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2020年11月22日日曜日

中屋敷智生 薬師川千晴 二人展「制限と超越 二元性、その現象学と形而上学」2020.12.5~12.20 於 Space31(神戸)




 

【タイトル】制限と超越 二元性、その現象学と形而上学

【作家】中屋敷智生 薬師川千晴
【キュレーター】京谷裕彰
【会期】2020年12月5日(土)~12月20日(日) 13:00~19:00(最終日は18:00まで)12月9日(水)、15日(水)休廊
【会場】Space31
〒658-0054 神戸市東灘区御影中町1-8-3 メゾンユイト3F
TEL:080-1455-5906
【アクセス】阪神本線「御影」駅より徒歩3分/JR神戸線「住吉」駅南出口より徒歩10分
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 相対立するもの、二律背反するもの、両極に引き裂かれてあるもの、せめぎあうもの、差異は微妙でありながら相容れないもの、併存しながらも異質なもの、露わなるものと密かなるもの、真なるものと非真なるもの・・・。それらの存在に面前する、とはいかなることか? 意識や意志、あるいは創造性が二つの異なる要素ともろともに対峙する、あるいは回避する、そんな現象について感性や思考をめぐらせる。
 論理を内在的に表象する中屋敷智生さん、物理的に明示する薬師川千晴さん、二人の絵画が並び立つことによってしか開示されえないものへと意識を差し向けてみよう。その彼方には何があるのか? 
 京谷裕彰
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・ご来廊の際は、マスクの着用をお願いいたします。
・体調が優れない方、発熱症状のある方はご来廊をお控えください。
・混雑が予想される際、入場制限を行う場合があります。
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キュレーター・ステイトメント

・相対立するもの、二律背反するもの、両極に引き裂かれるもの、せめぎあうもの、差異は微妙でありながら相容れないもの、併存しながらも異質なものへ。意識や意志、創造性が二つの異なる要素ともろともに対峙することでしか志向できない領域について、あるいはまた、かかる存在や現象に面前するも回避せざるを得ない精神について、感性や思考をめぐらせる。

・二つの異なる要素とは、たとえば自と他、表と裏、奇数と偶数、右と左、上と下、前と後、光と影、プラスとマイナス、直線と曲線、など具体性をもった対として現象する場合もあれば、見えるものと見えないもの、有と無、真なるものと非真なるもの、などまったき抽象性の中でしか意識に上らないものもある。
 それら二つの異なる要素、その現象への面前を通じて、ある〈高み〉へと飛翔すること、〈彼方〉へと超えゆくことを、実存哲学を参照し、ひとまずは〈超越〉と呼ぶことにする。
 〈高み〉とは〈低み〉である場合もあろうし、〈低み〉こそが〈高み〉である場合もあろうし、〈彼方〉とは〈此方〉や〈後方〉にあるかもしれない。いずれにせよ一義的なものではない。

・制作の「制」という漢語には「つくる」の意があるが、「さだめる」「おさめる」の意もあり、その場合、制作行為は「作」を「制する」こととして何かを生み出すための〈制限〉を表徴する。〈制限〉がなければ形あるものを生み出すことができない芸術にあっては、〈制限〉こそが〈超越〉のための条件となる。
 一方で〈超越〉を回避したり留保したりすることもまた、〈制限〉であるに違いない。

・論理を内在的に表象する中屋敷智生さん、物理的に明示する薬師川千晴さん、二人が並び立つことによってしか開示されえないものへと意識を差し向けてみる。

・ここに〈美学〉や〈政治〉をめぐる現下の様々な情況を超えてゆく、希望と言い得るなにかを賭けられないだろうか。
 二人の作家それぞれの営為を通じ、私たちにとっての〈超越すること(自己超克)〉に、なにかしらの糧が得られればと考えている。

2019年11月3日日曜日

『現代詩手帖』2019年11月号「特集:瀧口修造、没後40年/追悼・長谷川龍生」 

前回生誕100年時以来、16年ぶりとなる瀧口修造特集に、鶴岡善久さんへのインタビュー「シュルレアリスムを生きる」と、論考「瀧口修造と冨士原清一、あるいは二人の守護天使」の2本を寄稿しています。さらに小林坩堝さんと中野もえぎさんより『薔薇色のアパリシオン』の書評をいただきましたので、冨士原清一関連が4本入っています。










































































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【特集Ⅰ】瀧口修造、没後40年 実験とは何か

◎インタビュー
鶴岡善久+京谷裕彰(聞きて) シュルレアリスムを生きる 瀧口修造と冨士原清一

◎インタビュー
巖谷國士 瀧口修造と「共時的星叢」 台湾国立美術館の展覧会から

◎座談会
久保仁志+山腰亮介+山本浩貴+h 「影どもの住む部屋」の余白に

◎論考
野海青児 寒冷な鏡面・瀧口修造の故郷
帷子 耀 「詩への広場」から
笠井裕之 瀧口修造1963  「オブジェの店」と「リバティ・パスポート」
京谷裕彰 瀧口修造と冨士原清一、あるいは二人の守護天使
早﨑主機 宮脇愛子「ウフフの人」を読む
山腰亮介 瀧口修造の〈余白〉 層|透明|痕跡|註記|影|編集(順不同)

◎作品
高貝弘也 鏡の鏡の鏡

【特集Ⅱ】追悼・長谷川龍生

◎対談
倉橋健一+細見和之 戦後詩の最後の一人が亡くなった 長谷川龍生の詩と生

◎エッセイ
平林俊彦 いつか何処かで
新藤涼子 夜明け前の空気のように
山田兼士 静力学と動力学 小野十三郎から長谷川龍生へ
城戸朱理 明晰さと狂気と
白井知子 「移動と転換」をコアに

◎追悼
川上明日夫 旅するお人 長谷川龍生
たかとう匡子 龍生さんの思い出
三井喬子 安らかにお眠りください
細田傳造 遭遇したということ
野沢 啓 龍生さんへの感謝
岩佐なを 解放区の長谷川さん
前川整洋 長谷川龍生先生に個人指導していただいて
森川雅美 弱い者へのまなざし
岸田将幸 最後の力

◎作品
和合亮一 おれは新しい靴のうらにごむをつけた 第27回萩原朔太郎賞受賞第一作
岡本 啓 野の切れはし #3

◎連載詩
片岡義男 より良いことを選択しながら 最終回
森本孝徳 暮しの降霊 Ass Meducation #3

◎連載
北川 透 《灰暗の森》を通る道 『「野性時代」連作詩篇』を読む(下) 吉本隆明、最後の詩の場所

◎連載
新井 卓 陽の光あるうちに 最終回
月永理絵 映画試写室より 最終回
浅見恵子 詩を生きる地 最終回
外山一機 俳句の静脈
井上法子 ここから、歌の世界は

◎月評
宗近真一郎 詩書月評
白井明大 詩誌月評

◎Report
伊藤浩子 明日へ Reborn Art Festival「詩人の家」

◎Book
内堀 弘 季村敏夫編『一九三〇年代モダニズム詩集』
中野もえぎ 襤褸と宝石 冨士原清一、没後七十五年
小林坩堝  京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』

◎新人作品  11月の作品

◎新人選評
阿部嘉昭、野木京子

増頁特別定価1430円(本体1300円)





2019年10月13日日曜日

詩誌『EumenidesⅢ』58号

【詩】
広瀬大志「乱樹師(ゴ・ザイラ)」
松尾真由美「中空での抗い、そのように育むものの」
小笠原鳥類「こわくない人形たち」
渡辺めぐみ「夏至を待つ」
京谷裕彰「ミドリムシとゾウリムシ、その別れ」
海埜今日子「水処(みずこ)」
北原千代「零れる音」
小島きみ子「月光」

【論考】
松尾真由美「アナイス・ニンという作家と詩的なるもの」

【詩集書評】
小島きみ子「無限なものへ至る表現」

【あとがき】

【広告】
京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』(共和国)





◆2019年10月20日発行
 A5判32頁 600円+ 送料
 編集発行人:小島きみ子 
 購読のご希望は eumenides1551◎gmail.com (◎→@) まで


2019年1月4日金曜日

パーシー・ビッシュ・シェリー「理想美讃歌」1816年(床尾辰男訳)

一

目には見えない「力」のおそるべき影が
目には見えないけれど われわれの間に漂っている。
それは花から花へとわたる夏の風のように
この定めない世界へ おとらぬ定めなさで飛来する。
それは松山の向こうに降り注ぐ月の光のように
不確かな光で ひとの心や表情を照らす。
夕暮れに目にする色合い 耳にする調べのように
星月夜の大空に広がる雲の群のように
消え去った調べの記憶のように
その美しさゆえに貴く
その神秘さゆえに さらに貴いすべてのもののように


二

美の精よ。照らすすべてのひとの思いや姿を
お前の色合いで染めて 神聖なものとする者よ。
お前はどこへ行ってしまったのか。
どうしてお前は姿を消し われわれの住処
この ほの暗く広大な涙の谷を 虚ろで侘しいものとするのか。
私は問う――どうして日光は彼方の渓流に
いつまでも虹をかけないのか。
以前は存在していたものが
どうして衰え 消えていくのか。
どうして 恐れや夢や 生や死が
この世の昼間の光に あのような影を投げかけるのか。
どうしてひとは 愛と憎しみ 失意と希望など
相反する感情を同時に抱きうるのか。


三

これらの問いに答える声が より崇高な世界から
賢者や詩人に届けられたことは かつてない。
それゆえ 悪魔や亡霊や天国といった言葉が
彼らのむなしい努力の記録として 残っているのだ。
弱々しい呪文だ。そんな呪文を唱えてみても
われわれが見聞きするすべてのものから
疑念 偶然 無常さを取り除くことはできない。
お前の光のみが 山々を越えて流れる霧のように
夜風に吹き送られてくる しめやかな弦楽器の調べのように
真夜中の小川を照らす月の光のように
人生の不安な夢に 美しさと真実性を与えてくれるのだ。


四

愛 希望 自信は 束の間とどまるだけで
雲のように去来する。
ひとは不死全能となるだろう。畏怖すべき未知の
存在であるお前が お前の輝かしいお供とともに
人の心の中にしっかりとどまっていてくれれば。
お前 恋人たちの目の中で 強まったり弱まったりする
共感を運んでくる者よ。
お前 消えかけた炎に勢いを与える闇のように
ひとの思いに力を与える者よ。
お前の影が訪れてきたときには
立ち去らないでくれ。
死後の世界が この世の生や恐怖のように
暗い現実であるかも知れないから。


五

子供の頃 私は亡霊を求めて 恐怖にみちた足取りで彷徨った――
静まり返った部屋や洞窟や廃墟を 星月夜の森を――
世を去った死者たちと高貴な語らいをするという希望を抱いて。
私は 若者が絶えず口にする有害な名前に呼びかけた。
答えは返ってこなかった。姿は見えなかった。
風が すべての生あるものに求愛し
生あるものは 目覚めて蕾と開花の知らせをもたらす
あの気持ちのよい季節に
私は 人生のあり方について深く思いをめぐらせていた。
すると突然 お前の影が私のうえに落ちたのだ。
私は金切り声をあげ うっとりとして両手を組み合わせた。


六

私は お前とお前が支配するものに私の力を捧げることを誓った。
私は誓いを守らなかっただろうか。
胸を高鳴らせ 涙を流しながら 正にいま
私は無数の時間の亡霊を その声なき墓から呼び出す。
それらの時間は 幻に満ちた部屋で
研究に没頭したり 恋の喜びに浸ったりして
私とともに たちまち明ける夜を明かした。
彼らは知っている――喜びが私の顔を輝かせることは
決してなかったことを。お前がこの世を
暗い奴隷状態から解放するだろうという希望
おお おそるべき美の精よ お前が これらの言葉が
表す以上のものを与えてくれるだろうという
切なる希望と結びつくことなくしては。


七

一日は 真昼が過ぎると荘厳さと清澄さを増す。
秋には 夏には聞かれなかった調べが聞こえ
夏には見られなかった輝きが空に見られる。
まるで夏には そのような調べや輝きはありえないかのように
夏には そのような調べや輝きがなかったかのように。
お前の力は 若い頃の受け身な私に 自然の真実のように訪れた。
その力が 今後の私の人生に 落ち着きを与えてくれますように。
私は 美しい精よ お前の魔力に縛られて
自分を大切にし 全人類を愛する者だからだ。

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床尾辰男訳『シェリー抒情詩集』(2006年、創芸出版)より



Hymn to Intellectual Beauty
 by Percy Bysshe Shelley ,1816

The awful shadow of some unseen Power
Floats through unseen among us,?visiting
This various world with as inconstant wing
As summer winds that creep from flower to flower,?
Like moonbeams that behind some piny mountain shower,
It visits with inconstant glance
Each human heart and countenance;
Like hues and harmonies of evening,?
Like clouds in starlight widely spread,?
Like memory of music fled,?
Like aught that for its grace may be
Dear, and yet dearer for its mystery.

Spirit of Beauty, that dost consecrate
With thine own hues all thou dost shine upon
Of human thought or form,?where art thou gone?
Why dost thou pass away and leave our state,
This dim vast vale of tears, vacant and desolate?
Ask why the sunlight not for ever
Weaves rainbows o'er yon mountain-river,
Why aught should fail and fade that once is shown,
Why fear and dream and death and birth
Cast on the daylight of this earth
Such gloom,?why man has such a scope
For love and hate, despondency and hope?

No voice from some sublimer world hath ever
To sage or poet these responses given?
Therefore the names of Demon, Ghost, and Heaven,
Remain the records of their vain endeavour,
Frail spells?whose uttered charm might not avail to sever,
From all we hear and all we see,
Doubt, chance, and mutability.
Thy light alone?like mist o'er the mountains driven,
Or music by the night-wind sent
Through strings of some still instrument,
Or moonlight on a midnight stream,
Gives grace and truth to life's unquiet dream.

Love, Hope, and Self-esteem, like clouds depart
And come, for some uncertain moments lent.
Man were immortal, and omnipotent,
Didst thou, unknown and awful as thou art,
Keep with thy glorious train firm state within his heart.
Thou messenger of sympathies,
That wax and wane in lovers' eyes?
Thou?that to human thought art nourishment,
Like darkness to a dying flame!
Depart not as thy shadow came,
Depart not?lest the grave should be,
Like life and fear, a dark reality.

While yet a boy I sought for ghosts, and sped
Through many a listening chamber, cave and ruin,
And starlight wood, with fearful steps pursuing
Hopes of high talk with the departed dead.
I called on poisonous names with which our youth is fed;
I was not heard?I saw them not?
When musing deeply on the lot
Of life, at that sweet time when winds are wooing
All vital things that wake to bring
News of birds and blossoming,?
Sudden, thy shadow fell on me;
I shrieked, and clasped my hands in ecstasy!

I vowed that I would dedicate my powers
To thee and thine?have I not kept the vow?
With beating heart and streaming eyes, even now
I call the phantoms of a thousand hours
Each from his voiceless grave: they have in visioned bowers
Of studious zeal or love's delight
Outwatched with me the envious night?
They know that never joy illumed my brow
Unlinked with hope that thou wouldst free
This world from its dark slavery,
That thou?O awful Loveliness,
Wouldst give whate'er these words cannot express.

The day becomes more solemn and serene
When noon is past?there is a harmony
In autumn, and a lustre in its sky,
Which through the summer is not heard or seen,
As if it could not be, as if it had not been!
Thus let thy power, which like the truth
Of nature on my passive youth
Descended, to my onward life supply
Its calm?to one who worships thee,
And every form containing thee,
Whom, Spirit fair, thy spells did bind
To fear himself, and love all human kind.


2018年12月24日月曜日

京谷裕彰「タコツボの中のネコの昼寝」(『ON THE EDGE』Vol.2と1/2号「ON THE EDGE GALLERY~解きほぐす、とき~」)


画像に含まれている可能性があるもの:室内 こんなふうに丸まったものをほぐして広げて延すと・・・


「富士わら紙」というコシのある料紙に、孔版で印刷。赤字は金子光晴「蛾」(1945年)の、青字は瀧口修造「絶対への接吻」(1931年)のそれぞれ冒頭箇所を重ねています。




◆京谷裕彰「タコツボの中のネコの昼寝」(『ON THE EDGE』Vol.2と1/2号「ON THE EDGE GALLERY~解きほぐす、とき~」,2018年11月)

  

2018年10月24日水曜日

しまだそう・中屋敷智生・池田慎・京谷裕彰「奇跡(とわ)の黄金比(めぐりあい)」Finch Arts(京都・木屋町-先斗町)

【制作の手順】
① まず京谷が短詩を七篇、短冊に書き付ける。
② 2018年正月、この短冊を、池田・しまだ・中屋敷、三人の美術家がそれぞれ二回ずつくじ引きみたいにして引く(各自が引いた短冊の詩は、この時点では引いた当人と京谷と立会人の西嶋みゆきだけが知っている)。その後は新年会。
③ 三人の美術家は引いた二枚の 短冊に書かれた詩をお題に、他の二人に引き継ぐための二点の作品を作る。残った一枚は共同制作のお題とする。
④ 2018年春、一人につき二点ずつの作品を持ち寄り、各自が他の二人に作品を引き継ぐ交換会を実施。この時、詩が全て明かされる。その後は途中経過作品を愛でながらの酒盛り。
⑤ 三人の美術家は引き継いだものに自由に干渉し、作品を仕上げる。
⑥ 詩はそのまま作品のタイトルとし、短冊はそのままキャプションとして使用する。
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フライヤは某激安スーパーのチラシ風にする。
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★《猪口才(ちょこざい)なこびとを愛撫するタコを眺めるムーミンはバカかな? (ちがう、失礼な・・・)カバです! (ちがう)・・・》 中屋敷⇒しまだ

【音声】https://www.youtube.com/watch?v=OhUO2nDnr3c
※会場ではQRコードをスキャンすると特設YouTubeサイトにジャンプして京谷による朗読音声が再生される仕組み。


★《私たちはね 豆腐の角に頭をぶつけて死にかけている瀕死の夢想者なの (はい、そうです)(か)》 中屋敷⇒池田
角を落した角材にペイントした中屋敷氏から引き継いだ池田氏は、絵具の色とまったく同じ色の糸をもって刺繍を施しています。
【音声】https://www.youtube.com/watch?v=y7QLAk_8ugI
裏返すとこんなかんじ。

★《「先生、スッポンとすっぽんぽんは関係があるのですか?」「スッポンは裸の亀だからスッポンなのです。」「ほんとですか?」「亀とは裸でありつつ裸でない存在なのです。」「・・・。」》 しまだ⇒中屋敷 

【音声】https://www.youtube.com/watch?v=ibQJy7DbbAk


★《道化師であり 河童であり 骸骨であり へのへのもへじである よ 菱の焼酎に溺れないで よ》 しまだ⇒池田

【音声】https://www.youtube.com/watch?v=QNUnswSaf-U

★《凡庸さ において 優秀な 官僚 としての 椎茸ド ロボー》 池田⇒しまだ

【音声】https://www.youtube.com/watch?v=szDNPkKp7Pg

★《「(最近の)高級車の顔はなぜ人相が悪いのか?」という疑問と「自己を抑圧する者は他者をも抑圧する」なる格言との間に挟まれて神経症に罹ってしまった可哀想なネコの話》 池田⇒中屋敷

【音声】https://www.youtube.com/watch?v=WlJZqdjSZMA

★《仏足石歌体(五七五七七七)による戯れ歌二首//
エロガッパ 想いは万感 濡れそぼち 宵待ち草に 更け待ち月の やる瀬もたたず/
松風に 溶けなずむ尻 拭き忘れ 色は匂わず しかばね起きる かりそめの閨(ねや)》
しまだ⇒中屋敷⇒池田 (全員の共同制作) 

【音声】https://www.youtube.com/watch?v=2ermedJl4WI


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◆「あの!しまだそう(ペイントマスター)とご存知!!中屋敷智生(トリックスター)と噂の!!!池田慎(ファンタジスタ)とまさかの!!!!京谷裕彰(ロマンチスト)が 奇跡(とわ)の黄金比(めぐりあい)」展
2018/10/6(土)~8(月),12(金)~14(日),19(金)~21(日)、Finch Arts(フィンチ・アーツ)https://www.facebook.com/finchartskyoto/ 
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「捕獲と脱糞」 京谷裕彰(詩人・批評家)

 20世紀前半に登場して以来、アブストラクト、シュルレアリスム、マルセル・デュシャンは現代美術の基層として、さながら持続低音のように響き続けている。これら三つの系譜を、中屋敷智生、しまだそう、池田慎がそれぞれに引き継いでいると言ってもあながち大袈裟ではない(ホンマかいな?)。なおかつ、そのどれでもあるような自由な創造性で我々の無意識を刺激し、異世界へと誘ってくれる三人が、それぞれに干渉し合う。

 この三人が、なぜこの三人なのか、なぜこの京都の雑居ビルの一室で干渉し合うのかは、自ずと明らかになりゃいいな、という程度のうすらぼんやりした希望的観測はまんざらでもない。京谷の詩を皮切りに三人が絡む、言わば三つ巴が四つ巴になった展覧会である。巴(トモヱ)とは人魂形に尾を引いた円が渦を巻くように拮抗したおなじみの紋様だけんども、京谷が昔36回のゲップで買った『日本国語大辞典 第二版』によると、「トモ」は友または共で、「ヱ」は絵だとかいう語源説があるんだから、なんとはなしにすがすがしい。
 ま、それはさておき干渉の鑑賞とはいかにも語呂がよい。(あるかないかもよくわからん)落とし所から滑り落ちながらひっかかる地点、そこから始まる何かに魂を飛ばしてみようではないか。
 ホモ・ルーデンス※の共演や、いかに・・・。


※homo ludens遊ぶ人、の意。

自動代替テキストはありません。
画像に含まれている可能性があるもの:テキスト



「奇跡は、自然法則にしたがった作用と相互関係にある。両者は互いに限定しあって、ひとつの全体をなす。この二つは、互いに止揚(アウフヘーベン)しあって、ひとつに結ばれる。自然事象なしに奇跡はなく、奇跡なしに自然事象はない。」
(ノヴァーリス『花粉』より、今泉文子訳)

2018年8月30日木曜日

吉野昇平展に寄せたテキスト「世界を触知する」(大阪市中央区/ギャラリー風)


 世界を触知する


 吉野昇平さんが写真に手を加えるのは、写真という手の届かない場所に収められた事物を、こちら側に、つまりヒトの側に接続する行為なのであろうか。
 〈在る〉ものを写し取った平面に手を加えることで現前した画像は、私たちの感性に少しの違和を催す。あるいは違和ですらないかもしれない、ほのかな感覚を催す。その現象は、〈自〉と〈他〉の、こういってよければ世界の境界線上で起っている。

 以前は植物がモチーフであったが、新しいシリーズでは折り紙である。

 折り紙とは、ただ一枚の平面体としての紙に、固い別の平面体に支えられたりしながら、手で力を加えることによって形を現出させる遊び(改めて言葉にする必要がないほど自明ではあるが、現象をなぞってみるならば実はさほど自明ではないことに驚く)。
 それを写真に収めたものの表面に、スクラッチやペイントで手を加える。制作のプロセスに、以前にもましていっそうの工程が重なったシリーズといえよう。
 このシリーズの鑑賞は、構図や色彩や形象、配されたモチーフにただ自由に感性をさらすこと、ただそれに尽きる。しかし視覚を通じて像が印象づけられるやいなや、色や形、手の動き、といったプロセスをほどいてゆく愉しみが訪れるかもしれない。あるいは少しの謎が、目や心を戸惑わせるかもしれない。鑑賞という行為それ自体が目と心の快楽でありつつ、やがて吉野さんの造形論理を理性的に読み解いてゆく時間が訪れる。情緒的なものが喚び醒まされたり、意味といいうるものが浮かび上がるかもしれない。
 ここには性急なものや、鑑賞者を急き立てるものはなにもないが、催された少しの違和(あるいは違和未満のほのかな刺激)が感性に対して効果的な働きを持っていることは確かであろう。
 かたどる手とかたどられた形、無機的なものから有機的なものへの生成、その情景。そこから媒介される印象は、客体であるという布置を越えて一方的にこちら側に迫ってくることがない。これは紛れもない優しさである。

 ここにある吉野さんの営みは、吉野さん自身にとっての存在証明であると同時に、私たちが世界に日々残してゆく痕跡、その営みの喩でもある。
 そうして世界を触知する〈私たち〉という存在の複数性への回路が、ゆっくりと立ち現れるのだ。
 そのとき〈私たち〉は、このささやかな営みがもたらすものに、この上ない安心感を覚えることだろう。


                           京谷裕彰(詩人・批評家)
 



◆吉野昇平 展 2018.8.20~8.28 ギャラリー風

2018年7月28日土曜日

詩誌『EumenidesⅢ』56号

表紙装画:芦田みゆき

【詩】
小笠原鳥類「「夜についての試論」試論」
松尾真由美「危ういものたちの交差の域」
広瀬大志「水辺の周知」
海埜今日子「翡翠」
髙塚謙太郎「わたしはあなたには帰る」
渡辺めぐみ「青」
京谷裕彰「天下の珍獣、饅頭を食す」
大木潤子「行方」
杉中昌樹「ウイ、ジャパニーズ」
海東セラ「動線」
小島きみ子「草間彌生の『無限の網』と/十六年目の(ケー子)」

【書評】
杉中昌樹「小島きみ子詩集『僕らの、「罪と/秘密」の金属でできた本』について」

【あとがき】

【広告】
共和国:京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』(近刊)


  

◆2018年7月31日発行
 A5判40頁 600円+ 送料
 編集発行人:小島きみ子 
 購読のご希望は eumenides1551◎gmail.com (◎→@) まで

塚本よしつぐ・宮田徹也・京谷による鼎談「作品とは何か?」2018.7.15 於、AIR南山城村




◆塚本よしつぐ・宮田徹也・京谷による鼎談「作品とは何か?」2018.7.15 於、AIR南山城村
【話題】
・作品が「成立」するとはどういうことか?
・作品と〈見る〉者の場。
・素材であるモノが、その形になるのを待っていたかのように現われるのが作品である(か?)
・作品とは(現前するものでありながら)、存在への〈開かれ〉である。
・・・・・・といった話。林真衣、塚本よしつぐ両者の作品からの反響、両者の言葉を交えて具体的に、すずろに、ときにシャープに。

2018年3月14日水曜日

長谷川由貴 個展「Node of Light and Shadow」に寄せたテキスト(spectrum gallery/大阪市中央区)

 長谷川由貴さんは美しい絵を描く。
 ところが、「美しい」という判断を経て心に落ち着く場所を確保するよりも先に、否応もなく湧き上がる感覚がある。それは、長谷川さんが描くことによって到達しようとする感覚、あるいは描くことを促した感覚にまつわるものであるのだろう。
 モチーフとなっている、絶対的な他者としての植物の存在感、植物が漂わせる気、あるいは信仰の場、神聖な場に漂う神気、など〈おそれ〉を催すものは〈崇高〉なるものだ。また、画題として付された言葉と絵には適度な距離があり、言葉はさしずめ詩でもある。その〈あいだ〉には、鑑賞者のために用意されたと思えるなにかがある。
 そんな長谷川さんの仕事はアカデミックな観点からすると、普通に具象絵画であり、植物画、風景画などと分類されるに違いない。一義的にはその通りで、それは間口の広さを根拠づけてもいる。しかし対象として植物や風景を描きつつも、心は超越的なものにしか向かっておらず、作家はここに確信をもっている。私はこのように超越性を志向する長谷川さんの仕事を、ある種の〈形而上絵画〉、とひとまずは位置づけることにしよう。
 近作では色彩もさることながら、光と影の表象、そのコントラストに顕著な特徴があり、とりわけ影を表象する〈黒〉は強い重力を帯びている。〈黒〉に引きつけられるのは、私たちの無意識そのものが、文字通り無意識裡に呼応しているからであろう。光を吸収し、何ものにも染まらない〈黒〉は、深淵としての〈闇〉でもあるが、それは私たちの潜在意識の内奥にある〈暗がり〉と、ときにあえかに、ときにまぎれもなく、結ばれる。実存へと反照する強さ、の基底でもあろうか。
 なにか超越的なものが作家の心身を通して描かせているのではないか、とも思っている。

                           京谷裕彰(詩人・批評家)
※会場配布テキスト





◆長谷川由貴 個展「Node of Light and Shadow」 2018.3.9~3.19
 spectrum gallery(スペクトラム・ギャラリー) 
開廊:金-月曜 13:30-19:30 / 日・祝・最終日 13:00-18:00
休廊:火・水・木

2018年3月9日金曜日

京谷裕彰「戦前期日本のシュルレアリスム、モダニズム、その表象の問題」(『詩と思想』2018年3月号「【特集】戦時下のアジア詩人―風車詩社/尹東柱」)


ホアン・ヤーリー監督『日曜日の散歩者』、イ・ジュニク監督『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』、二つの映画の上映にあわせた特集に、私は「戦前期日本のシュルレアリスム、モダニズム、その表象の問題」と題して14枚書きました。
台湾の若き詩人たちが手にした日本のシュルレアリスム詩誌、その運動史観をめぐっては、「日本のシュルレアリスムは瀧口修造以外みんなダメだった」的な評価がなんとなく、しかし根強くあるわけですが、戦後シュルレアリスムの普及に大きな功績のあった大岡信、飯島耕一の所論とその影響力の問題を指摘しております(もちろん彼ら二人だけの問題ではありませんし、瀧口が特別な存在だったのはゆるぎないのですが)。
これは1956~1958年に大岡や飯島も参加していた「シュウルレアリスム研究会」で共有された認識であること、この研究会は挫折してしまった戦前のモダニズム文学全般、とくにシュルレアリスム文学を検証することを通じて自分たちの世代の思想を練り上げるという明確な目的、その(歴史的)文脈のなかで共有されたものでした。
ですが今、戦前期日本のシュルレアリスムについて考え、そして実践する際、大岡、飯島の古いシュルレアリスム観から脱却して鈴木雅雄『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』が重視する〈痙攣〉(ブルトンの言葉)にシフトするならば、〈痙攣〉をキーワードにするならば、従来とはぜんぜんちがう風景がみえてくるという論です。日本の詩人たちも画家たちも台湾の詩人たちも、みんな投企されたものに〈痙攣〉したのです。
もう一点は、これもなんとなく使われている「モダニズム」という曖昧な言葉について、〈革新としてのモダニティ〉と〈反動としてのモダニティ〉という、近代性の二つの位相を、その都度その都度区分しましょう、という話。これはネグリ/ハート『〈帝国〉』第2部第1章の理論整理に基づいております。
モダニズム文学の、その潜勢力を個別に、的確に評価するための指標です。


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特集:戦時下のアジア詩人―風車詩社/尹東柱

【巻頭言】
原子修「今問われているもの」
【評論】
大東和重「台南の詩人たち―植民地の地方都市で詩を作る」
陳允元「植民地台湾におけるモダニズム詩運動 ―忘れられた風車詩社詩人たち」
松浦恆雄「台湾 レスプリ・ヌーボー の詩人 水蔭萍」
八木幹夫「西脇順三郎の詩と台湾詩人たち」
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岡本勝人「一九二〇年代の日本の文学―横断する遊歩性―」
京谷裕彰「戦前期日本のシュルレアリスム、モダニズム、その表象の問題」
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池田功「日本統治期の韓国文学管見―韓龍雲・李陸史・尹東柱を中心に―」
河津聖恵「映画『空と風と星の詩人』が教えてくれるもの」
愛沢革「尹東柱と「戦場の父」たちを訪ねる旅―映画「ドンジュ」にふれながら」
中村純「一編の詩で在り続けること―尹東柱が最後に暮らした街から―」
【映画情報】
映画『空と風と星の詩人―尹東柱の生涯』
映画『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』





◆土曜美術社出版販売 2018年3月1日発行 1300円+税 


2018年2月26日月曜日

京谷裕彰「詩、そして形而上学。(下)」(『現代詩手帖』2018年3月号「【特集】詩と哲学」) 

ウィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という有名な命題から説き起こし、偏狭なオカルティズムや傲慢な科学信仰に陥ることなく形而上学の広大な領野に分け入ってゆくための手引きとして、ヤスパースの〈包越者(ほうえつしゃ)〉論へと導きます。
そうして、〈愛〉にもとづく変革へ。

◎【特集】詩と哲学――新たなヴィジョンへ

◎対談 星野太+佐藤雄一
◎論考 細見和之、山内功一郎、小笠原鳥類
◎作品 野村喜和夫、千葉雅也

◎クリティーク
岩成達也 中動相についての覚書(上)
京谷裕彰 詩、そして形而上学。(下)
高塚謙太郎 抒情の奇妙な冒険(下)

◎新連載 伊勢功治 北方の詩人 高島高

◎短期集中連載詩 目黒裕佳子

◎連載詩 高橋睦郎、和合亮一

◎連載
粟津則雄 パリのランボー
久谷 雉 2000年代詩とはなにか?

◎作品
貞久秀紀、谷合吉重、若尾義武

連載
徳弘康代、月永理絵、新井卓

俳句時評 外山一機
短歌時評 瀬戸夏子

月評 峯澤典子、紺野とも

Requiem 三木卓 追悼・小長谷清実

Book
吉田文憲 佐々木幹郎『中原中也――沈黙の音楽』
土肥秀行 和田忠彦『遠まわりして聴く』
川上明日夫 現代詩文庫『三井喬子詩集』
武子和幸 金田久璋『鬼神村流伝』
小野原教子 ジョン・ソルト、田口哲也、青木映子訳編『レクスロス詩集』
田中庸介 新井高子編『東北おんば訳 石川啄木のうた』
栗原飛宇馬 十田撓子『銘度利加』
山嵜高裕 谷合吉重『姉の海』
鳥居万由実 中原秀雪『モダニズムの遠景』

Review
篠原誠司 涯テノ詩聲 詩人 吉増剛造展
鈴木余位 吉増現代 欧州ツアー
氏家和歌子 「編集者・谷田昌平と第三の新人たち」展
マーサ・ナカムラ ライブ「秋の夜長のあなんじゅぱす(う/た)」

Report
木戸多美子 仙台ポエトリーフェスティバル2017

新人選評
広瀬大志、岸田将幸

新人作品 3月の作品

◆思潮社刊 定価1280円(本体1185円)
http://www.shichosha.co.jp/gendaishitecho/item_2015.html