古い市場の路地が溶け込み、壁が路地に溶け出したギャラリーZoneで開催された7人の作家によるグループ展「PRISM2013」から、若い4人の作家に迫ってみる。
★西嶋みゆきさん
金魚が群れる影像を象ったひとつの版を反復的に使った多色刷木版による、「みづかがみ -あちら-」(左)、「みづかがみ -こちら-」(右)。
対になる二つの楕円には、鏡、二枚貝、水面など複数の象徴が重ね合わされており、それぞれの位相において情緒的な解釈を喚びさます。
虚像も実像もまとめて映す真理への窓としての水鏡、女性同士の交わりきれない性交、慰みものである金魚、そしてそれぞれが照応的な関係にあること・・・など。
だがここには、小さく儚きものたちが群れることで生まれる力への信頼がある。同じ版をずっと使い続けていることからも窺えるように、一貫して。
★田中加織さん
「庭島(ピンク)」。
石と砂だけで山水をあらわす石庭、不老不死の薬を持つ仙人が住む山を象った台に縁起物を飾る"蓬莱山"、鉢植えを大樹のように観賞する盆栽、など何かを自然風景に見立てて愛でる慣習がこの国にはあるが、田中さんはそのようなものを愛でる人間の意識それ自体をテーマに描く。
人がそれぞれの内面に他者や世界についての身勝手な理想像を抱くのは、人が人たる所以であるともいえる。とはいえそれが人畜無害の多幸症的空想ならいざしらず、偏見や先入観そのものであることもしばしばなのだから、ことはそうすっきりとはいかない。
この派手な色彩は"どこにもない場所"としてのユートピアを、ポップに、あるいはグロテスクに象徴しているのだろうか。いずれにせよ、自分が抱いている理想像というものは、他人からすれば珍奇なものに見えたとて一向におかしくはない。
「月光山3」
★岡宏之さん
足元に設えられた木製の小さな階段に上がってヘッドフォンを装着すると、終始人の足音が聞こえるのに、モニターに人影が映るのは最初と最後の少しの時間だけ。下半身しかみえない透けた人影が階段を降りたり、昇ったり・・・。
階段とは上にあるものと下にあるものとの"あいだ"を繋ぐ通路であり、何かと何かを画する境界でもある。
階段に足を載せる動作にともなう身体感覚は、視覚(モニター)や聴覚(ヘッドフォン)との差異を一方で際立たせ、他方では感性を渾然とさせるが、ただ"あいだ"が存在することを浮かび上がらせるにすぎない。
この、表象できないものが存在することを表象するという、逆説的な方法を通じて何を見出すのかは鑑賞者の自由に委ねられている。
★わにぶちみきさん
「Boundary Line」
ゆたかな色彩で描かれた画面の中央部を帯状に残し、上下を白い絵の具で塗りつぶして現れた"水平線"は、内と外、自己と他者、など何かと何かを画する境界であり、何かと何かを対照するときの基準線にもなるだろう。構図はシンプルである。それだけに一枚一枚異なるテクスチャーが、視覚から意識への働きかけにゆるやかな階調をつくりだす。
以前拝見したのは赤と青2枚のタブローが対になったもので、それはいくつもの二項対立を喚起するものだったのに対し、今回は3枚一組で、寒色系が主体となった2枚の間にシャープな赤い線が走る1枚が、すっきりと入っている。
この熱く鋭利な赤い線は、はっきりとした意思を主張しているかのようだ。
社会性に開かれた三枚の絵は、静かでいて、力強い。
◆コンテンポラリーアートギャラリーZone 3/23~4/2
出展作家 : 岡宏之、岡村ヒロシ、田中加織、中崎宣弘、西嶋みゆき、西田真弓、わにぶちみき
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