統合失調症を患い、数十年を過ごした精神病院で生涯を閉じた友原康博は中学生の頃集中的に詩を書き続け、それらは1995年に一冊の詩集としてまとめられた(『友原康博詩集 いざつむえ』編集工房ノア刊)。今回の展覧会ではその頃の生原稿が展示されている。
「アール・ブリュット」という名は作品を流通させるためにそれをそう名付ける必要があった市場の要請によるものであるが、そもそも創造性の表出とはそれが作品であるかどうか、あるいは名付けられるべきコードを備えているかどうかといったこととは本来関係が無く、いかなる本質にも絶対的に先立っている。それゆえ「アール・ブリュット」とは差し当たっての濫喩でしかない。
迸る情動を言葉ならざる言葉でひたすら書き綴った友原康博の「作品」が、詩なのか、詩でないのか、芸術なのか、非芸術なのか、そんなことはなんら重要ではないのだ。
ここに来て友原の言葉に心身をさらせば、既存の、あるいは「新しい」「オルタナティブな」と称しながらもいったん構成されると硬直化する堕落性を常に孕みもつ、美学の体制を内破する潜勢力を感じることができるだろう。
5/13、会場では友原の才能を見出した具体美術協会の嶋本昭三・浮田要三の両氏の対談と、著書『夜露死苦現代詩』で友原を取材した都築響一氏によるトークショーが開催された(写真は都築響一氏〔左〕と聴き手の樋口ヒロユキ氏〔右〕)。
◆ギャラリー1 5/7~5/27
通例に従い、右から左へと読んでしまうのだが(それも面白い)、実は友原の詩の大半は左から右へと改行されているのが特徴である。
返信削除右から左へと読んでしまった後、左から右へと読めば、それらが無意味な言葉の羅列ではないことに気づくだろう。