しかし、人が何を美しいと感じるか、何をもって美しいとするかは一様ではありえない。
この〈美〉という概念に内包される意味の多様性は、定義づけという悟性的な行為をいとも簡単に退けてしまうほど、曖昧なものである。
それゆえ、その曖昧さは〈美〉をめぐる価値を共有する際の許容性や振れ幅ともなるのだ。
今、大阪西天満のギャラリーwks.で開催中のヤマダヒデキさんの個展「Beauty」は、この〈美〉をめぐる言語化できない価値の多相性を、視覚化されたメディアを通じて喚起しようとするインスタレーション・ワークである。
エントランスには花と女性の部分拡大写真が並ぶ。
黒い点は液体をスポイトで落としたもの。
フロアには大判の写真が二点のみ。向かい合うそれぞれの写真を緩衝する余白としての白い壁。
女性の表情もポーズも、意味づけられた秩序から浮遊している。
女性と向かい合うのは花群の写真(右端のみ)。
花と女性、それぞれの部分を拡大したエントランスの小品と、全体を表したフロアの大判2点とは対照的な関係にあるが、小品は大判作品をそのまま部分拡大したものではなく、そこには位相のずらしがみられる。
一瞥すると、黒い液体に塗れた花群は、黒い背景、多数、多彩、汚辱、静、といった要素が窺えるのに対し、白い背景に寝そべる女性の写真からは、単数、淡色、無垢、動、といった要素が浮かび上がる。
だが第一印象で得られた感覚は、見方を変えれば簡単に価値が変容することからわかるように、複数的な位相の対比関係がここでは仮設されているようだ。
向かい合う二つの写真の間にある白い壁と何もない空間は、花群と女性との、作家の視覚と対象との、作品と観者との、間(ま)としてあるように思えた。
◆ギャラリーwks.http://www.sky.sannet.ne.jp/works/
2012.2.6(月)-18(土)
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