆがんだかたちのものは、こちらを併呑した。それはどんなにかわれわれを威嚇したことか。区別し隔離することに失敗すれば、われわれは敵のただなかに武者修行をはじめなければならぬはめになった。敵は亡霊のなかだけでなく、その利用者としても現れていた。小胆を表札にかかげておいても、敵は容赦なくひとのみにおそいかかってくる。
 仮に自らを処分しなければ、この無慈悲なこころみのなかで、習熟し馴狎することのないぶざまな舞踏を舞い続けなければなるまい。その舞いも又連続させられず、そのため、ぶざまな状態に習熟することさえない。習熟するかとみえると断絶におそわれそしてその断絶の淵におちこんだまま凍死することもできず、又もや習熟の場にはいあがって行く。それは永久にくりかえされる機構だ。そこから脱けでたいと考えるが、あらゆるつばさはもぎとられているから、脱けでて行く道はふさがれているようなのだ。ひどいはじらいが、対象を切りくずし且つ組みたてる技術に手をつけることをさせず、素朴でおかしな胎内旅行がはじまり、それを続けなければならない。さわやかな光はみな手前でそれて流れて去ってしまい、光の利用者たちが凱歌をあげているおそろしい声からのがれられない。が又してもはじらいが湧きあがり、もはや転身しなければ、効果を期待することはできないと考えても、なおこの場所をぬけ出せない。やがて、天地はくらみ、かすかながら与えられていた、うすぐらい、ごく身の廻りの光をも失ってしまうと、「眼に見えたかたち」は喪失してしまう。当然そこに安らぎが広がり、眼に見えないもののおそれは、その安らぎに場所をゆずる。あれほどおそれていた敵は依然としてあるが、敵の眼の下で、ゆるやかに表現のしみが広がって行く。「かかわりのないこと」がなくなってしまったのではないが避ける気遣いに心くばることなく、表現じしんが、みうちの満ちてくるときめきを覚え、日常は夢の中にも侵入する。しかしもはやその日常は超現実とも言えない。われわれの周囲の「眼に見えたかたち」だけの現実もそこに持ち込まれ、眼に見えたままに表現されていないような装いが生まれてきても、眼に見えないもののおそれをじぶんのうちがわに消化してしまったのではない。それは、つと逃げてなおその外側に、はなれたままぼんやりとそしてはっきり位置をもつ。広がった日常はいっそう危機に追い込まれる。これがわれわれの現実の広がりを獲得するについての理解の程度であった。ついにわれわれはシュールレアリスムをつかみだすしごとに成功しなかった。(以下略)

◆島尾敏雄「非超現実主義的な超現実主義の覚え書」(『非超現実主義的な超現実主義の覚え書』所収、1962年、未來社[初出:『映画批評』1958年2月号])


日本におけるシュルレアリスム運動の挫折、それへの批判を、実存の問題として語る。






2014年3月17日月曜日

あまのしげ『視覚は欲望である』より



顔は政治的である。
手は戦略的である。


あまのしげ『視覚は欲望である』(2010年,澪標)


ちょうど政治と芸術との不可分な関係をめぐるジャック・ランシエールの美学論について思索しているところなので、とてもタイムリーだった。

上に紹介した二行は、現代美術の実践者によって示された、ある真理の輪郭に触れる言葉であろう。
だが、言葉それ自体が真理そのものではありえないことを、彼は熟知している。




美術家・あまのしげさんは今、大阪・西天満のギャラリーH.O.Tで個展を開催中。

◆ あまのしげ展「千の甍」 3/17~3/29  Gallery H.O.T


2013年12月11日水曜日

藤井貞和さんから頂戴した色紙 (に、したためられた問い)

「レヴィ=ストロース氏が、
マジノ線でドイツ軍の攻撃を待ち受けながら、
そのとき私は(と氏の言う)
タンポポの花の丸い球をじっと眺めて、
この対象の奇蹟とも言いえるような規則的な構造について、
因果関係や、 歴史的な偶発事や、
あるいは各部分の単なる組み合わせを並べてみても、何にも説明できない、
というふうに考えたのでした。
美とは何か?」


貞和さんから大きな宿題を頂戴しました。
ずっと考えておりますが、心の中でひとまずの回答を試みるも、言葉の手前でするりと抜けていってしまいます。
それでもまた、今日も考えているのです。

2013年3月15日金曜日

浮田要三「『きりん』の話」より

竹中郁と井上靖が主宰した児童詩誌『きりん』(1948年創刊)は戦後民主主義を背景に、具体美術協会のメンバーや文学者、教育者が数多く関わることで詩と絵を通じて子どもの創造性をはぐくむ運動を広げてきたわけですが、編集の中心人物であった浮田要三さんは大きな困難を引き受けていました。その浮田さんが綴ったエピソードを紹介します。

「少数ではありましたが、頑固な『きりん』の支持者に支えられて星さん※1も浮田もなんとか『きりん』の刊行を続けてまいりましたが、打っても響かない現象は、ボクにはどうしようもないと考えて、ある日嶋本さん※2に止めようとするボクの心境を話しました。その時、嶋本さんから「浮田さん、役に立たない本をつくろう」と真顔でいわれたのには、ドギモを抜かれた想いがいたしました。考えてみれば、文化は眼前の事態に、すぐには役に立ちません。文化はそれ自体、金儲けもいたしません。それこそが文化であると、改めて悟ることができました。また嶋本さんがそんな大切なことを教えてくれたように思いました。まもなく駄目になるであろうと予測はしておりましたが、ボクは二年分の元気をもらいました。そして、その後二年間『きりん』をつづけました。「役に立たない雑誌」とは旨いこといわれたものです。そして、またボクの脳裡に思い出されたのが井上靖さんのコトバです。「世界でいちばん美しい雑誌をつくりましょうや」ということです。
この嶋本さんの「役に立たない・・・」というコトバと、「世界でいちばん美しい」というコトバの間に違いがあったのでしょうか。
ボクはそうは思っていません。嶋本さんのいう「役に立たない」というコトバは、それ以上純粋なものはないということで、それこそが、井上靖さんのいわれた「世界で一番美しい雑誌」と、思想において合致するわけです。
『きりん』には、自由の思想と、哲学的なエゴイズムが一貫していたことで、人間の為し得る最も強い、悲しいけれども美しい魂の表現があったと考えております。」
浮田要三「『きりん』の話」(『「きりん」の絵本』所収,2008年,きりん友の会)


※1 星芳郎さん。浮田さんとともに『きりん』を編集。
※2 嶋本昭三さん。具体美術協会。


2013年3月12日火曜日

『「きりん」の絵本』(2008)「あとがき」より


「戦後の関西でこどもの創作活動がいかに大切にされ、支えられたかを証する希有な記録だが、その活動は単にこどもの詩・綴り方の教育という枠に囲い込まれるべきではない。なぜなら『きりん』は、詩人・文学者・教育者とならんで数多くの美術家が協力を惜しまず、とりわけ当時の先進的な画家が積極的に加わることで、視覚芸術の面からみても他に類例のない雑誌となったからである。結果として『きりん』は、教育、文学、美術といった個別の分野を横断し、それぞれの境界を貫く根源的な思想の探求へと向かっていく。それは、こどもを見つめ支援した大人たちの思想的立場の表明として、あるいは芸術的理念の結晶として、半世紀を経た今もなお、輝きを失っていない。その出版活動は、こどもの創造力を高めるという本来の目的と共に、大人自身の人間観・芸術観をも絶えず問い直し、思考の鍛錬を課す媒体として機能していたのである。
こうした『きりん』の哲学全体を集約し、もっとも直截に伝えるのが表紙絵であり、その選択を創刊して約一年あまりで任されたのが浮田要三氏であった。」
(『「きりん」の絵本』「あとがき」より/加藤瑞穂・倉科勇三)


2013年1月23日水曜日

アンドレ・ブルトン『秘法十七』(1947年)より

古い池はもはやない。池全体が月の笏杖の下で、そのたっぷりとした呼吸をとりもどし、その波のくぼみくぼみは、熱い海のあらゆる魚で、色とりどりに飾られる。その魚たちの間に、たがいに顔を見交わすことにたえられず、自分といきうつしの相手といまにも死をかけてたたかおうとする、緋色と青鴉色の《闘魚》たちがいるのが見てとれる。奴らの剣さばきはじつに活発なもので、微光が奴らの後へのこり、透明で液状の貝殻を、もっともしなやかなものからもっともきららかで細身のものまで、あらゆる方角へはせめぐるのだ。けれども波はしずまり、風変わりな闘いも終りになる、というより、曙の光の中に消え失せる。二つの流れは音もなく流れ、そして大地からは、感覚の全域をひとりじめにしようと、一本の薔薇の香がたちのぼって来る。今、辛うじてかいまみられたばかりの薔薇は、不意に、ふるえる夜の中で、聖なるエジプトのすべてを告げる。薔薇は、めまいを起こさせるほどくるくると旋回して、あがめられたる鳥、鴇(とき)の衿飾りとなり、そこからとりだされて来るのは、人間の夢が、荒縄で自分の建て直しを実行し、葉脈の方向にひびわれた自分の白い靴底を星々の間にはりわたされた糸にそって、あらためてすべらせようとするために、必要となるかもしれないすべての艤装用品だ。薔薇は、再生能力に限度はないと告げ、そして主張する、いかに過酷であり汚れにみちていようと、冬は、過渡的なものとしかけっしてみなされないと。それどころか、冬の鞭は、エネルギーをよびもどすために、鞭の先端で数千匹のエネルギーの蜜蜂を集めるために定期的に道々を打たなければならぬ、さもないと蜂どもはしまいには太陽のあまりに酔心地をさそいすぎる柘榴の実の中で、ねむりこけるだろう、と。

(ブルトン『秘法十七』入沢康夫訳,1993年,人文書院,118頁)


「秘法十七」とはタロットカードの17番、〈星〉のこと。
星空の下、女性が両手にもつ水瓶から大地にそそがれる水が池になる図像である。
この美しいくだりに登場する闘う魚のイメージが、二匹の魚が逆並行に描かれる魚座の絵図と対応していることは明らかだ。
このイメージは「溶ける魚」とどのように呼応しあうのだろうか。


アンドレ・ブルトン『溶ける魚』(1924年)を転読してみる

公園はその時刻、魔法の泉の上にブロンドの両手をひろげていた。意味のない城がひとつ、地表をうろついていた。神のそば近く、その城のノートは、影法師と羽毛とアイリスをえがくデッサンのところでひらかれていた。〈若後家接吻荘〉というのが、自動車のスピードと水平の草のサスペンションとに愛撫されているその宿の屋号だった。そんなわけで前の年にはえた枝々は、光りが女たちをバルコニーにいそがせるとき、ブラインドに近づいて身じろぎひとつしなかった。若いアイルランド娘は東の風の泣きごとに心みだされながら、乳房のなかで海の鳥たちが笑うのをきいていた。・・・
(1) 
----------

けがれた夜、花々の夜、喘ぎの夜、酔わせる夜、音のない夜よ、おまえの手は四方八方の糸、黒い糸、恥ずべき糸にひきとめられている卑しい凧だ! 白と赤の骨の野原よ、いったいどうしたのだ、おまえのけがらわしい樹々を、おまえの高木性の無邪気さを、そして、びっしりならぶ真珠や花々にかざられ、まあまあの銘句やどうとでもとれる意味のはいっているひとつの財布にひとしいおまえの誠実さを? そしておまえ、盗賊よ、盗賊よ、ああ、私を殺すのだな、私の目のなかのおまえのナイフをむしりとる水の盗賊よ、おまえにはこれっぽちの憐れみもないのか、光かがやく水よ、いとしい清めの水よ! 私の呪いは、おまえたちのほうに金雀児(えにしだ)のほうきをゆすっているこわいほど美しいひとりの少女のように、長いあいだおまえたちにつきまとうだろう。ひとつひとつの枝先には星がひとつずつあるが・・・
(9) 
----------

雨だけが神聖であり、だからこそ、嵐が頭上で大きな袖かざりをふるって財布を投げおとしてくるときに、私たちは森の木の葉のおののきにしか釣りあわないちょっとした反発の身ぶりをする。雨のフリルを胸につけた大貴族たちがある日のこと馬で通りかかるのを見かけ、〈善良なはたご〉へとむかえいれたのはこの私である。黄いろい雨があって、これは私たちの髪ほどに幅ひろい滴をまっすぐ火のなかにおとしてその火を消すものだし、また黒い雨があって、これはおそろしい愛想のよさで私たちの窓ガラスを流れくだるものだが、それでも忘れるまい、雨だけが神聖なのである。
そんな雨の日、ふだんとかわらない日だったが、私はたったひとりで、涙の橋のかけられた深淵のふちで私の窓のむれを見まもっているいときに、自分の両手が顔をおおうマスクであり、自分の感覚のレース編みにすっかり満足する仮装用仮面であることに気づく。・・・
(16)
----------

きみにもやがてわかるだろう、私がもはや首を吊るための雨にもあたいしなくなるとき――森のはずれの、青い星がまだ自分の役目をはたしていない場所で、寒気がその両手をおしつけながら、私に忠実でいてくれるだろうすべての女たちに、だが私と知りあってもいない女たちに、こういいにくるときがくれば。「あれは草の肩章と黒い飾りカフスをつけたりっぱな船長であったし、おそらく命のために命を投げうつ技師でもあった。・・・
(23)
----------

彼はどんな男か? 彼はどこへ行くのか? 彼はどうなったのか? 彼のまわりの沈黙は、彼のもっとも貞節な思考であったあの一足の靴下は、あの一足の絹の靴下は、どうなったのか? 彼は自分の長く続く斑点を、自分の狂ったガソリンの眼を、自分の人間交叉路のざわめきをどうしたのか、彼の三角形と彼の円とのあいだには何がおこったのか? それらの円は、彼の耳にとどく物音を浪費していたし、それらの三角形は、誰かがもう眠る時間だといいにくるとき、白い影をもつ使者がもう眠る時間だといいにくるとき、賢い者たちの行かないところへ行くために彼のはめる鐙だった。・・・
(25)
----------

・・・有名な脱走事件の数々について一冊のつまらぬ本が書かれているにすぎない。あなたがしらなければならないこと、それは、ふと気まぐれに身投げをしてみたくなるようなすべての窓の下で、かわいげな小悪魔たちが、悲しい愛のシーツを東西南北にひろげているということだ。私の観察はほんの数秒間しかつづかなかったけれど、自分がなにを知りたいのかはわかっていた。いずれにしろ、パリの各所の壁には、白い覆面をし、左の手には野をひらく鍵をもつ、ひとりの男の人相書きがはりめぐらされていた。その男、それは、私だったのである。
(32)

(巌谷國士訳『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』岩波文庫版より。各引用文末尾の数字は章番号)


「ここに「溶ける魚」がいるがこちらはまだすこし私をたじろがせている。溶ける魚といえば私こそがその溶ける魚なのではないか、げんに私は〈双魚宮〉の星のもとに生まれているし、人間は自分の思考のなかで溶けるものなのだ! シュルレアリスムの動物界と植物界は、おいそれとうちあけられないものである」(「シュルレアリスム宣言」岩波文庫版72頁)

「ひとつの金魚鉢が私の頭のなかをめぐっていて、その鉢には、悲しいことに、溶ける魚たちしかいないのだ。溶ける魚、これについて考えてみたところ、少しばかり私に似ている。」(同書訳註で引用されるブルトンの手帳の中のメモ。→240頁)

アンドレ・ブルトンの誕生日は出生証明書では1896年2月19日、魚座の第一日目になっている。しかしブルトン自身は2月18日生まれ、水瓶座の最終日であるとも公言するなど彼の誕生日は曖昧なまま謎として残されているが、金魚鉢のなかの溶ける魚のイメージというのは水瓶座と魚座、その両方にこだましているようで興味深い。

水瓶座Aquariusが象徴するもの、
エジプトではアピス神(=ナイル川)、および豊饒をもたらすその洪水。キリスト教では洗礼者ヨハネ、およびタディアスと関連。
形ある宇宙に終わりをもたらす洪水の時期、能動性と受動性の二重性を備えた時期。
脚、血液の循環(または思考の循環)、土星、洞穴と下水溝、雨をもたらすガチョウ、「力」のタロット、寒気・闇・洪水・雨・嵐、昼間の特徴としての安定・明るさ・情熱・湿性・陽気さ、に対応。

魚座Piscesが象徴するもの、
古代バビロニアでは雨と復活を象徴。水および溶解による破滅、万物の根源である水から宇宙的生命力が蘇生することを表す。金星Venusの宿る場にあたることから性愛の象徴。脚および足指、木星、「吊られた男」のタロット、移ろいやすさ・弱々しさ・女性的であること、に対応。

(以上はアト・ド・フリース著『イメージ・シンボル事典』〔山下主一郎他訳・大修館書店〕を参照)


  (「大金魚博覧会2012」〔2012年8月,大和郡山市・旧川本邸〕でのスナップ)


2012年10月23日火曜日

古巻和芳ほか「巣立ちの部屋2012」 (西宮船坂ビエンナーレ2012)


小鳥のうたう
温かいしずかな巣は
……………
うたと魅惑をよびおこす
それは古い家の
純粋なしきい

(ジャン・コーベール「温かい巣」)



世界は巣である。すなわち無限の力がこの巣のなかの諸存在を保護している。


※テキストは全てガストン・バシュラール『空間の詩学』(岩村行雄訳,ちくま学芸文庫)からの引用。

http://funasaka-art.com/

2012年10月7日日曜日

小野十三郎『詩論+続詩論+想像力』より

98
歌と逆に。歌に。

114
素朴さということこそその時代の最も複雑な科学である。

117
一人の詩人についていえば、詩精神は各々その分に応じた内面秩序の自律性を持っている。詩人は殊更それを意識する必要はないかも知れない。生得の抒情精神とはそういうことに一切関心を持たぬことを矜としている。ためにそこに自己批判ということも成り立たない。往々にして、これが「自然」や「純粋」の意味にはき違えられる。或種の「純粋」な抒情精神に対して、我々が感じる生理的反撥。

197
現代詩は、その抒情の科学に「批評」の錘を深く沈めていることによって、短歌や俳句の詩性と自ら区別される現代の歌であることを忘れてはならない。この批評精神が失われたならば、おそらく詩は短歌や俳句の一般性、通俗性に対して抵抗することは出来ない。詩人は、現代詩のこの独自の要素を深く自覚することによって大衆に見えようとする。リズムとは批評である。抒情の科学の中に完全に融和した「批評」は政治的諷刺詩というような狭小な範囲だけでなく、他の様々な詩のジャンルに於いても美しく開花する。「批評」の要素に於いて妥協した抒情に真実の歌がこもる筈がない。

241
歌と逆にゆくとき、詩は必然的に、発想、スタイルともに複雑化する。これと反対に、詩が歌を指向するとき、それらは等しく平明化乃至単純化する。云いかえると、歌と逆にゆくと、読者にとって、詩はますますわかりにくいものとなり、歌の方向をとると、詩はしだいにわかりやすくなるということになる。したがって、詩人が、ただ読者にわかりやすいということを詩の理想とするならば、はじめから歌と逆にゆくようなプロセスは無視してもさしつかえはない。また、わかりにくい、わかりやすいというようなところに、詩の根本的な問題はないと考える詩人なら、彼がどういう状況におかれても、歌と逆に歌の方へという方法的探求などこんりんざい発足する余地はないだろう。(後略)


◆小野十三郎『詩論+続詩論+想像力』(1962年,思潮社)

藤井貞和『反歌・急行大和篇』より


現代詩は、身も蓋もないことをいってよければ、散文という文体で書かれている。あるいは散文という文体でも書いてもいい詩が現代詩ある。むろん、一般的な散文を詩だというのではなく、あくまで文体としての散文をいうのにせよ、口語自由詩とは散文詩のことにほかならない。これがまあぶっちゃけた話である。
詩かそうでないかはしたがってそれの制作者と享受者とのあいだの了解としてのみ成り立つ。詩として書かれ、詩として読まれるという信頼関係がなければ、詩はそこにはない。一般には詩の雑誌に出ているとか、教科書の詩のパートにあるとか、詩人といわれている人が書いたとかいった作品外の情報と、行分け、署名、題、活字の組み方など内部からの情報とにより詩であることの了解が行われる。
この了解はしかし盤石の基礎の上にある、ゆるぎないものではない。まさに信頼関係という、この世ではこわれ易い部類に属しているので、そこがこわれたら詩なんかけしとんでしまう。その信頼関係は詩人の内部でもたえず危機にさらされている。


◆藤井貞和「現代詩の言葉」(『反歌・急行大和篇』所収,1989年,書肆山田)


2012年9月25日火曜日

一休宗純『狂雲集』より

両片皮、復(ま)た一具の骨
鳥虫馬牛、更に魔仏
混沌未分、暗昏昏、
雲月は知る、誰が為の風物なるかを。


人には二つの耳たぶと、一そろいの骨が具わっている、
鳥虫馬牛、また魔仏と、さまざまだ。
天地が開けるまでは、すべては暗闇に包まれて混沌としていた、
雲や月は、誰かのための風物ではないことを知っている。



(『狂雲集』488番,石井恭二編訳『一休和尚大全』より)


〔白文〕
兩片皮復一具骨 鳥蟲馬牛更魔佛 混沌未分暗昏昏 雲月知爲誰風物


●●●●●●●●●

 少年期から八十代にいたるまで、酒、女色、男色、風狂に生きた一休さん(1394-1481)の詩の中でもとりわけ深遠な一篇。


Mugi NAKAJIMA 

2012年9月8日土曜日

ガストン・バシュラール『空と夢』(宇佐見英治訳)より

『プロメテーウス』(第二幕、第一場)においては、次のような偉大な楽弓の音(ね)が諸天に響きわたる。

ききたまえ。精霊たちが語っている。彼らの大気の下から
液状の答えがなおも鳴り響いている。

Hark! Spirits speak. The liquid responses
Of their tongues yet sound.

地上のものにとっては、地を離れるとともに一切が散り一切が失われてゆくのに、空に住むものにとっては、昇るとともに一切が集まり一切が豊かになる。シェリーは照応correspondanceを実感しているようにわれわれには思われる。それをボードレールの照応と比較してみると非常に示唆に富む。
ボードレールの照応は物質的実体の深奥の一致からうまれるものである。それは多くの点でランボーの錬金術よりも統一的な、感覚のもっとも偉大な化学を実現する。ボードレールの照応は物質的想像力の強力な中心である。この中心にあらゆる想像的物質、あらゆる《詩的要素》が会してその富を交換しあい、相互に他のものによって隠喩を養いあう。
シェリーの照応は幽霊のような軽さをもった力動的想像力の共時態(サンクロニー)である。ボードレールの照応が物質的想像力の王国であるとすれば、シェリーの照応は力動的想像力の王国である。シェリーの形而上詩学においては、資質のすぐれたものが互いに他を軽減することによって相集まる。それは一緒になっておのれを昇華する。それは果てしない進歩のなかで互いに手を貸しながら互いを昇華する。


◆バシュラール『空と夢』(宇佐見英治訳,法政大学出版局)70~71頁。

2012年9月4日火曜日

R18 vol.7の様子 (大阪北浜の10Wgalleryにて)

タブーは欲望にも転化するふしぎなエネルギーだ。
血のタブーにもいちじるしいものがある。
かみの毛が落ちているのはタブー感があるけれども、腋毛や、陰毛も、タブー感のあることはいうまでもない。特に陰毛は、性タブーの一類のように想われているけれども、荒木経惟のしごとのように、陰毛をけずりとったら何がわいせつさとして残るか、という問題がある。陰毛そのものが強力なタブーとしてあったのではないか。
乳房および母乳もタブーである。
性器もタブーだ。

Tr@shさん

にごたらこ、さん

パグ・リーさん

tk4mさん

中村趫さん(左)、中村鱗さん(右)

ナンシーさんのパフォーマンス「悪いお姉さん」


ひとはいったい何のために身を与えられたのであろうか。風や、声ばかりでよかったはずのひとが、昔話の発生のように身を与えられ、何をしようとしているのだろうか。おそらく見てはならないものを見、きいてはならないものをきき、ふれてはならないものにふれようとして、何万年、何十万年をすごしてきた。身のまわりにいっぱいタブーをふりまいてきた。これらのタブーは真の意味で両義的なのである。タブーによって身は安全であろうとする。保護されようとする。だがそれは突破され、冒涜されるものとしてもあるのだった。
言葉がわれわれにとって重大なタブーであることは、それが口をついて身から出てくるものであることを想えば、もう多言を要しないであろう。くちはわざわいのもと、というではないか。そのばあいの「くち」とは言葉という意味だ。言葉は発せられることによって、人間関係をきずつけないわけにゆかない。文字に書きあらわされれば、筆禍といわれる事件になるのでなければタブー本来のちからをまっとうしたことにならない。

(テキストは藤井貞和『言葉の起源』序章より引用。1985年,書肆山田)







クーちゃん(♂)

◆10Wギャラリー 8/25~9/1

貞和『言葉の起源』より

うんこは汚らしい。においをかぐと、むっとした嫌悪感が走る。人類がさきかうんこがさきか、という話であれば、人類がしたうんこは人類がさきかもしれないが、人類の嗅覚にひきおこす嫌悪感とうんことのどちらがさきであったかというはなしになれば、まちがいなくうんこのほうがさきである。人類はこうして、腐敗したもの、危険なもの、不用なものを避けることができるように、何十万年かけて感覚を造成してきた。だから嫌悪感はタブーの端緒になっている。うんこのようなはげしいタブーは神聖視され、精霊のように昔話のなかで活躍したりしている。タブーは欲望にも転化する不思議なエネルギーだ。

(藤井貞和『言葉の起源』序章。1985年,書肆山田)




2012年8月19日日曜日

P.B.シェリー『詩の擁護』(1821年)抄訳より(阿部知二訳『シエリイ 詩と恋愛』所収,1936年,第一書房)




詩とは、大まかに定義すれば、「想像力の表現」であり、人間の発生と同じところに端を発してゐる。人間は、外からと内からとの印象に絶えず慄へてゐる楽器である。定めない風が交々に吹き寄せるとき、それにつれて定めない旋律を奏でるエオリアの竪琴に似る。しかし、人の内部には、否、おそらくあらゆる有情のものの内部には、一つの原理があつて、竪琴とは異なつた反応を生む。旋律を奏でるばかりでなく、己を揺り動かす印象に呼び覚まされた響きと動きとを、内面から調整していくことによつて、諧和を生みだすのである。

●●●●●●●●●

社会をつくるところの人間は、その情熱と歓喜とを抱きつつ、更に他の人間の情熱と歓喜との対象になる。

●●●●●●●●●

世界が若かった時、人は踊り歌つて自然物を模倣したのだが、その動作の中にも、或る種のリズムと秩序とを守つた。

●●●●●●●●●

社会が若かつた頃は、物を書くものは皆詩人だつた。なんとなれば、言葉そのものが詩であつたからだ。そして、詩人になるといふことは、真実なるものと美しきものとを認知することであつた。真と美とは一言でいへば、先づ存在と認識との間に存在する関係、次に認識と表現との間に存在する関係に於て善なるものをいふのである。

●●●●●●●●●

詩人は永遠なるもの、無限なるもの、唯一つなるものと結ぶ。彼の詩念についていふ限り、時と処と数は存在しないのである。……エスキルスの合唱、『ヨブの書』ダンテの『天堂』は、なににもましてこの事実を示す。

●●●●●●●●●

言語、色彩、形態、宗教と社会との風習、これらはみな詩の媒介物となり素材ともなる。結果と原因とは同じ物であるというやうな考へによれば、かうしたものみなが詩である。しかし、もつと限定された意味で詩と云へば、それは言語を排列することをいふ。ことに、人間性の不可測の奥底に深く潜む崇高な力から生れ出るところの韻律的な言語を排列することである。

●●●●●●●●●

思想界の革命を起こす作家たちは、勿論先駆者であると共に詩人でなければならない。その言葉は、真実の生命に触れた表象によつて事物の不滅の似姿をあらはす。そればかりではない。その文脈は調和と韻律とに満ちて、自ら韻文の本質を持つ。なんとなれば、それは永遠の音楽を反響させてゐるからである。一方、その主題の形態と動きとにふさはしくするために伝承的な韻律形態をとつた大詩人たちも、事象の真を認知し伝達する力に於て、伝統の韻律を破棄した革新家たちに劣つたのではない。シェイクスピア、ダンテ、ミルトン、(近世作家ばかりを例としても)たちは、最も高い力を備えた哲人であつた。

●●●●●●●●●

詩とは生命をその永遠の真実に於いて表現した像(イメヂ)である。

●●●●●●●●●

時は、個々の事実に対しては、その上を蔽ふ情感を剥ぎ取つて、その物語の美と効用とを破壊する。しかし、詩のそれを増大し、その詩が含む永遠の真実の新しい驚異にみちた適合性を繰りひろげてゆくのである。

●●●●●●●●●

詩はつねに快感を伴ふ。詩の訪れを受ける心はすべて自らをうち披いて、その歓びにまじはる叡知を吸収する。世界が若かつた頃、詩人自らも聴者も、詩の美点を充分に自覚しなかつた。詩は神秘な不可思議な形で作用し、意識を超え、意識の上にあるからである。

●●●●●●●●●

詩人は闇に坐して自らの孤独を美しい声で慰めつつ歌ふ夜鶯である。詩に耳を傾ける人は、この見えざる伶人の音楽に魅せられながら、心を動かされ和らげられたと知りつつも、それが何処からひびき、何故にかくなるかを知らぬ人である。

●●●●●●●●●

詩は隠れたる世界の美の蔽ひを取りのぞく。見狎れた事物をも新しい驚きの光りで見せる。

●●●●●●●●●

社会の腐敗が到達するところは、あらゆる歓びの破壊である。それだからこそ腐敗といふ。物の髄から蝕むやうに、想像と知力とから始めて、やがて麻痺性の毒のやうに拡がってゆき、愛情を滅ぼした後は欲情そのものをも滅ぼし、遂にすべてが死物のやうな団塊となつてその中に感覚すらも残らない。
古代の宗教と風習との体系が遂にその輪廻を終焉させたとき、世界は全くの混乱と闇とに陥入つたと見えた。しかし、基督教、又は騎士道の宗教、風習の作家等のうちに詩人はあらはれた。彼らは未だ曾つて考へられなかつたやうな思想と行動と形式を創造し、それが人間想像の世界にうつされた時、狼狽した兵卒のやうな思想界を導く将星となつた。

●●●●●●●●●

あらゆる勝れた詩は無限なるものである。それはそのうちに槲の樹を潜在させる槲の実に似てゐる。つぎつぎに蔽ひを剥ぎとつて行つても、その最も内奥の裸身の美といふべき意味は決してあらはとなることがない。偉大な詩は永遠に叡知と歓喜とに溢れた泉である。或る一人、或る一時代が、それぞれの独特の関係に立つてそのほとばしりを汲み乾したと思つても、さらにつぎつぎのものが起こり、新しい関係が常に展開し、見えざる、知られざるよろこびの源泉となる。

●●●●●●●●●

詩人は不可知の神興の託宣者である。未来が現在の上に投げる巨大な影を映す鏡面、自らは知ることなく表現する言語、己はなにを叫んでゐるか知らずに人を戦に駆る太鼓であり、動かされたる力でなく動かす力である。詩人は世の認められざる立法者である。

●●●●●●●●●(仮名遣いはそのままに、字体は通用字体に変更)

※『詩の擁護』は入手しやすい上田和夫訳『シェリー詩集』(2007年改訳,新潮文庫)にも収録されている。



阿部知二訳。四六判、302頁。1936年(昭和11)4月20日発行(初版2000部)。定価1円20銭。装幀・刊行は長谷川巳之吉(第一書房)。

左翼運動が徹底弾圧された後、一部を除いてはラディカリズムらしき気風が時代の表舞台から退潮してゆく1936年に、この本が伏せ字無しの無修正で出版されたということは驚くべきことだ。ロマン主義など当局からは軟弱者の嗜みと見做されていたであろうことは容易に察せられるが、それにしても岩波書店、講談社、改造社といったアカデミックで社会性の強い出版文化を尻目に、高踏的、耽美的な豪華本ばかりを手掛けた第一書房・長谷川巳之吉の手になることを思えば、幾分か合点がいく(代表作は1925年の堀口大学『訳詩集 月下の一群』など)。
ちなみに長谷川は後にヒトラー『我が闘争』、大川周明『日本二千六百年史』といったファシズム本でベストセラーを飛ばしたが、1943年に内閣情報局に協力したことに自責の念を感じ、翌年すべての権利を講談社に売却して廃業した。

本書は現在においても貴重なシェリーの邦訳散文集であり、作家兼英文学者・阿部知二の仕事の中ではユニークな部類に位置づけられる。

さて、英文学史上最高の詩論の一つと云われる『詩の擁護A Defence of Poetry』の結語、「詩人は世の認められざる立法者である」は、アントニオ・ネグリの〈構成的権力〉論を手引きにすることでアクチュアルに読み解くことができる※1。
パンフレット『アイルランド人民に告ぐ』(1812年)のグレート・ブリテン憲法の優秀さについての自註で「出来上がった憲法よりも、その発端の精神の方がより望ましいと思っています」※2と述べているように、〈構成された権力〉としての憲法よりも、憲法を制定する力である〈構成的権力〉を重視しているからである。シェリーがこれに相当する論理を、(たとえ未熟ではあっても)理解していたことはまず間違いない。
ロマン主義のラディカリズムをアクティブ化させる上でこの点は注目に値するが、この話はまた機会を改めて論じることにしよう※3。


※1、アントニオ・ネグリ『構成的権力』(杉村昌昭・斉藤悦則訳,1999年,松籟社)、ネグリ/ハート『〈帝国〉』(水島一憲・酒井隆史他訳,2003年,以文社)
※2、『飛び立つ鷲 シェリー初期散文集』(阿部美春・上野和廣・浦壁寿子・杉野徹・宮北恵子訳,1994年,南雲堂)


【追記】
※3 拙稿「詩、そして形而上学。(上)」(『現代詩手帖』2018年2月号)





2012年7月1日日曜日

第1回読売アンデパンダン展(1949年)ステイトメント

わが美術界現在の状況は各派団体の乱立、展覧会氾濫の多彩な裏には依然として封建制、情実因縁、功利、政策等がいり乱れておよそ民主化とは縁遠い複雑、微妙の府といわれているが、これを打開粛正して最も高い芸術的創造の清新の気を吹きこむには一切の行きがかりを捨てて、完全な自由競争の形による最も民主的な展覧会方式とされているアンデパンダン展をおいて他にはありません。専門たると非専門たるとを問わず、また有名、無名を問わず全ての人に美術の門を無制限に開放し、これによってはじめて制作と鑑賞の自由が得られるものであります。
この故にこそ本社があらゆる困難と犠牲を忍び、わが国最初のこの展覧会を開催しもって美術革命を敢行した次第で、ここには如何なる党派も因縁も情実、垣根もなく、あるものはただ実力と創造であり、無制限に発揮される最も高い芸術への情熱であります。本社はこの企てが真の民主化を望む皆さんの共感を得ることを確信するものであります。


(テキストは赤瀬川原平『反芸術アンパン』より。但し通用字体に変換)

2012年6月15日金曜日

瀧口修造「寸秒夢、あとさき」より

マルセル・デュシャンという人は、死んだとき、遺言により葬儀もせず、公の死亡通知も出さなかったらしい。それでもルーアンの家族の墓地に葬られて、墓石には故人の意志により、こんな意味のコトバが刻まれたという。

さりながら死ぬのはいつも他人なり。

こんな川柳ぶしの訳ではデュシャンも地下で泣くであろうが、泣くデュシャンなど想像できぬことも事実である。それにしても「語っているのはつねに死せる人である」の感もなくはない。永遠の語りと永遠の沈黙との同存である。良心のために原文を。
D'ailleurs c'est toujours les autres qui meurent.


(瀧口修造『寸秒夢』所収,1975年,思潮社)