マルセル・デュシャンという人は、死んだとき、遺言により葬儀もせず、公の死亡通知も出さなかったらしい。それでもルーアンの家族の墓地に葬られて、墓石には故人の意志により、こんな意味のコトバが刻まれたという。
さりながら死ぬのはいつも他人なり。
こんな川柳ぶしの訳ではデュシャンも地下で泣くであろうが、泣くデュシャンなど想像できぬことも事実である。それにしても「語っているのはつねに死せる人である」の感もなくはない。永遠の語りと永遠の沈黙との同存である。良心のために原文を。
D'ailleurs c'est toujours les autres qui meurent.
(瀧口修造『寸秒夢』所収,1975年,思潮社)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。