タブーは欲望にも転化するふしぎなエネルギーだ。
血のタブーにもいちじるしいものがある。
かみの毛が落ちているのはタブー感があるけれども、腋毛や、陰毛も、タブー感のあることはいうまでもない。特に陰毛は、性タブーの一類のように想われているけれども、荒木経惟のしごとのように、陰毛をけずりとったら何がわいせつさとして残るか、という問題がある。陰毛そのものが強力なタブーとしてあったのではないか。
乳房および母乳もタブーである。
性器もタブーだ。
Tr@shさん
にごたらこ、さん
パグ・リーさん
tk4mさん
中村趫さん(左)、中村鱗さん(右)
ナンシーさんのパフォーマンス「悪いお姉さん」
言葉がわれわれにとって重大なタブーであることは、それが口をついて身から出てくるものであることを想えば、もう多言を要しないであろう。くちはわざわいのもと、というではないか。そのばあいの「くち」とは言葉という意味だ。言葉は発せられることによって、人間関係をきずつけないわけにゆかない。文字に書きあらわされれば、筆禍といわれる事件になるのでなければタブー本来のちからをまっとうしたことにならない。
(テキストは藤井貞和『言葉の起源』序章より引用。1985年,書肆山田)
クーちゃん(♂)
◆10Wギャラリー 8/25~9/1
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