2020年11月22日日曜日

中屋敷智生 薬師川千晴 二人展「制限と超越 二元性、その現象学と形而上学」2020.12.5~12.20 於 Space31(神戸)




 

【タイトル】制限と超越 二元性、その現象学と形而上学

【作家】中屋敷智生 薬師川千晴
【キュレーター】京谷裕彰
【会期】2020年12月5日(土)~12月20日(日) 13:00~19:00(最終日は18:00まで)12月9日(水)、15日(水)休廊
【会場】Space31
〒658-0054 神戸市東灘区御影中町1-8-3 メゾンユイト3F
TEL:080-1455-5906
【アクセス】阪神本線「御影」駅より徒歩3分/JR神戸線「住吉」駅南出口より徒歩10分
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 相対立するもの、二律背反するもの、両極に引き裂かれてあるもの、せめぎあうもの、差異は微妙でありながら相容れないもの、併存しながらも異質なもの、露わなるものと密かなるもの、真なるものと非真なるもの・・・。それらの存在に面前する、とはいかなることか? 意識や意志、あるいは創造性が二つの異なる要素ともろともに対峙する、あるいは回避する、そんな現象について感性や思考をめぐらせる。
 論理を内在的に表象する中屋敷智生さん、物理的に明示する薬師川千晴さん、二人の絵画が並び立つことによってしか開示されえないものへと意識を差し向けてみよう。その彼方には何があるのか? 
 京谷裕彰
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・ご来廊の際は、マスクの着用をお願いいたします。
・体調が優れない方、発熱症状のある方はご来廊をお控えください。
・混雑が予想される際、入場制限を行う場合があります。
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キュレーター・ステイトメント

・相対立するもの、二律背反するもの、両極に引き裂かれるもの、せめぎあうもの、差異は微妙でありながら相容れないもの、併存しながらも異質なものへ。意識や意志、創造性が二つの異なる要素ともろともに対峙することでしか志向できない領域について、あるいはまた、かかる存在や現象に面前するも回避せざるを得ない精神について、感性や思考をめぐらせる。

・二つの異なる要素とは、たとえば自と他、表と裏、奇数と偶数、右と左、上と下、前と後、光と影、プラスとマイナス、直線と曲線、など具体性をもった対として現象する場合もあれば、見えるものと見えないもの、有と無、真なるものと非真なるもの、などまったき抽象性の中でしか意識に上らないものもある。
 それら二つの異なる要素、その現象への面前を通じて、ある〈高み〉へと飛翔すること、〈彼方〉へと超えゆくことを、実存哲学を参照し、ひとまずは〈超越〉と呼ぶことにする。
 〈高み〉とは〈低み〉である場合もあろうし、〈低み〉こそが〈高み〉である場合もあろうし、〈彼方〉とは〈此方〉や〈後方〉にあるかもしれない。いずれにせよ一義的なものではない。

・制作の「制」という漢語には「つくる」の意があるが、「さだめる」「おさめる」の意もあり、その場合、制作行為は「作」を「制する」こととして何かを生み出すための〈制限〉を表徴する。〈制限〉がなければ形あるものを生み出すことができない芸術にあっては、〈制限〉こそが〈超越〉のための条件となる。
 一方で〈超越〉を回避したり留保したりすることもまた、〈制限〉であるに違いない。

・論理を内在的に表象する中屋敷智生さん、物理的に明示する薬師川千晴さん、二人が並び立つことによってしか開示されえないものへと意識を差し向けてみる。

・ここに〈美学〉や〈政治〉をめぐる現下の様々な情況を超えてゆく、希望と言い得るなにかを賭けられないだろうか。
 二人の作家それぞれの営為を通じ、私たちにとっての〈超越すること(自己超克)〉に、なにかしらの糧が得られればと考えている。

2020年10月18日日曜日

「〈色〉はなにを映すか」(今野和代詩集『悪い兄さん』書評/『交野が原』88号)

今野和代詩集『悪い兄さん』(思潮社)
〈色〉はなにを映すか

 京谷裕彰

  恐ろしく重く、恐ろしく軽い詩集である。オレンジ色の透けたカバーの向こうから眼差す、いびつで、不敵かつ恐々とした印象の、悪そうな兄さんの表情を、カバーをめくって直視するには勇気がいった。ろくでもないなにかに伝染してしまうのではないか、そんな不安がよぎる。もちろんなんの根拠もない。
  だが、頁を開けばいきなり飛びこむ「「かくめい は 腐りました」」(「ひかる兄さん」)。根拠のない不安は霧消するか。知らん。「うつろ」なモードの脳内に響きわたる今野さんの声に向き合えるようになるには、空想と思索と瞑想と貪食と惰眠の中に沈み、なずまねばならなかった。無意識の奥底にまで衝迫する今野さんの声は、『悪い兄さん』の声は、なにより第一に土手っ腹に響く。そして視覚イメージと匂いの洪水。
  最初に激烈に突き刺さったのは「堕天使色」なる詩語だった。「ぼうぼう 焼けてく 天草四郎/四郎 焼け 焚け いかりの炎/賛美歌 届かぬ 呆けた空は/堕天使色した あんずの雲が/ちぎれ とぎれに 飛ぶばかり/わたしの目玉になだれて来るのは/ゆうやけぐるみの潮騒の海/ちかちか 点滅 嘆きの灯台」(「ゆうやけのうた」)。時空を超えた場所から、かつてこの世に生を享け、生き、そして死んでいった無数の命の苦しみ、嘆き、悲しみ、怒り、が渦巻くように言寄せられる。だが、カバーの色と観念連合してしまった「堕天使色」は、甘酸っぱいオレンジの色でもある。そうはいってもオレンジの皮は苦い。くびり殺された「ビターフルーツ」たちの、断末魔の情景は「日出ずる国の/狂った沸点の夏」(詩「ビターフルーツ」)にのぼせていた私には直示がためらわれてどうしようもない。
  堕天使色の他にも、不思議な色は詩集を通じて現れる。
  「瞽女さんが一列になって歩いていく/エメラルド色した畦道」は「夢の中で聞いた/レーニンの野太い声」や「ロルカの腹に撃たれた銃声」や「ブルース」やとともに「ちいさなまるいノクターン/の旋律になって/はるかな遠い空に/わたしごと/吸いあげられていく」(詩「かなとこ雲」)。
  「エメラルド色の香気たつ/オリーブの実と黄金の檸檬の籠」に、「あけび色の絹のドレス ニンフの羽根の奔放さ」、「トパーズ色の夜あけ」がきたら、「盲目の   乞食の   ガーベラ色の   火傷」は癒えるのだろうか、癒えないのだろうか。「わたしは何をあげよう あなたは何をくれる?」、なんだろうか。「女神イシュタルの首かざりのような/七色の光の粒がきらめき波打つ金の髪の匂い?/わたしのなか 七つの暗い秘密のおののき?/潮騒になって押しよせてくる七つの怒り?/神も気づかぬ わたしの七つの痛み?」(詩「マリア」) 「七色の光の粒」は虹の色。それは希望の色ではないか。瞑想するように絵筆を執るカラヴァッジョが、蚊帳の外でたたずむ姿が浮んでくる。カラヴァッジョが描いているのはもちろん《法悦のマグダラのマリア》である。
  〈7〉という数字は、ピアノの白鍵の音階の数であり、前近代の七曜を構成する七つの惑星、月、火星、水星、木星、金星、土星、太陽であり、チャクラといわれる身体の中心を走るエネルギーセンターの数であり、さらにはキリスト教が説く七つの罪と七つの徳(謙遜対高慢、慈悲対嫉妬、節制対暴食、純潔対色欲、忍耐対憤怒、寛大対羨望、勤勉対怠惰)を想起させる。そしてホドロフスキーが説くタロットの数秘では、〈7〉は喜びや美や快楽を象徴する〈6〉を経て、世界における強い能動をあらわす。だが不適切に用いられると、その莫大なエネルギーは破壊的にもなるという〈7〉。 
 しかしいずれにもせよ、〈7〉はパワフルだ。「七色」は「玉虫色」で「デタラメの色彩」なのかもしれないが、「きらめく光の空」で「マリアのあまいミルク」は「乳房」から「無尽蔵に 七色にほとばしる」(詩「悪い兄さん」)のだから。その七色はパワフルな救いには違いない。救いのない「夜明けの黒いミルク」(パウル・ツェラン「死のフーガ」)がつねに影のようにへばりついた世界だが、それでも「マリアのあまいミルク」は生をはぐくみ、心身の飢えや渇きを癒やす救いには違いない(はずだ)。誰にとっても。そして〈7〉は、詩「マリア」から、詩「私は七月の」へと導いてくれる。
  〈声〉。人間が近代を獲得してからの歳月、とりわけここ数十年の歳月に、大人の愚行によって屠られた子どもたちの声なき声に、意識を向けるべく呼びかける詩人の声に、消えていった子どもたち、大人たちの姿が凄まじい勢いで、凄まじい厚みで、交錯する詩集。やっぱり手になんて負えん。あかん。
  様々な出来事が醱酵したり焼成されたり石化したり風化したりして砂漠の砂粒になったような、どんよりした感情が、どうしようもない重みになった詩集。それが詩集『悪い兄さん』の恐ろしいまでの重さの正体なのか。だが、それらは「とるに足りないもの」として忘却の彼方に消し去ろうとする力の前にはあまりにも儚い。生の重みをかえりみもしない輩どもが軽くあつかう、そのどうしようもない軽さ。それがこの詩集の恐ろしいまでの軽さ、なのか。
  だが、一篇一篇の詩が導いてくれる、ほんのかすかな希望の光は、束になれば強い光になりはしまいか。量をもった強い光になりうるか。光はあるか。
  詩集を閉じたとき、表紙にたたずむ悪そうな兄さんに「てめえに訊いてみなよ。あるんじゃねえの?」って言われたような気がした。

  「強く抱きしめるとどうしたことかふいにわたしはきみで/きみはわたしになってわたしはきみに抱かれていた」(詩「SPRING RAIN VOICE」)。

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 (詩誌『交野が原』88号(2020年4月)より転載)

◆今野和代詩集『悪い兄さん』思潮社、2019年9月刊

 装幀=中島浩、装画=木村タカヒロ


 

2019年11月3日日曜日

『現代詩手帖』2019年11月号「特集:瀧口修造、没後40年/追悼・長谷川龍生」 

前回生誕100年時以来、16年ぶりとなる瀧口修造特集に、鶴岡善久さんへのインタビュー「シュルレアリスムを生きる」と、論考「瀧口修造と冨士原清一、あるいは二人の守護天使」の2本を寄稿しています。さらに小林坩堝さんと中野もえぎさんより『薔薇色のアパリシオン』の書評をいただきましたので、冨士原清一関連が4本入っています。










































































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【特集Ⅰ】瀧口修造、没後40年 実験とは何か

インタビュー
鶴岡善久+京谷裕彰(聞きて) シュルレアリスムを生きる 瀧口修造と冨士原清一

インタビュー
巖谷國士 瀧口修造と「共時的星叢」 台湾国立美術館の展覧会から

座談会
久保仁志+山腰亮介+山本浩貴+h 「影どもの住む部屋」の余白に

論考
野海青児 寒冷な鏡面・瀧口修造の故郷
帷子 耀 「詩への広場」から
笠井裕之 瀧口修造1963  「オブジェの店」と「リバティ・パスポート」
京谷裕彰 瀧口修造と冨士原清一、あるいは二人の守護天使
早﨑主機 宮脇愛子「ウフフの人」を読む
山腰亮介 瀧口修造の〈余白〉 層|透明|痕跡|註記|影|編集(順不同)

作品
高貝弘也 鏡の鏡の鏡

【特集Ⅱ】追悼・長谷川龍生

対談
倉橋健一+細見和之 戦後詩の最後の一人が亡くなった 長谷川龍生の詩と生

エッセイ
平林俊彦 いつか何処かで
新藤涼子 夜明け前の空気のように
山田兼士 静力学と動力学 小野十三郎から長谷川龍生へ
城戸朱理 明晰さと狂気と
白井知子 「移動と転換」をコアに

追悼
川上明日夫 旅するお人 長谷川龍生
たかとう匡子 龍生さんの思い出
三井喬子 安らかにお眠りください
細田傳造 遭遇したということ
野沢 啓 龍生さんへの感謝
岩佐なを 解放区の長谷川さん
前川整洋 長谷川龍生先生に個人指導していただいて
森川雅美 弱い者へのまなざし
岸田将幸 最後の力

作品
和合亮一 おれは新しい靴のうらにごむをつけた 第27回萩原朔太郎賞受賞第一作
岡本 啓 野の切れはし #3

連載詩
片岡義男 より良いことを選択しながら 最終回
森本孝徳 暮しの降霊 Ass Meducation #3

連載
北川 透 《灰暗の森》を通る道 『「野性時代」連作詩篇』を読む(下) 吉本隆明、最後の詩の場所

連載
新井 卓 陽の光あるうちに 最終回
月永理絵 映画試写室より 最終回
浅見恵子 詩を生きる地 最終回
外山一機 俳句の静脈
井上法子 ここから、歌の世界は

月評
宗近真一郎 詩書月評
白井明大 詩誌月評

Report
伊藤浩子 明日へ Reborn Art Festival「詩人の家」

Book
内堀 弘 季村敏夫編『一九三〇年代モダニズム詩集』
中野もえぎ 襤褸と宝石 冨士原清一、没後七十五年
小林坩堝  京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』

新人作品  11月の作品

新人選評
阿部嘉昭、野木京子

増頁特別定価1430円(本体1300円)





2019年10月23日水曜日

冨士原清一著『ニューヘブリディーズ諸島』(1944年、日本評論社)

詩人・冨士原清一が生前唯一手がけた著書は、1944年、戦局も押し詰まった時期に刊行された。当時の勤務先である太平洋協会の調査員(1942~1944年)としての仕事である。奥付の発行日は「昭和十九年十一月十日」となっているが、奥付が実際よりも先の日付になっているとしても、同年9月18日に朝鮮の木浦沖で戦死した本人は手にしていないだろう。
太平洋協会は国策調査・研究機関とはいえ、転向左翼知識人たちの隠れ家的な職場だったという。
本書はメラネシアに区分される地域の島嶼、ニューヘブリディーズ諸島(現・バヌアツ共和国)の地誌・民族誌であり、生活の糧を得るための仕事にしてはたいへん丁寧な学術的成果物である。現地で取材したのではなく、主に欧文文献を複数参照しながら執筆された。部数は2000部、定価は4円50銭なのでかなり高価な書物であり、植民地政策の立案者や軍関係者や研究者を読者に想定しているのであろうが、以下のような記述に接すると「抵抗」というには及ばないとしても、冨士原清一の美学的・倫理的な矜持を読み取りたくなる。

第二篇「民族」、第一章「体質」より、
眼・眼力・色彩感覚//
顔には美しい黒い眼が輝いてゐる。眼は寧ろ小さく、水平に位置してゐる。このことは彼等の容貌に人を安堵させるやうな外観を与へてゐる。・・・」(42頁)

「聴覚・美の表徴としての鼻と乳房//
聴覚についても同様のことが云ひ得る。西洋の種々なる楽器は、暫らく彼等の足を留め得るとしても、原住民の奏する一絃琴uou totoや穴の二つある横笛bueの魅力のまへには極めて力の弱いものである。・・・」(43頁)



2019年10月13日日曜日

詩誌『EumenidesⅢ』58号

【詩】
広瀬大志「乱樹師(ゴ・ザイラ)」
松尾真由美「中空での抗い、そのように育むものの」
小笠原鳥類「こわくない人形たち」
渡辺めぐみ「夏至を待つ」
京谷裕彰「ミドリムシとゾウリムシ、その別れ」
海埜今日子「水処(みずこ)」
北原千代「零れる音」
小島きみ子「月光」

【論考】
松尾真由美「アナイス・ニンという作家と詩的なるもの」

【詩集書評】
小島きみ子「無限なものへ至る表現」

【あとがき】

【広告】
京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』(共和国)





◆2019年10月20日発行
 A5判32頁 600円+ 送料
 編集発行人:小島きみ子 
 購読のご希望は eumenides1551◎gmail.com (◎→@) まで


2019年10月8日火曜日

木原孝一『現代詩入門』(1977、飯塚書店)より結論部「詩と暗号」

  詩と暗号

すべての詩は言葉において表現される。そして言葉はひとつの記号である。その記号が大いなる意志をもつとき、すべての言葉は暗号となる。その大いなる意志とは「存在」にほかならない。ここに、言葉と、暗号と、存在との相関関係が成立する。言葉とは暗号であり、同時に存在である。存在とは、暗号であり、同時に言葉である。暗号とは、存在であり、同時に言葉である。この時空連続帯である宇宙全体のなかにあって、暗号は宇宙全体の相似形としての意味を持っている。もしその意味を持たないもの、あるいはその意味を失ったものがあれば、それはすでに暗号ではない。したがって存在でもなく、言葉でもない。詩人は言葉によって暗号をつくるのではなくて、宇宙の意味=暗号によって言葉を満たす。そのとき、言葉は真の意味を持った生命力のある言葉=存在となる。窮極において、詩人のめざすものは、この、言葉と、存在と、暗号との、三つの一致である。私たちが長い時間をかけて探ってきた人間=私たちの内部と、それに対応する外部との関係を、常に、時間的=空間的連続体としてみつめてきたのも、この大いなる象徴=大いなる意味=大いなる暗号の解読にあった。私たちが、詩における次元を問題にするのも、その解読の次元によって、その意味が違うからである。いかなる詩といえども、その詩の読者以上の意味を持たないということは、この暗号解読の次元の高さを示しているに過ぎない。そして、詩人の飛躍とは、いずれかの点において、詩の次元の高みをめざすことにほかならないのである。


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木原がヤスパースを読んでいたかどうかはわからないが、ヤスパースの暗号論(『真理について』『啓示に面しての哲学的信仰』)との共鳴が興味深い。

2019年10月2日水曜日

X「傷む心 見えない明日」/寮美千子「心の地層に眠る言葉の結晶」(『紫陽』24号、2011年8月)


傷む心 見えない明日
                       



いまボクが見ている景色は何もないだれもいない真っ暗闇
明日の光さえ ボクには見えない
やさしい君も いまはいない
考えたくもない最悪な思い出
楽しかったあの思い出も
心の痛みがすべてを喰ってゆく
だからボクの中には「苦痛」しかないんだ
うそくさいやさしさ 作り笑い 冷たい目 ギゼン
いらない物がボクにまとわりつく
ボクがほしいのはあの思い出だけで
それ以外何もほしくない
君と過ごした思い出だけでいいのに
君はいま どこにいますか? 
君はいま 何を思い生きていますか?
声が聞きたい
笑った顔をもう一度みたかった
いまボクが見ている景色はおわりのない真っ暗闇
真っ暗闇さえ ボクには見えない
真っ暗闇さえ いまは見えない


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心の地層に眠る言葉の結晶
    ~「傷む心 見えない明日」に寄せて
寮 美千子


 前号の「孤独な背中と気怠さと」に引き続き、奈良少年刑務所の受刑者であるXくんの作品「傷む心 見えない明日」を、刑務所の許可を得て『紫陽』誌上でご紹介させていただけることを感謝している。
 現在、奈良少年刑務所で行われている情緒教育の授業「社会性涵養プログラム」の詳細については、前号で書かせていただいた。そのなかの「物語の教室」というわたしと松永洋介が共同で講師を担当する授業のなかから生まれたのが『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』(長崎出版)だ。
 出版は、昨年6月。広告を一本も打たなかったにもかかわらず、詩集として異例の反響があり、新聞、テレビなどでも取り上げられ、版も重ねている。受刑者たちの詩が、金子みすゞ、茨木のり子、谷川俊太郎などの著名詩人の詩集と並んで読まれている、というのは、ひとつの事件だ。技巧も何もなく、飾りもない、ぎりぎりのところから出た言葉が、多くの人の心を打った。わたし自身「詩とは何か?」ということを自分自身に問う、大きなきっかけとなった。
 ただし、新聞で取りあげられるのは主に「社会欄」。例外として和合亮一氏が読売新聞で「つむがれた詩句に、境遇をたどり現在の自分と深く向き合おうとする少年の姿が見える」(二〇一〇年八月十七日)と評してくださった。また、辛口で有名な東京新聞・中日新聞「大波小波」というコラムでは「節人」と名のる方が「流行と技巧に遊ぶ現代詩人は、少年たちの書くことをめぐる真っすぐな情熱をどう受け取るだろうか。」(二〇一〇年七月十六日)と問題提起してくださった。
 詩集にまとめたのは「物語の教室」の5期までの受講者の作品である。1期は半年なので、2年半分の作品の中から選んだものだ。その後も授業は続き、あす三月十一日の授業で7期が終わろうとしている。6期でも、7期でも、はっとするような素直で素朴な言葉が詩として結実している。いや、それだけでは済まされない詩としての強烈なインパクトを持った作品も登場している。
 度肝を抜かれたのは6期生のXくんの作品だった。前号でも少し触れたが、ともかく寡黙な子だった。この授業を始めてからこんなに寡黙な子はいない、というくらい言葉が少ない。結局、彼は、自分でこの作品を声に出して朗読することはなかった。いままでの授業で、ただ一人、朗読することを頑なに拒んだのだ。無理強いすれば、壊れてしまいそうだった。だから、わたしたちも強制はしなかった。
 彼の詩は、驚くほど繊細で、透明な悲しみと孤独に満ちていた。あまりのすばらしさにわたしは感嘆し、授業の後「これを外で朗読してもいい?」と本人に尋ねずにはいられなかった。彼はすなおにうんとうなずいた。「詩の雑誌に発表してもいい?」と聞けば、またこくりとうなずく。「本名で発表してもいい?」と重ねて聞くと、またうなずき、彼は笑顔を見せた。控えめな、はにかむような笑顔のなかに、彼の歓びの輝きが見えた。
 彼のそんな顔を、わたしはそのときまで、見たことがなかった。いつも、氷原のただなかに、ぽつんと置き去りにされたような、さみしげな表情をした子だった。みんなで体を動かしているときも、教室の片隅で膝を抱えてうずくまっているような子だった。
 その重い沈黙の中で、言葉はこんなふうにゆっくりと結晶していたのだ。このしんしんとしたさみしさ、この絶望の深さ。「真っ暗闇さえいまは見えない」というほど「傷んだ心」が、ひしひしと胸に迫ってくる。
 けれど、彼はそれを言葉に結晶させる術を持っている。「詩を書いて」と言えば、彼はそれを取りだして、そっと見せてくれる。声高らかに朗読することはできないけれど、大切な宝物を差しだすように、掌のなかの結晶を見せてくれたのだ。あ、すごい、とこちらが思ったその瞬間、結晶は、きらりと光を放った。
 ああ、彼自身が、地層深くに眠る、まだ人の目に触れていない晶洞のようだ。無数の美しい結晶をびっしりと壁に生じさせた閉じられた洞窟。その真ん中の真っ暗な空洞のなか、ひとかけらの光もなく、彼の魂は膝を抱えてうずくまっている。
 人の目に触れ、光を受ければ、結晶はいやでもきらきらときらめく。
 この詩は、宮沢賢治が友に書いた手紙をわたしに想起させた。
 
「今朝から十二里歩きました 鉄道工事で新らしい岩石が沢山出てゐます 私が一つの岩石をカチツと割りますと初めこの連中が瓦斯だつた時分に見た空間が紺碧に変つて光つてゐることに愕いて叫ぶこともできずきらきらと輝いてゐる黒雲母を見ます 今夜はもう秋です  スコウピオも北斗七星も願はしい静かな脈を打つてゐます」

 詩の言葉のきらめきが、結晶から反射してくる賞賛の言葉が、Xくんの心を照らしてくれたらと願わずにはいられない。
 Xくんのいた6期の授業は終わってしまった。彼らは「社会性涵養プログラム」を卒業し、刑務所の日常へと帰っていった。わずか半年、しかも、わたしにとっては月に一回だけのつきあいだった。もっともっと彼らの詩を読みたい。彼らといっしょにいたい。まだ、表現の大海原へと漕ぎだすための港についたばかりではないか、ここからいっしょに、彼らと彼方への旅をしたい、と願う。でも、それはいまは許されていない。わたしには、いまのところ、授業を終えた彼らと接触する術はない。残念だ。
 彼はいま、どうしているだろう。わたしたちの授業は、彼のいる晶洞に、わずかでも光をもたらすことができただろうか。彼は、自らが作りだした結晶の美しさに、気づいただろうか。彼が、その美しさに励まされることはないだろうか。
 彼がここに来る以前に詩を発表することができていたら、もしかしたら、罪を犯さずにすんだのかもしれない、とも思う。
 きょうも、刑務所ではいつもの日常が淡々と過ぎていく。そこには、まだ誰の目にも触れたことのない結晶たちが眠っている。地層のなか、さまざまな言葉が、だれにも届かないまま、静かに結晶を伸ばしていく。


追伸:『紫陽』23号を読んだXくんから手紙が来た。「この詩集にのってるのが本当にびっくりです。書いてよかったと思っています。今まではなんでもやりきった事がなかったし、やりたい事がなかったけれど、一つやりたい事が見つかりました」それは詩を書くことであると。よかった。


※(編集人記)『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』は今年五月に新潮文庫版が出版された。
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詩誌『紫陽』24号、2011年8月
編集:京谷裕彰/藤井わらび
発行:紫陽の会

X「孤独な背中と気怠さと」/寮美千子「詩の力・座の力/詩が開く心の扉」(『紫陽』23号、2011年1月)

  孤独な背中と気怠さと
                    X



気怠く笑う耳が千切れそうなほど笑い声が鳴り響いて
強く胸を締めつけるからだれにもわかんないように耳をふさいで
独りあるく夕暮れの空 目の前には笑いつかれた少女が独り
ボクは今、孤独な背中と夢の中 気怠さと笑い声のオンパレード
ボクは今、孤独な背中と夢の中 真っ白な空の下 時が止むのを待っている
ボクは今、孤独な背中と気怠さの中 無音無色の世界が見えた
ボクは今、孤独な背中と気怠さの中 無感情な少女が独りいた
目が覚めたボクは真っ白な部屋の中 小さな窓とベッドといすが一つずつ
自分以外だれ一人いない小さくて白い部屋
窓から見えるキズだらけの空
地面に叩きつけられた雨音に胸を締めつけられ
だれにもわからないように窮屈そうに声を出した その声に少しぞっとする

冷めた表情 伏し目のまま 笑いつかれた少女が キズだらけの空を見た
泣き顔 小さな目 丸まった背中の少女が 仏頂面な空を見た
ボクは今、孤独な背中と夢の中 気怠さと泣き声のオンパレード
ボクは今、孤独な背中と夢の中 仏頂面な空の下 雨が止むのを待っている
ボクは今、孤独な少女と夢の中 無音無色の世界を見た
ボクは今、孤独な少女と夢の中 窮屈そうな声を見た
冷めた声 伏し目の少女は両手を広げてとび立った
ボクはそれを見送ったあと 目を閉じた



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詩の力・座の力/詩が開く心の扉
     ~「孤独な背中と気怠さと」に寄せて
寮 美千子

 わたしたちは自己を表現するための「言葉」を持っている。いわゆる言葉以外にも言葉がある。目の表情、口元、体の姿勢、すべてがわたしたちの「言葉」であり「表現」だ。
 しかし、その表現が極端に苦手な人間もいる。しゃべるのが苦手、笑顔も出ない。そんな人間は、周囲に理解されず「何を考えているのかわからない」と不気味に思われる。時に怖れられ、あるいはバカにされ、いじめられ、彼らはますます自己の殻に閉じこもってしまう。話してもどうせわかってもらえない、という思いが、彼をますます孤独にし、絶望の淵へと追いこむ。
 奈良少年刑務所の社会性涵養プログラムの受講生たちのほとんどが、そのように極端に自己表現が苦手な青年たちだ。ある者は発達障害を抱え、ある者は激しい虐待を受け、ある者は育児放棄された経験を持っていた。自分の意志や努力とは無関係に、運命のごとく社会的に弱者の立場に置かれてきた者が多い。そのせいで、ある意味「言葉」を奪われてきた人々なのだ。
 自分を表現できない、相手と意思の疎通ができない。その悪循環が加速し、その結果追いつめられ、とうとう爆発して事件に至る、というケースも多い。彼らは、加害者である前に、被害者であったのだ。小さくキレて発散できていればすむものが、溜まりに溜まって大爆発になり、不幸な事件となってしまうこともある。
 奈良少年刑務所で、受刑者の情緒を耕すための「社会性涵養プログラム」の講師を務めて、すでに3年が経った。このプログラムは、絵本を読み、詩を読み、さらには彼らに詩を書いてもらい、それを合評していくことで、そんな彼らに、徐々に「自己表現の言葉」を身につけていってもらうための授業である。
 教育の専門家でもなんでもないわたしが、ひょんなことからこのプログラムの講師になった。というのも、明治以来の旧監獄法が改正され、刑務所が単なる懲罰のための施設から、更生のための教育を受けることのできる施設へと、その位置づけが変わったからだ。
 二〇〇七年から新たに始まったプログラムであったため、メソッドもなにもなくて、手探りで授業を始めた。受講者は十名前後。刑務所の中でも、ほかのものと歩調を合わせることができなかったり、極端に自己主張が苦手な子たちだ。授業は月に三回、一時間半ずつ。一回はSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)といって挨拶などの基本を学ぶ授業、一回は絵を描く授業、そしてわたしの受け持つ「詩と物語の教室」だ。これを六ヶ月行う。合計十八回。たったそれだけの授業で、彼らは見違えるほど変わる。変わらなかった者などいない。表情が豊かになり、言いたいことが前よりも言えるようになり、時には曲がっていた背中がまっすぐに伸びて、胸を張って堂々としてくる。堅さがとれて、自然体に近づいてくる。そうなると、他者とのコミュニケーションもスムーズになり、ますます表情が明るくなって〝良循環〟が始まるのだ。
 一回の授業のはじまりと終わりでは、その差がわかるほど変わるのだが、ぐっと変わるのは、詩の授業をしたときだ。それも、有名な詩人の詩を読んで鑑賞したときでなく、彼ら自身が書いた詩を合評したとき。自作の詩をみんなの前で朗読し、拍手を受け、その感想を仲間の口から聞いた時、確かに深いところで閉ざされていた鍵が、かちゃりと音を立てて開かれる。
 時には、これが「詩」だろうか、と思うほど素朴な作品があった。「何も書くことがなかったら、好きな色について書いて」という課題に提出された作品だ。
 
 好きな色
 
 ぼくの好きな色は 青色です。
 つぎに好きな色は 赤色です。
 
 この、ストレートすぎる言葉に、一体どう対応していいのかと戸惑っていると、受講生の一人が「はい」と手を挙げたのだ。そして言った。「ぼくは、○○くんの好きな色を、一つだけじゃなくて二つも聞けて、よかったです」「ぼくもです。○○くんの好きな色を、一つだけじゃなくて二つも教えてもらって、うれしかったです」「○○くんは、ほんまに青と赤が好きなんやなあって思いました」
 驚いた。そして感動した。彼らはなんてやさしいのだろう。なんて友だち思いなんだ。こんな人々が、なぜ刑務所に来なければならなかったのだろうか。きっと、彼らをそこまで追い詰めた何かがあったに違いない。
 そして、わたしは自分を恥じた。わたしは、この作品を、彼らのようには受けとめることができなかった。「詩とはこんなもの」という観念に縛られていたからだ。
 極端に表情のとぼしかった○○くんは、仲間のその言葉を聞いて、笑った。教室にやってきてはじめて、まるで花がほころぶように、ふわっといい笑顔を見せたのだった。
 その瞬間、わたしの中の「詩」の概念がひっくり返った。「いい詩」「すばらしい詩」というものがあるというわたしの固定観念が、微塵に砕かれたのだ。言葉は、詩になるのだ。言葉を発した人が詩だと思い、受け取った人が詩だと感じれば、どんな言葉も、神聖な詩の言葉になるのだ。彼らは、彼らの力で、友の言葉を「詩」たらしめたのだ。指導者の力ではなく、彼ら自身の力で「詩」を発見したのだ。
 もちろん、いい詩はある。いつどこで誰が読んでもすばらしい、完成された作品はある。けれどそれだけではなく、「座」が神聖な「詩」を生み出していく、そのような「場」としての「詩」があるのだと思い知った。
 彼らは、表現や言葉を扱うことが極端に苦手だ。だからこそ、虚飾や嘘が入る余地がなく、ギリギリの言葉を紡ぐが故に、まっすぐに届いてくる。「表現」という時、わたしたちはなにか一見華麗に見える「表現らしきもの」におぼれてはいないだろうか。
 彼らが自分たちの詩を発表し、誰かに受けとめられた瞬間、彼らがあからさまに変わるのを目の当たりにして、わたしは「詩の力」に大きな驚きを感じた。詩には、確かに力がある。わたしが思っていた以上に、それは力を持った神聖な言葉だ。わたしは、いままで、そこまで詩を信じていなかったかもしれない。けれど、この体験を通じて、詩の力を実感することができた。
 彼らの詩をまとめ、授業の様子を書き添えて編集したのが『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』(長崎出版、二〇一〇年六月)である。ぜひ読んでいただきたい。ことに詩を書く人、読む人に、これを読んでもらえたらと思う。
 この詩集には社会性涵養プログラムの5期生までの作品が収録されている。現在、プログラムは7期目に入り、これから詩を書いてもらうところだ。6期でも、驚くべき作品が生まれている。これをなんとか紹介したいと思い、刑務所の許可をいただいて、ここに一つの作品を紹介させてもらった。
 これを書いたのは、緘黙といっていいほど無口で、引っ込み思案な青年だ。それでも、教室では何とか小声で発言してはくれたが、彼はついに殻から出てこようとはしなかった。
 ところが、詩の課題を出して提出された作品を見て、驚いた。そこには饒舌なまでにその心の内側が表現されていたからだ。その痛み、孤独、泣きたくなるほどのさみしさが、見事に言葉として結晶していた。
 「すごいね。すごいよ、この詩」とわたしは興奮して彼に話しかけた。「ねえ、この詩、刑務所の外で発表してもいい? わたしが朗読してもいい?」
 そう言うと、あの緘黙な彼が、すこしうれしそうにうなずいたのだ。
 「ねえ、詩の雑誌に発表してもいい?」
 また、うなずく。
 「きみの名前、書いてもいいかな?」
 彼は、はっきりとうなずいた。しかし、それは叶わなかった。教官から、こんな注意を受けたからだ。
 「それはいけません。詩を発表するには、許可がいりますので、申請をして手順を踏んでください。それから、残念ながら、本名では発表できません」
 というわけで、申請をして許可を得て掲載させてもらうことになったが、彼の名を明かすことはできない。
 授業で、彼が書いてくれた詩は二編。どちらもすばらしい。今号で一編、次号でもう一編を紹介させてもらいたいと思っている。受刑者の詩だからではない、すばらしい詩だから、紹介するのだ。彼の詩には授業の仲間、という枠を超え、見えない大きな座を作っていく力があるとわたしは思う。多くの人が、彼の言葉に心を震わせ、共感するだろう。その孤独の深さの痛みを感じるだろう。彼がそのことを、誇りに思ってくれたら、うれしい。

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詩誌『紫陽』23号、2011年1月
編集:京谷裕彰/藤井わらび
発行:紫陽の会

2019年9月24日火曜日

木原孝一による冨士原清一評(木原「現代詩Ⅰ 戦争と三人の詩人」1968年より)

戦前は北園克衛の『VOU』に参加し、戦後は『荒地』などで活躍した詩人・木原孝一(1922-1979)は冨士原清一の詩「成立」(『文学』終刊号に掲載、1933年)の全文を引き、以下のように評する。傍線および〔〕は筆者による。

〔前略〕
家のなかの見えない岩石
私は衝突する
私は傷つく
私は覆される

家のなかの見えない岩石

ただそれが巨大であることだけを
私は知っている

いま、この詩を読み返してみて、私はそこににじみ出ている死のイメージ、狂気のメタフォア、グロッタの詩の美しさに驚くばかりである。

昭和八年、一月、ヒトラー政権確立。三月、日本は国際連盟を脱退。いまから振り返ってみると、こうした不安の詩が書かれる可能性は十分にあった。いや、不安の詩はより多く書かれねばならなかった。もしすべての詩人が第二次大戦の予兆としてそれを受け取っていたら、不安の詩はより烈しく書き続けられたであろう。
冨士原清一は、昭和二年、超現実主義の旗を最初にかかげた詩誌『薔薇・魔術・学説』の発行者として、北園克衛、上田敏雄、上田保らとともに作品を発表しはじめた。だが、その後、詩誌『衣裳の太陽』を経て、北園克衛たちが昭和七年に『マダム・ブランシュ』を発行しはじめたときには、もう彼の名はそのメンバーのなかにはない。わずかに季刊『文学』、季刊『苑』、『詩法』などに数編寄稿されているにすぎない。
私が冨士原清一に強い興味を抱くのは、彼こそ、ほんとうにシュールレアリスム(超現実主義)を内面的に受け入れた詩人ではないか、と考えるからだ
日本における戦前の超現実主義運動が、誤解と誤謬にみちていることは、今さらいうまでもないが、その詩人たちのなかで、瀧口修造と冨士原清一は、少なくとも超現実主義と呼ぶに価する作品を書いている
いわゆる西脇順三郎の超自然主義、北園克衛のアブストラクトの世界が、昭和初期の超現実主義運動の残した遺産であるとするならば、私はもうひとつ、冨士原清一からの遺産も手にしたいのである。
私が冨士原清一から受け取りたいと思うのは、昭和の十五年戦争、昭和六年の満州事変から、太平洋戦争の終りまでも、あの十五年戦争が与えた詩への痛みである
昭和初年、超現実主義が日本に移し植えられたとき、それは新しいインクの匂いと活字とに支えられてやってきた。
フランスの超現実主義は、第一次世界大戦の与えた荒廃、あの精神の痛みのなかから生れた。だが、当時の日本は、第一次世界大戦の戦後ではなかった。戦争による精神の痛みなどはほとんどなかったのである。むしろそこにあるのは、太平洋戦争への予兆でなければならなかった。
昭和八年、いまはもう伝説となった詩集『Ambalvalia』を刊行した西脇順三郎は、昭和一〇年以後二〇年まで、およそ一〇年間、太平洋戦争に敗れるまで沈黙し続けた。
昭和七年、詩集『南窓集』を書いた三好達治は明らかに日本回帰を示し、ついに昭和一七年、詩集『捷報いたる』を書いて、戦争の賛美の声を洩らした。
昭和八年、アブストラクトな傾向を持つ詩集『円錐詩集』を刊行した北園克衛は、昭和一五年、風土詩を提唱し、日本的風物のなかにかくれた。
そして、昭和一六年、太平洋戦争開始以後の詩誌は、『日本詩壇』も、『文芸汎論』も、愛国詩の氾濫を見るようになった。
そうしたなかで、死のイメージ、狂気のメタフォア、グロッタの美学によって不安の詩を書きつづけた冨士原清一の真意が何処にあったのか、誰にもはっきりとはわからない。なぜなら、冨士原清一は、太平洋戦争末期、ビルマ〔正しくは朝鮮木浦沖〕で戦死したと伝えられているからである。
私の考えでは、冨士原清一は、あの戦争の時代を、超越もせず、逃避もせず、不安のなかにいて不安をうたった稀有なる詩人のひとりではないか、と思う
いま、試みに、おなじく季刊『文学』第六号に掲載されているある詩人〔城尚衛〕の作品を一編〔タイトルは「ブロオチ」〕引用しておこう。

僕の若さが消えないうちに

ミユウズは墜ちて行きました
もはやソワレエのひとときにも
そろそろマダムは御帰館です
おや お嬢さん
黄色い薔薇も枯れました」

◆『読解講座 現代詩の鑑賞③ 現代詩Ⅰ』解説(1968年、明治書院)より。但し、このアンソロジーに冨士原の詩は入っていない。どんな事情があったのか・・・。

1950年代に大岡信や飯島耕一らによって戦前期日本のシュルレアリスムを検証する動きがはじまるが、その軸の一つが実存思想であった。それを指標にすれば冨士原清一は突出した存在として再評価されるべきであったのだが、冨士原のことはよくわからなかったのだろう、結果「瀧口修造だけが・・・」という評価へと傾いていくことになる。木原のこの文章は、戦前から詩作をしていた者としての、先達である冨士原への敬愛が感じられる。



春山行夫編集『文学』[詩と詩論』改題]第六冊(1933年6月、厚生閣書店、装幀:北園克衛)

2019年9月15日日曜日

中野嘉一「ヒプノスの像」(詩集『ヤスパース家の異変』所収、1988年)

   眠らなければみえない
   幻視のヴィジョンがある

ヒプノスという眠りの神を御存知ですか 彼は
右側の耳のところに一枚の翼しかなくて
森や田園をさ迷い歩いていました
木の枝でしずかに
頬をなでたりして
人を深い眠りに誘ったということです
催眠術
それは 世界中の月夜を徐々に
くらくくらくしてみせるようなものです
なにも知らずに
目蓋をとじていさえすればいいのです。
その術にかからないのは
眼玉の明るさをあまり意識するからです
あるいは
哲学的な永遠の眠りを恐がるからです。
現代にもヒプノスの真似を商売とする
賢い神々が彷徨しているのです
その中には医者や庭師や大工の伜たちもいます
森や田園から遠い街の
コンクリートの密閉した一室で
妖しい声色や音楽を使って
奇妙な演出をやるのです
はかない不自然な眠りをつくるのです
「わたしのこえをしずかにきいてください」
「わたしが一から十までゆっくりかずを
かぞえるのをきいてください
「もういまにねむくなりますよ
ゆめがはじまったら
ひだりのてをあげて
あいずをしてください
ねむったままはなすことができます」
などとまことしやかに言うのです
まだ眠れないし夢も始まらない
目蓋をとじていますと
すこし鼻先きがざわざわして旋風がおきて
あかい血がふき出してきたようです
青い葉っぱをつけた蓑虫が垂直に落ちました
霧が白く蝙蝠のような雲が通る
邪馬台国の女神たちと丸木舟のようなものが
すべっていきます
ギザギザの海岸線の土人小舎
上ったり下ったりする鎧戸、もう
しめて下さいとささやきながら
あげようとした左の手の重みで
全身が汗ばんできました
鞭打ち症の男の首にまいた
黄色いバンドが目にちらつきます
眼玉がうごき始めたのかしら
と思った途端目がさめました
すこしは眠ったのかも知れません
もう一人の男は
「同じ料金を払ったのにおれにはかからなかった」
と言って
カウンターの脇の
ヒプノスの像を睨みつけて出てゆきました。


井桁裕子《Hypnos》シリーズ(2013年) 



◆中野嘉一(1907-1988)詩集『ヤスパース家の異変』(1988年、宝文館出版)より。