鳥居状のオブジェは角形の棒ガラス3本を組み合わせて立てるときの原理的なあり方、丸形の棒ガラスによる球根植物状のオブジェは1本を立てるとき(1本が立つとき)の原理的なあり方を示している。
それがガラス〈である〉というだけで、なにか身心がざわつくような感じになるのだが、鑑賞の動線や距離感は作品が発するアウラとのつり合いがとれる場所に次第に落ち着いてゆく。とはいえ、危険で排他的なアウラであるとは思われない。不安定なものを安定〈させる〉ことの不自然さよりも、安定して〈ある〉ことの自然さがまさっているからであろうか。
それがガラス〈である〉ことの緊張感が、脆く傷つきやすい他者-人間であるとは限らない-との間に生まれる緊張感と相似的な関係をなしているのに気づくまで、さほど時間はかからないだろう。
感性が研ぎ澄まされるのは、それがガラス〈である〉ことによるのだから。
●TANIGUCHI Yoshimi "Glass Work Exhibition" 2kw gallery/2kw58 4/22~5/4
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