翼一ぱい吸い込んでゐるのは無ではない。光だ。
蛾は、裸をみられてゐるのを意識して、はづかしさうにあゆむ。・・・・・・音はない。近づくけはひだけ。
灯をそつと吹き消すやうな音を立ててすり寄り、消える前の焔がゆらぐやうに翼をうち、
蛾は、その影とともに人の心の虚におちこみ、そこにやすらふ。
蛾は、数ではない。負数なのだ。
蛾のうつくしさ。それはぬけ殻ではない、ひ剥がれた戦慄なのだ。
汚され、破られ、すてられ、ふみにじられたいのちの、最後のさびしい火祭なのだ。
僕らの生きてゐるこの世界の奥ふかさは、恥となげきのうづたかい蛾のむれにうづもれ、
木格子を匍ひのぼり、街灯を翼で蔽ひ、酒がめにおちてもがき、
濠水に死んで浮かんでゐるあの夥しい蛾のむれに。
※中央公論社版『金子光晴全集 第二巻』、詩集『蛾』より(テキストの漢字は現行字体に変更)。
この詩は1945年8月、終戦の一週間前に書かれた。
(科野和子さんの蛾)
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