パーシー・シェリーの対話詩篇「ジュリアンとマッダロー」をようやく読み終えることができた。
この作品はトスカーナの山間の街バーニ・ディ・ルッカで暮らしていたシェリーが、1818年の8月、ベネチアに住むバイロンからの誘いを受け、彼のもとを一人で訪ねひと夏を対話と執筆のうちに過ごした、その時の経験を長詩にしたもの。
まったく性格も立場も異なる二人のロマン派詩人、シェリーとバイロンそれぞれを投影したジュリアン(聡明で慈愛に満ちた人物/シェリー)とマッダロー伯爵(完璧な天才であるが高慢な人物/バイロン)が、愛や美や真理について噛み合わない対話を繰り返すのだが、その埋まらない溝を橋渡す人物として一人の「狂人」が登場する。
この、恋人に裏切られ絶望の中で発狂した「狂人」のモデルは16世紀イタリアの詩人タッソーであるとされているが、この作品の背骨ともいえる「狂人」の200行あまりにおよぶ問わず語りの独白にはシェリー自身の思想が投影されていて興味深い。
この作品の語り手(一人称)は一貫してジュリアンであることを勘案すると、バイロンとの対話で感じた違和感や浮彫になった異質性への応答として書かれた作品なのだろう。この作品を目にしたバイロンの反応が気になるところだが、手元の資料では確認できるものがない。
序盤で挿入されるベネチアの街をめぐる叙景表現や抒情表現の美しさも素晴らしい。メアリ・シェリーの異母妹クレア・クレモントとバイロンとの間に出来た娘アレグラをモデルにした人物も登場するなど、伝記的な方面からの興味も尽きないが、創造への意志の力、ニヒリズム、崇高をめぐる美学の規準、といった現在につらなる美学的課題にも新鮮な刺激をもたらしてくれる作品である。もちろん、詩の文体研究においても学ぶところは大きい。
「最も不幸なる人びとは、
災禍により、涵養されて詩を生ずる。
彼らが、その詩において教える事は、彼ら自らが
苦しみの中に学びしものだ。」
’Most wretched men
are cradled into poetry by wrong:
They learn in suffering what they teach in song’
「狂人」の独白を聴いた二人は、彼と三人で大いに涙する。これは、その後マッダローが言った言葉である。
※「ジュリアンとマッダロー」の邦訳は高橋規矩訳『シェリー詩集』(1992,渓水社)にのみ所収。
シェリー
バイロン
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