2011年11月19日土曜日

2011年11月14日月曜日

クニト個展  於、Gallerly-58(金の美/東京・銀座/2011.9.12-9.17)

〔9月に見た展覧会の覚書として〕

1957年11月3日、ソ連が打ち上げた世界最初の宇宙船と同じ「スプートニク2号」と題された作品。
スプートニク2号には牝の犬が搭乗させられていたが、1週間で通信が途絶え、さらに打ち上げから162日後に大気圏に突入して消滅してしまったため、犬がいつまで生きていたのかということは謎のままになっている。
そこで、この犬が実は生き延びて宇宙人になり、再び地球に帰還するという物語が設定された。
今回の展示は軍事や科学という人間の都合によって犠牲にされた犬の物語を通じて、文明への様々な問いを促すインスタレーションである。


(なぜか会場写真がないのでDMで代用)



「スプートニク2号」と物語の上でリンクする、「ミステリーサイクリング」なる作品。正方形の大きな板の上に青森県六ヶ所村でとれた米を敷き詰め、玄米と白米による色分けによってミステリーサークルを描く。 使われた六ヶ所村の米については、栽培した農家のこと、収穫、敷き詰める作業などをめぐって複雑な逸話があることを、作家は話してくれた(ここで公表することは控える)。

米が敷き詰められたフィールドの上には「ミステリーサイクル」なる、象のようなパオパオ(藤子F漫画「ジャングル黒べえ」や「のび太の宇宙開拓史」のキャラ)のような、どこか間の抜けたオブジェが載っている。

この「ミステリーサイクル」、いかにもクニトさんらしく作りが凝っている。自転車の機構を備えた前輪駆動、前輪操舵の三輪車で、FRP製のボディの内側には車のシートが設えられてあり、実際に運転ができるのだという。
だが、鑑賞者にそれが見えるわけではない。
外側のハンドルやサドルはダミーというわけだ。

前輪の直径はわずか15㎝ほど。実際にこれを漕ぐとなると、相当な重さらしい。

後ろ側。この円形状に錨が打たれた箇所が搭乗口か?

放射能マークと原子核マークによるミステリーサークル。


クニトさんによると、このミステリーサイクルが通った跡にミステリーサークルができる、という物語設定。

このミステリーサイクルを運転するのが、宇宙から帰還した犬なのだろうか。

ひょっとすると、クニトさんのこれまでの作品ストーリーともどこかで交差するかもしれない。



米を樹脂で固めたタブローとしてのミステリーサークル。この形状は核分裂を意味する。


遊び心に満ちた作家の空想から生まれた物語を体現するインスタレーション。しかしその含意は重い。とはいえ、そのポップで奇矯な外観の割には意識の前面になにかが強烈に迫ってくるという代物ではない。

一見すると、視覚的インパクトの強いインスタレーションによってイメージを直示的に差し出しているように見えて、実はそうではないのだ。自己の物語世界を織り込ませた作品には、見る者との間において、イメージの変成という操作が巧妙になされている。だがそれは自己の私的な世界観によって彩られたスペクタクル空間に、見る者を誘い、ただどこかに連れていっておしまいという操作ではない。まったく逆なのである。それは詩的で、つつましやかな操作であり、見る者の意識を惹きつける重力と、突き放す斥力とが共存している。見る者は、重力と斥力とがつり合う場所を、この空間の中で自由に設定できるのだ。それによってリアルな問題系との間に緩衝地帯が現れる。
そして、このインスタレーションに込められた物語、所々に配された象徴、それらの象徴をめぐるエピソードだけに限らず、作品に使われた、米、FRP、自転車の機構、といった一つ一つの物質的な素材それ自体がもつ象徴的意味への想像力が、静かに喚び起こされることでさまざまな心的効果が生まれるのだ。

ところで、象徴symbolとはギリシャ語のsum-bolonに由来する言葉で、元来は二つに分けらたもの、という意味である。その分けられた片方ずつを持ち寄った者同士が、それらを合わせることで互いを承認するという符牒のようなものだが、それはある集団、ある共同体において価値を有する社会的なものでもあるのだ。うむ、そう言えば符牒という言葉も元来は割り符という意味で、そこから合い言葉という意味が派生したのだった。
芸術とはそのように人と人との間を結ぶ象徴symbolを生産する行為のことである、といえるのだが、クニトさんは物作りにおける職人的な技巧の中に、位相の異なる様々な象徴をさりげなく忍ばせているのだ。
だからクニトさんの物語は、物語として自閉することがない。

そこがヤノベケンジとは違うところなのではないか、そう見受けられた。作家としてこの世界に立つ、その立ち位置の違いか、あるいは世代的な特徴の違いか・・・。

なにやら小難しい話を書き連ねてしまったが、とりたてて難しく考える必要はない。クニトさんの作品をみながら空想に遊ぶだけで、象徴によってなにかしら心に刻印を受けることだろう。

それでいいのだ。

緩衝材としてのインスタレーションとでも、ひとまずは言っておこうか。








2011年11月8日火曜日

高熊洋平(書本&cafeマゼラン店主)さんによる映画『ダダッ子貫ちゃん』評

仙台の古書店マゼランの高熊洋平さんが、映画「ダダッ子貫ちゃん」(竹村正人監督)のレヴューを書いてくださいました。「無為にして為す」、ダダカン思想の神髄に触れる論評です。

http://blog.magellan.shop-pro.jp/?eid=724852