2013年2月11日月曜日

"TRANSNATIONAL ART 2013" 於、大阪府立江之子島文化芸術創造センター

SOHO Art Gallery主催の現代美術国際交流展"TRANSNATIONAL ART 2013"から、心に引っかかった作品をいくつかピックアップ。 
群のなかの孤独、をテーマに制作をする藤原千晶さんのインスタレーション「真夜中の傷」。これらは蝶の形に抜きだされた紙であり、人の姿の喩でもある。

"浮遊感"や"ざわつき"をアニメで表現する今村知也さんの「FLOWERS 2012」も、蝶が視覚イメージの変成を刺激するモチーフとしてシンボリックに登場する。

マシュー・ファソーンMatthew Fasoneさん「Message in a Bottle」。
古びたボトルには紐で括られた手紙が入れられ、コルクで密封されている。これらの手紙は家族、友人、元教師、恋人といった作家の人生にユニークな影響を与えた人々に当てられたものだそうだが、瓶を破壊しなければ読むことはできない(つまり観客には読めない)。そして表面に付着した土は発掘のメタファーなのだと作家はいう。投瓶通信のような切実さや達観は感じられない。しかし、存在をめぐる時空の秩序が意図的に攪乱されてありながら、この作品がある脆さと繊細さによって辛うじてその布置を維持しているところに魅力を感じた。

劇団態変の舞台美術を手掛けたこともあるOKAさんは殻とともに生きるゆえに愛おしい"かたつむり"をモチーフに、シュルレアリスム絵画のオーソドックスな技法によって物語の種を提示する。その種は鑑賞者の空想から生まれる発声されない言葉によって発芽するのだろう。
フランシス・ポンジュの詩「かたつむり」には以下のような一節がある。
孤独、あきらかにかたつむりは孤独だ。あまり友達がいない。だが、幸福であるために友達を必要とするのではない。彼は実にうまく自然に密着している。密着して、完全に自然を楽しんでいる。かたつむりは、全身で大地に接吻する大地の友だ、葉の友だ、敏感な眼玉をして昂然と頭をもたげる、あの空の友なのだ。高貴、鷹揚、賢明、自尊、自負、高潔。
(『物の味方』阿部弘一訳,1971年,思潮社)

タムラグリアさんの大判タブロー「Hunter」。
小鳥(ズズメ目)の翼は枯れ枝、ではなくまさに芽吹かんとする枝のようだ。捕らえようとする人の手に、鳥は立ち向かっているのだろうか。
加世田悠佑さんの立体作品"Escape me alone"からのエコーが聞こえた。

いのとみかさん「みぎへならえ」(2枚一組の1枚)。
虫害に強いため文書や典籍の料紙として古くから使われてきた雁皮紙(がんぴし)を支持体に、作家の内面にすまう"いきもの"を描画することで人間の心理やさまざまな関係を表象。
雁皮紙は光を透過するので裏返しても鑑賞できるが、裏返さなくても後ろからみているような錯覚を楽しむこともできる。

wtnb..kanaさん「Bubbles」(4枚一組の1枚)。
不定形の穴が穿たれた白いパネルの下に見えるのは、油彩画の上を無色透明の樹脂で固めたもの。これは水面下から見上げた海の風景である。
波と光がつくりだす動的な自然の風景を描いたものと見做せば具象絵画ということになるが、その形象に意識を注ぐなら抽象絵画ということになる。

わにぶちみきさん「Boundary Line」(2枚で一組)。
彩りゆたかに描かれた模様の上から、キャンバスの中央部を帯状に残して白い絵の具をぶ厚く塗りつけている(中島麦さんと近似した技法)。そうして現れた線は、近づいて凝視すれば明確な線ではなくなる。だが、これがなにかを画する境界であることが頭から離れることはない。
上と下、右と左、赤と青、こちらとあちら、過去と未来、熱さと冷たさ、わたしとあなた・・・






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