この間(ま)というものを日本独自のものと考える多田さんにとって、その導きとなるのが神道なのだそうだが、日本の基層信仰の中に淵源を見るという立場取りは多田さん自身のアイデンティフィケーションでもある。
画面に描写された、遠いものと近いもの、動くものと止まっているものとの間(あいだ)に明瞭なイメージが顕現することはない。どの作品も画面構成はいたってシンプルで、ねらいとするものを視覚イメージとして直示するわけではないのだ。
だが、その間(あいだ)にあるなにものかへと、意識を誘う力が確かにある。
間(あいだ)にあって、決して定位することのないゆらぎを探求しているのだろう。
現前するものの垂直化・階層化された秩序ではなく、水平的な秩序を見出す多田さんの実践を〈視線の詩学〉として捉えてみたい。そのように思った。
(以上の二枚はDMの表と裏)
The Third Gallery Ayaにて
2012.1.28(土)まで
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