辻も何度か書いているように、この世の中は己に忠実に生きようとすればするほど、生活に困窮するようにできている。
辻潤には、世人に比して特別に高望みがあったわけではないのである。
「自分はできるだけ明るい気持ちをもって、なるべく他人の邪魔にならないように、自分の好きな事をして、出来るだけこの世を楽しみ、セイゼイ長生きをした上で死にたいと思っている」(「ひぐりでいや・ぴぐりでいや」)ぐらいのことである。しかしそれが実は大変困難なことであった。辻は自分のこの単純にして穏当すぎる願望のために、ついに生きる術を失って、窮死に追い込まれてしまったのである。
玉川信明『ダダイスト辻潤』(1984年,論創社)より
落合を散策した11月24日は奇しくも陀ッ仙の命日であった。
ナビゲーターの中村惠一さんが用意してくれた花束を手向け、私たちは陀ッ仙を偲びながら手を合わせた。
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