2017年3月14日火曜日

詩誌『EumenidesⅢ』53号


表紙装画:栗棟美里《キャベツ/Cabbage

【特集:私の詩と詩法】
平川綾真智
「楽譜という詩学」(論考)
「プレクトラムf」(詩)

【論考と詩】
小島きみ子
「現代詩の広い通路へと」(論考)
「〈他者〉の痕跡」(詩)

【詩】
広瀬大志「最後の詩篇」
小笠原鳥類「安全で安心なアマゾン」
松尾真由美「溶けて泳いで咲いていて」
高塚謙太郎「白い冬」
海野今日子「アブサン土偶」
京谷裕彰「いまにバキュームカーが逆噴射するぞ」
藤井わらび「99%」
海東セラ「羽ばたき」
山本崇太「アンジェイ"セシル"ノワレト自伝」
小島きみ子「僕らの、「罪と/秘密」の金属でできた本」

【詩誌評・詩集評】
小島きみ子「年末から新年にかけて読んだ詩集と詩誌」「未来の読者に手渡す詩集」

【あとがき】

◆2017年3月20日発行
 A5判64頁 600円+ 送料
 編集発行人:小島きみ子 
 購読のご希望は eumenides1551◎gmail.com (◎→@) まで

2017年3月8日水曜日

ウィリアム・モリス『民衆の芸術』(1887年)より


芸術がなかったならば、われわれは多くの時代についてほとんど何も知らないことになったであろう。歴史は、破壊を行ったがゆえに、王様や武人のことを記憶している。芸術は、創造を行ったがゆえに、民衆を記憶しているのだ。

◆ウィリアム・モリス『民衆の芸術』(中橋一夫訳、1953年、岩波文庫〈原書1887〉)


2017年3月7日火曜日

「われわれのデモクラート美術家協会について」(1952年)

創造の精神は本来来(くる)ものをも妨げず、何ものにも妨げられない独立と自由の精神から生まれるもので、これこそ形式や流派を離れて本質的に前衛の精神なのである。
われわれがかかる眼で日本の画壇を眺める時、果して画壇はわれわれの創造の精神を、より自由に解放してくれる場所であろうか。
大公募展の組織とその組織が必然的に生み落した政治的な
かけひきはわれわれの独立精神をおびやかし芸術家に自由の放棄を迫って少しも怪しまない状態である。
このような
創造とはおよそ縁のない、むしろ逆方向の精神に依存しながら制作することの如何に困難であり如何に絶望的なものであるかを我々は身をもって体験して来た。
われわれははじめ画壇の中にあって志を同じくするものと協力し、漸進的に組織の上部に働きかけ画壇を少しでもよい方向にむけようと試みた。しかしその考えが如何に甘いものであるかわれわれはやがて知らねばならなかった。こうした世界にあっては善意に根ざす協力は不可能であり、真摯な努力は隠然たる彼等の組織力にいつか併呑され、われわれの叫びは彼等の嘲笑の中にかき消されてしまったのである。そこでわれわれは一歩後退することを余儀なくされ、沈黙と孤立をまもりとうそうと試みた。これはつねにわれわれの良心が許し得る最後の場所でなければならない。しかしここでもわれわれは包囲され、無言のままほうむり去られてしまった。
審査、そして落選、彼等の画風――それは暗黙のうちに会を独裁し、一切の革新的なものを異端視する形式主義あり、すべてを独裁する黙契であるが、その画風にそわないものは会場で民衆の視線と語りあわない前に、闇から闇へとほうむり去られたのである。
もしこれ以上われわれが描きつづけるとすればわれわれは画壇にあって名声を獲るために芸術家の精神を放擲するか、妥協をきらって一生日かげで独り描きつづけるかのいずれかを撰ばねばならないだろう。前者は
創造精神を放棄した以上、画家であることをも放棄したのであり、後者はあまりにも消極的であって、彼の画面からは、恐らく現実逃避の弱々しさと、造形性貧困以外の何ものも生まれないだろう。
そこでわれわれは第三の道を撰んだ。この道こそ条件の中で、積極的な創作活動をまもる唯一の道であることをわれわれは過去の経験と、思索と、魂の希求と、敗れ去ったひとりひとりの歴史から確信するに至ったものである。
われわれは、われわれの創作活動をまもる組織を、最後までまもりとうすため、少しでも多くの協力者と手をつなぎたい。

デモクラート美術家協会
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※漢字・仮名遣いは現在通用のものに改め、読みやすくするため()内に読みを補ったり、明らかな誤植を改めるなどしている。

写真は久保貞次郎『瑛九と仲間たち』(1985年、叢文社)より。

2016年12月6日火曜日

「超現実と実存」(グループ展「私、他者、世界、生 ―現実を超える現実」コンセプトテキスト)

 〈私〉や〈他者〉を通じて〈世界〉を、あるいは〈世界〉から〈私〉や〈他者〉を知覚したり認識したりすることを通じて、人や人になぞらえられた影像を絵画に描出する行為は古今東西、広く行われていることであり、このような行為は無意識の領域に深く根ざしている。それだけに、感覚だけで了解できることもあれば、描画という行為や絵画における現象を読み解く行為を経なければ意味が浮かび上がらないこともある。
 本企画のタイトルは「私、他者、世界、生――現実を超える現実――」であるが、一人称〈私〉に続く言葉が人称を特定しない〈他者〉であるのは、自我を客観視する〈自己〉であるよりも前に、主体としての〈私〉であることが先立つのに対し、〈他者〉とは〈あなた〉であっても〈彼(女)〉であっても、〈誰〉であっても、〈私〉からは隔たった存在であることによる。ここに何を代入しようと自由なのだ。あるいは、偶然や必然がここに何かを代入する。それならば、〈他者〉とは人形や置物であってもいいどころか、人間や生物の影像である必要すらないかもしれない。

 ところで、日本語ではシュルレアリスム surréalisme(仏語)から派生した「シュール」という言葉が、非現実な、いわくいいがたいものを表す俗語として定着しているが、俗語化したことによってその潜勢力がスポイルされてしまった感がある。しかし一方でその軽さは、〈かろやかさ〉としてもあり、〈遊び〉心に浸透するものや刺激するものを指す言葉として感性になじみやすいものでもあった。それゆえ、ときに私たちの「軽薄さ」にもフォーカスされざるをえない。
 そのような俗語的なニュアンスとは違い、本来、シュルレアリスムとは非現実ではなく現実を超える現実、つまり〈強度の現実〉を志向する芸術思潮であるとされる。これはどういうことか。
 ここでは、身の周りに広がる、あるいは目の前の、いわゆる「現実」を超えてある、画面の中の現実のことをひとまず〈絵画における強度の現実〉とよぶことにしよう。
 そして〈絵画における強度の現実〉はどこまでも〈私〉と〈他者〉、あるいは〈私〉と〈世界〉との関わりのなかにあるため、〈実存〉をめぐる哲学の圏域と否応なく接している。〈実存〉とは事物存在とは異なり、本質に先立つ真実にして現実なる人間存在の独特のあり方、と一般には解説されているが、潜在意識の内奥の、その暗がりにあって人間の判断や行動をつかさどるもの、とするヤスパースやメルロ=ポンティの〈実存〉概念をとりわけ私は想定している。
 ところが、シュルレアリスムを〈実存〉という問題系において思考する議論はほとんど見受けられない。フランス現代思想において「実存主義」の立場からサルトルがブルトンを批判したことの残響を引きずっていることや、美術史が20世紀の出来事として整理していることにもよるだろうが、それよりも何よりも、シュルレアリスムを扱うとき、人はえてして客体として扱える距離を置くという態度を取りがちになる。なぜなら、実存に反照することへの恐れが、それを実存の問題として容易には扱えなくしてしまうという心理に起因するからだ。作品を鑑賞したり作品について語ったりする〈私たち〉が、他人事ではないと感じたり、無意識に跳ね返るものを感知して竦んでしまった経験は多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。
 だが、五感で感受するインスタレーションとは違い、作品と観者との間に適切な〈心的距離〉を確保しやすいことが絵画の特質であるという点は、シュルレアリスム絵画とて同じである。ただ、シュルレアリスム絵画には境界をゆさぶる力が顕著なため、関心を誘発しながらも最終的には接触させない(できない)距離を置くのがよい、とされるセオリーをも、しばしばゆさぶってしまうのだ。しかし、それでもなお〈遊び〉や〈かろやかさ〉はシュルレアリスムの大きな魅力であり、押しつけがましさ、僭越さとは逆の方を向いている。
 だとすると、ここには絵画の本質に迫る重大な何かが潜んでいるのではないか。これをキュレーターからの問題提起として受け取っていただきたい。

 ともかく、見た目がそれっぽい、といったビジュアルがシュルレアリスムを条件付けているのでないことは、明言しておきたい。また、動きあるものを固定する箍をつねにすり抜けるため、定義付けにもなじまない。ゆえあって定義がなされるとしても、それはいつも仮のものにとどまらざるをえない。シュルレアリスムとは、その人のなかではいつでも始まり、いつでも終わり、そしていつでも何度でも再開するものである。参照項としても生き方の哲学としても。

 今回ここに集う女性作家たちは、シュルレアリスム(的)か否か、という自覚の有無にかかわらず、みな〈絵画における強度の現実〉を制作において実践している。曖昧なままに厳格な、何かを描いているのだ。
 ゆえに、作品が「シュルレアリスムか」「シュルレアリスムでないか」といったことは大した問題ではないばかりか、主眼はそこにはない。
 それぞれの作家の営為を通じて、〈絵画における強度の現実〉、そして〈実存〉について考え、すでにあるものとは異なる視点から世界を再考し、異なる視点へと私たちの問題意識の領野を広げる機会としたい。
 この展覧会の主眼はそこに(だけ)ある。

                                                               キュレーター 京谷裕彰

★cf.谷川渥「美的距離の現象学」(『美学の逆説』所収,2003年,ちくま学芸文庫)






◆「私、他者、世界、生 ―現実を超える現実」 コンテンポラリーアートギャラリーZone 
2016.12.10~12.27
出展作家:OKA 川崎瞳 松平莉奈 松元悠 百合野美沙子 

2016年11月30日水曜日

行千草 展「―そして神戸 どうなるのかパスタ 賑やかな宴」(Space31/神戸市東灘区)

 《鱗の家・祝い・パスタ》2016,アクリル絵の具/ドンゴロス

行さんといえば、ドンゴロスを支持体にパスタなどの食がモチーフになった空想的な油彩画を描く作家として知られているが、神戸にちなんだ新作シリーズはすべてアクリル画でかろやかなマチエールと祝祭的な雰囲気を醸している。
視覚を通じて味覚や嗅覚を幻のなかで知覚し、命を育むものである食物を象徴化して描くというスタイルは変らない。
地平線が描かれた従来のシリーズも会場に並べられており、その対照性も楽しめる。ちなみに、日本の絵画において地平線が描かれるようになったのは、1930年代にダリの絵画(図版)が紹介されたことや満州への進出が契機といわれているが、これは地平線の向こう側にユートピア的なものを夢想する心理があったからだという。
行さんの絵の中の地平線(あるいは水平線)もまた、夢想が赴く彼方にある、理想的ななにがしかを象徴するものとして無意識裡に採用されたのであろう。

さて、そもそもドンゴロスという麻布を支持体に使い始めたもは「どんごろす」という音の響きがとても面白かったからだそうで、その語感が気に入って使い始めたところ、生(き)のままの質感に魅入られていったとのこと。

その行さんの絵は、ドローイングの線から遷移したと思しきパスタがずっとモチーフであり続けているかと思うと、別の絵では蕎麦になったり、リボンになったり、よくわからない装飾的な模様になったり、ひとつの絵の中で展開したり、あるいは別の絵に跨がったりしながら、自在に変化する。
制作時期によって多少違いはあるものの、行さんの絵の中ではモチーフが語感から連想されたり、形象の類似性から連想されたりしながら、イメージは換喩的に転位してゆく。
事物の隣接性をほどいたり開いたりしてゆくこのようなあり方は、20世紀のシュルレアリストたちが用いたデペイズマンとは異なった特徴を持っているようだ。

それらはとりとめもなく心にうつりゆくものであり、(たいていは)ささやかなものたちだ。
だから、ぼんやりと眺めているととても心地がいい。

 《―そして神戸 パスタが空をなでる時》2016,アクリル絵の具/ドンゴロス


 《酒・肴・松》2015,油彩/ドンゴロス

《縞馬・パスタ・虹》2011,油彩/ドンゴロス

◆行千草 展「―そして神戸 どうなるのかパスタ 賑やかな宴」 Space31 2016.11.25~12.4


2016年11月28日月曜日

詩誌『EumenidesⅢ』52号

表紙装画:つかもとよしつぐ

【エッセイ】
塚本佳紹「美しいということが、」
小島きみ子「『アシジの貧者』について」

【論考】
京谷裕彰「冨士原清一の詩「成立」とシュルレアリスムの明暗」

【連載詩】
渡辺めぐみ「戻っておいで――ルネ・マグリット作『誓言』に寄せて」
広瀬大志「星への帰還」
伊藤浩子「居室 (#3)」

【詩】
小笠原鳥類「魚の歌」
松尾真由美「たとえば静けさのないところ」
京谷裕彰「蝶の囀り」
北原千代「秋のミモザ」
高塚謙太郎「兵站」
藤井わらび「ある九月のアラン島で」
小島きみ子「彼方へ」

【エッセイ】
松尾真由美「詩と花が溶け合う場として」
小島きみ子「書評・夏に読んだ詩集三冊」

【あとがき】


◆2016年11月27日発行
 A5判68頁 600円+ 送料
 編集発行人:小島きみ子 
 購読のご希望は eumenides1551◎gmail.com (◎→@) まで


2016年11月14日月曜日

鍛治本武志 展「鏡の前で」(スペクトラムギャラリー/大阪市中央区)


鍛治本さんは、あらかじめつくっておいたデカルコマニーをパソコンに取り込み、(使う色の種類・数を制限する、デカルコマニーを眺めながら目となる位置が開示されるのを待つ、など)いくつかのルールを決めてオートマティック(自動記述的)な画面の構成を進めていく。

決めておいたルールの階梯を上った時、ぼんやりとしたものに従って感性が適切だと認知するものが降りてくるまでパソコン上での描画と推敲を続けるのだが、ここにはつねに試行錯誤が伴うため作業はパソコン上でなければなしえない。

一つの階梯を上って色や形象、象徴物の配置が定まったら、また次の階梯に上って降りてくるものを待つ。
このルールは、オフィスワークにおいて何か問題に直面すると改善策を講じるビジネスマンのエートスと逆向きでありながら、相似的ともいえる対照性をもっていることに瞠目させられる。
というのも、画像を構築していく過程で理性が介在しそうな問題に直面すると、理性で処理できないよう厳しいルールを課してゆくからだ。

そうしていくつものルールの階梯を経て、これ以上は進まない、というところまでたどり着いたところでパソコン上の作業を終える。
そして出来上がった画像を元に、ようやくキャンバスにアクリルで描画していく。しかし、このアクリル描画という作業はあくまでパソコン上で構築されたものの再現であるため、この段階でのオートマティスムは厳禁、というルールを課している。例えば色を置くときにはマスキングテープを利用する、濃淡が出ないようにする、など。
立体作品の場合でも、基本的には同じ論理で制作される(3Dプリンターで出力)。

以上のような制作のプロセスにおいては、逡巡、葛藤、精神的苦痛、といった状況が絶えず作家を襲うため、時間もかかるし、プロセス自体は遅い。

そこで想起されるのが、20世紀にアンドレ・ブルトンやフィリップ・スーポー、ポール・エリュアールらが試みた詩のオートマティスム(自動記述)の実験である。
詩のオートマティスムによる実験は、記述速度を高速化するに従って一人称「私」が表出された文から減少してゆくことで、主観に基づき幻想を展開するスタイルを離れ、客観が人間に訪れる瞬間を捉えることができるようになる、そういうものだった。詩人から画家へと波及した、絵画におけるオートマティスムも、基本的には速度が鍵となるオートマティスムであった。
鍛治本さんの方法は二十世紀における実験や実践とは外見上もプロセスも異なるのであるが、紛れもないオートマティスムなのだ。

その特徴をひとつだけ挙げるとするならば、何をおいても〈遅さ〉であろう。
制作のプロセスのひとつひとつの階梯において、啓示的ともいえる、超越的なところから降りてくる色や形象の描き留めが行われているのだが、描き留めという行為は、イメージ(というよりも無限へと方向付けられた輪郭のようなもの)を安定させるためのものでしかない。それは、暗号のようなものであるのだろう。

これをひとまず〈遅いオートマティスム〉と名付けることにしたい。

速度へのあこがれと恐怖とがない交ぜになって駆動するグローバル資本主義が発動する強制とは真逆のエートスである。また、真っ向から対立するかにみえてどこか斜な構えでもある。

この〈遅いオートマティスム〉がジャンニ・ヴァッティモらイタリアの思想家たちの提唱する〈弱い思考〉を想起させることは、特筆に値するだろう。
〈弱い思考〉は、目の前にある強制された秩序からの解放を求める人びととの紐帯を生み出す可能性を、つねに開いてゆくのだから。

鍛治本さんは云う、
「私はイタコです」
「自分が間違うことはあっても、絵が間違うことはない」、と。
間違うことのない絵とは、未だ開示されざる、来たるべき絵のことであろう。

鍛治本さんには、速さへの誘惑にたやすく負けてしまう者にはけっして見えないなにかが、見えているに違いない。




◆鍛治本武志 展「鏡の前で」 spectrum gallery  2016.11.11~11.28

2016年10月12日水曜日

小松原智史 展 「コノマエノコマノエ」(the three Konohana/大阪市此花区)

意識にまとわりつく「意味」への縛めから、つねに「無意味」の場へとすり抜けるように描き続ける小松原さんの二年ぶりの個展は、いつも「意味」に固執する私のアタマの中に澱んでいる夾雑物をすっきりとリセットしてくれるような、すがすがしさがあった。
描かれている図像そのものは、目を凝らしてみるとなかなかにおどろおどろしいのだけれど。そのギャップがとても面白い。

ギャラリーを後にするやいなや、その意味を考える時間に戻ってしまわざるをえない私にとっては、たとえつかの間ではあっても、小松原さんが描く場所に共にいる時間はさわやかなものだ。

入り口を入って階段を昇ると開けるホワイトキューブで展開するのは、設営中の期間を含めると約2ヶ月にわたって変化し続けるワークインプログレス作品。点々と設えられたタブローの外側へと増殖するように、壁一面にそれは拡がる。使っているのは墨と付けペン。

 初日(9月2日)の様子。

 10月10日の様子。

奥の和室に設えられた作品。

この奥の和室の壁は何枚ものタブローによって隙間なく埋め尽くされているのだが、ここには私たちの感性をざわめかせる、まるで情念が淵のように滞留したアウラがある。

それに対し、白い静謐な空間に線が引かれ、図像が次々と現れるホワイトキューブでは、アウラは滞留していたものを濯いでくれる、せせらぎのように流れていることが感じられる。
これは描き出された図像という現象、その微細で深い世界から、自然と適度な心的距離がとれることによるのだろう。そこにどんな秘密があるのだろうか。

いずれの部屋にあっても、絵画におけるオートマティスムを、極めて高い純度で実践する作家の営みに立ち会うことができる。



◆小松原智史 展 「コノマエノコマノエ」(Konohana’s Eye #13) the three Konohana 2016.9.2-10.16

2016年9月24日土曜日

島尾敏雄「非超現実主義的な超現実主義の覚え書」(1958年)より

眼に見えたかたちだけが安らかだと思いたがる傾きがあって、眼に見えないものにはおそれが先立つ。眼に見えたもののようになにかが表現されていなければ、落ち着きを失い、それはじぶんとはかかわりのないどこか違った世界のできごととして避けてきた。理解しようとこころをうごかすまえに、しりごみして、その影響のそとにでたがる。しかし眼に見えたかたちだけでは理解できない無数のものに取りかこまれていることを認めると、足がすくんでくる。それはわれわれをなやまし続けている亡霊のひとつとなった。しかしそれを拒否するだけでは、その知ることのできないゆがんだかたちのものにますますおさえつけられるばかりだから、限りなき小胆が、しかしどこまでも、かたちのはっきりしたものだけを、そうでないものから区別して、じぶんの味方にしようとはたらきはじめ、しかしわれわれは対象を崩したり組みたてたりすることになれていなかったから、対手はおさえようもなく大きくなって行くばかりだ。それらはからみ合っているために、意識すればますます窮屈な場所に身をちぢめこめなければならないことになった。知ることのできないゆがんだかたちのものは、こちらを併呑した。それはどんなにかわれわれを威嚇したことか。区別し隔離することに失敗すれば、われわれは敵のただなかに武者修行をはじめなければならぬはめになった。敵は亡霊のなかだけでなく、その利用者としても現れていた。小胆を表札にかかげておいても、敵は容赦なくひとのみにおそいかかってくる。
 仮に自らを処分しなければ、この無慈悲なこころみのなかで、習熟し馴狎することのないぶざまな舞踏を舞い続けなければなるまい。その舞いも又連続させられず、そのため、ぶざまな状態に習熟することさえない。習熟するかとみえると断絶におそわれそしてその断絶の淵におちこんだまま凍死することもできず、又もや習熟の場にはいあがって行く。それは永久にくりかえされる機構だ。そこから脱けでたいと考えるが、あらゆるつばさはもぎとられているから、脱けでて行く道はふさがれているようなのだ。ひどいはじらいが、対象を切りくずし且つ組みたてる技術に手をつけることをさせず、素朴でおかしな胎内旅行がはじまり、それを続けなければならない。さわやかな光はみな手前でそれて流れて去ってしまい、光の利用者たちが凱歌をあげているおそろしい声からのがれられない。が又してもはじらいが湧きあがり、もはや転身しなければ、効果を期待することはできないと考えても、なおこの場所をぬけ出せない。やがて、天地はくらみ、かすかながら与えられていた、うすぐらい、ごく身の廻りの光をも失ってしまうと、「眼に見えたかたち」は喪失してしまう。当然そこに安らぎが広がり、眼に見えないもののおそれは、その安らぎに場所をゆずる。あれほどおそれていた敵は依然としてあるが、敵の眼の下で、ゆるやかに表現のしみが広がって行く。「かかわりのないこと」がなくなってしまったのではないが避ける気遣いに心くばることなく、表現じしんが、みうちの満ちてくるときめきを覚え、日常は夢の中にも侵入する。しかしもはやその日常は超現実とも言えない。われわれの周囲の「眼に見えたかたち」だけの現実もそこに持ち込まれ、眼に見えたままに表現されていないような装いが生まれてきても、眼に見えないもののおそれをじぶんのうちがわに消化してしまったのではない。それは、つと逃げてなおその外側に、はなれたままぼんやりとそしてはっきり位置をもつ。広がった日常はいっそう危機に追い込まれる。これがわれわれの現実の広がりを獲得するについての理解の程度であった。ついにわれわれはシュールレアリスムをつかみだすしごとに成功しなかった。(以下略)

◆島尾敏雄「非超現実主義的な超現実主義の覚え書」(『非超現実主義的な超現実主義の覚え書』所収、1962年、未來社[初出:『映画批評』1958年2月号])


日本におけるシュルレアリスム運動の挫折、それへの批判を、実存の問題として語る。






2016年8月4日木曜日

冨士原清一『魔法書或は我が祖先の宇宙学』より

「成立」

Wir suchen überall das Unbedingte und finden
 immer nur Dinge -Novalis


夜の子宮のなかに
私は不眠の蝶を絞殺する
私の開かれた掌の上に
睡眠の星形の亀裂が残る

   ★

風はすべての鳥を燃やした
砂礫のあひだに錆びた草花は悶え
石炭は跳ねた
風それは発狂せる無数の手であつた

溺死者は広場を通過した
そして屋根の上で生が猿轡を嵌められたとき
夜は最後の咳をした

   ★

かの女は夜の嵐のなかに
鉛の絲を垂れて
かの女の孤独の影を釣る

   ★

泥が泥を喰ふ
石が石を粉砕する
沈黙が沈黙の喉を絞める
不幸が不幸を下痢する

早朝私の影は穴倉から
血の繃帯を顔に巻いて出てくる
蒼白な風の平原
そこで私は風の首を切断する
私の頬は打ち倒された
私は私の顔を喪失する

肉体の周囲に
死は死人のごとく固い

   ★

沼が泥の足で入つてくる
壁のなかで蕈が拍手する
肉体は久しいあひだ
寝台の上に忘却されてゐる
肉体それはつねに荒地である
そこでは臓物の平原のなかを
血尿の河が流れる

私はながい孤独の雪崩の後に
疲労の鏡を眺めて
顔面に短剣で微笑を鏤める

   ★

蛹 それは成立である
蝶 それは発見である

   ★

火薬のごとき沈黙があつた

私の唇は砕けた
そして背後に打ち倒された私の頭は
襤褸屑になつた手たちを眺めた

足はいつまでも立つてゐた
打ち込まれた斧のごとく

   ★

家のなかの見えない岩石
私は衝突する
私は傷つく
私は覆へされる
家のなかの見えない岩石
ただそれが巨大であることだけを
私は知つてゐる



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日本におけるシュルレアリスム詩運動の中心人物だった冨士原清一(1908-1944)は、生前、一冊の詩集も残さなないまま戦争に召集され、ビルマで戦死した。
詩集『魔法書或は我が祖先の宇宙学』(1970年、母岩社、[限定100部])は鶴岡善久の手によって編まれ、瀧口修造が夭逝した友に宛てた序文「地上のきみの守護天使より」を寄せる。
ここに紹介する詩「成立」は1933年[昭和8]6月、雑誌『文学』に掲載された。

シュルレアリスム詩が、〈実存〉をめぐる哲学の圏域と深く交わっていることを窺える佳作である。


見返しに綴じ込まれた深沢幸雄の銅版画(エッチング)


◆冨士原清一詩集『魔法書或は我が祖先の宇宙学』(1970年、母岩社、[限定100部])
序文:瀧口修造
編者:鶴岡善久
オリジナル・エッチング:深沢幸雄
装画・装幀:高橋安子