2012年5月24日木曜日

森村誠 展「Daily Hope」 於、TOKIO OUT of PLACE (東京・広尾)

森村誠(もりむらまこと)さんは英字新聞TheJapanTimes の紙面から、「h」「o」「p」「e」だけを残して一文字一文字修正ペンで消していくことで"hope"(希望)を浮かび上がらせようとする。来訪者は敷き詰められた新聞紙の上を歩きながら鑑賞することになる。



"pooh"(くまのプーさん)、"poe"(エドガー・アラン・ポー)、"pepe"(ペペ長谷川さんとか)といった名前や、"peep"(覗き見する)、"pop"といったもの、あるいは感嘆詞のようなものが目につく。 

奥には実際に体験できるコーナーもあり、やってみると思ったより難しい。これがいかに途方もない作業であるのかが実感できる。どうやら森村さんは独自の技法をもっているようだ。

h、o、p、e、たった四文字だけしかないのに、"hope"と並ぶ箇所を探すのは根気がいる。希望とは簡単に見つかるものではない、ということなのだろうか。
(ピンク色の傍線は筆者による画像処理)


これは修正液による点描であるには違いないが、何かを描くために点じるという加算的な方法ではなく、何かを見出すために消していくという減算的な発想に基づいている。


世界に痕跡を残すように、執拗に反復すること。そうすることで顕在化するもの。世界の中で。底なしの泥濘に。カオスの中から・・・。


森村さんの営みは、世界の低みへと降りていくことの中にある。
新聞というモノの性質ゆえ、一見すると俯瞰という立場を象徴しているようにも思えるが、そうではないことに気づくのに時間はかからない。
世界を、安全な高みから見下ろす数多の芸術的営みとは根本から異なっているのだ。


まるで世界の縮図を思わせる寓意性、批評性を内包した作品であることは、ここにくれば誰でも感じることができる。


ところで、新聞とは人々が世界への扉を開くためのメディアではあるが、普通は古くなると出版物としての扱いを受けず、緩衝材からペットのトイレまで、生活上使い勝手のいい便利な物質的素材として扱われるものである。


この修正液点描は、執拗な反復によってしか見いだせないものの隠喩や象徴として解することができるが、もしこれが個展として披露されるものでないならば、ようやく見出されたものも、そこにいたる執拗な反復行為それ自体も、人はそれと認識しないままに通り過ぎていくかもしれない。希望を見出そうとする人間の努力というものは、得てしてそういうものである。実に儚い・・・。


だがしかし・・・ではなく、だからこそ、そこに懸ける希望としての"hope"なのだろう。




TOKIO OUT of PLACE 5/3-6/3


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