村山知義・籌子(かずこ)夫妻が住み、ここには尾形亀之助、柳瀬正夢、小林多喜二、平林たい子らが出入りした。
間取り図。(2枚の画像は『アサヒグラフ』1924年3月19日号に掲載されたもの)
『女人芸術』1929年(昭和4)3月号に掲載された村山籌子「私を罵った夫に与ふる詩」(案内をしてくださった中村惠一さんの蔵書)。
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「私を罵った夫に与ふる詩」 村山籌子
1
私の夫よ、
あなたは私を豚と罵つた、
私は豚です、全く豚です、
アルカリ性の声を持つた
あの人の頬に接吻できるまでは
2
ああ、私は、
私を拒むあの人の鼻から吹き出す
湿った温室の空気の
又、もつれたブロンドの息を吸いたひ!
それはくさつた花束の中にのこつた
花の匂ひです。
3
私を浄めるものは
少しばかりくさつたこの聖なるものばかり
4
豚よ、豚よ、
みんなはお前を憐れむだらう、
たとへお前が
清浄に洗はれた
コンクリートの上に住んでゐても
豚は豚らしきが故に軽蔑されるであらう。
5
つまりは
愛人の息を吸ふにある。
その中に私は見る、
悲しさを、
美しさを、
又楽しき夢を。
6
私の夫よ、
あなたのたつた一言の侮蔑は
私をかく転生させる。
7
永遠の愛人よ、
子供らしき私よ
私の夫よ
万歳!!
(漢字は通用字体に変更)
この号の目次(クリックで拡大)。詩、小説、児童文学、社会評論、ジャーナリズム、などジャンルを問わず当時の女性文筆家の大半が寄稿していただけあって、錚々たる顔ぶれである。
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