2012年3月19日月曜日

大歳芽里「CELL:EGG」/ジャン=リュック・ナンシー「アリテラシオン」

その場において、生ける者は場所の外へと跳躍する。

生ける者は場所を開き、自己からその場所を隔てる、その場所の現世的性格からこの場所を分離する、 

だが新たに、その現世的性格へとこの場所を再び結合させる、 

そしてこの現世的性格のなかでこの場所を置き換える、あたかも、今や律動化された場であるかのように、拍動し、みずからを持ち上げ、またみずからを空虚にする呼吸のように。

他者から、私の関節へと共鳴するもの、他者から、私の知らないあいだに、私の腱に緊張を引き起こしにやって来るもの、

私の骨に、内臓に、喉頭に、遊び=緩みを与えるもの、

私の頭蓋骨の縫合部のなかにまで滑りこんでくるもの

身体は自分自身の現前性から自由になり、みずからの構成を解きほぐし、接合を解体する。



あらゆる意味=感覚〔方向sens〕に先立つ意味、この意味=感覚はあらゆる意味=感覚を閉じ、次にはそれらをひとつずつ再び開く、そしてそれらすべての意味=感覚のあいだにみずからを滑り込ませ、それらの各々の根底へと跳び込み、ひとつの意味=感覚から別の意味=感覚へと跳び込み、自同なる身体と錯綜状態にある独異なる身体のあいだに、あるいは自同なる身体と錯綜状態の複数の身体のあいだに跳び込み、ひとつの身体を複数の身体となし、複数の身体をひとつのダンス状のものとなす。



大歳芽里(身体)・宮嶋哉行(ヴァイオリン)・酒井敏宏(映像)・飛び入りのこどもたち,gallerism in 天満橋/京阪モール8F,2012.3.17


text:ジャン=リュック・ナンシー/マチルド・モニエ『ダンスについての対話 アリテラシオン』Ⅴ「アリテラシオン」より抽出(大西雅一郎/松下彩子訳,現代企画室)。





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