2012年9月26日水曜日

鬼放舎(ダダカンさん宅)訪問の想い出(2010年10月16・17日)


 その昔、公安が留守中に仕掛けたという盗聴器の痕。

「八十路坂のぼれば卒寿明日知れず」。「普天間基地は無条件撤去を・・・」(共産党のポスター)。
 年代物のダダカン炊飯器。これでダダカンケーキを焼きます。
 焼きたてのダダカンケーキ!


 上の2枚は故・羽永光利氏が鬼放舎とその周辺で撮影した名高い写真(1970.9.20)。
 赤軍派のコスプレをした目玉男(奈良の料理屋・月吠の主であるN氏の友人)が太陽の塔に籠城していることを報じる1970年4月27日の『毎日新聞』朝刊。ダダカンさんはこの記事を見たその日の午前中、塔への突進を試みる。

同じ1970年4月27日の『毎日新聞』夕刊では早くも記事になっている。「裸の男 飛出す」と。ダダカンさん、御年49歳。この4月27日は竹村正人監督の誕生日(1984年)であり、また詩人・藤井貞和さんの誕生日でもある(1942年)。

竹熊健太郎さん『篦棒な人々』文庫版の帯文は川上未映子。いつか川上さんと交流の機会ができたときにはダダカンさんの話をしたいなあ。

ヨシダ・ヨシエ「真のダダイストはダダカン一人也」。

「迷惑メール迷惑メール迷惑メール迷惑・・・・・・」これは、ときたまさん(土岐百合子さん)のメールアートか?
盟友のギュウちゃん(篠原有司男さん) からもらったGジャンできめるダダカンさん。

お庭のダダカンタンポポとコルチカムの花。

2012年9月25日火曜日

一休宗純『狂雲集』より

両片皮、復(ま)た一具の骨
鳥虫馬牛、更に魔仏
混沌未分、暗昏昏、
雲月は知る、誰が為の風物なるかを。


人には二つの耳たぶと、一そろいの骨が具わっている、
鳥虫馬牛、また魔仏と、さまざまだ。
天地が開けるまでは、すべては暗闇に包まれて混沌としていた、
雲や月は、誰かのための風物ではないことを知っている



(『狂雲集』488番,石井恭二編訳『一休和尚大全』より)


〔白文〕
兩片皮復一具骨 鳥蟲馬牛更魔佛 混沌未分暗昏昏 雲月知爲誰風物


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 少年期から八十代にいたるまで、酒、女色、男色、風狂に生きた一休さん(1394-1481)の詩の中でもとりわけ深遠な一篇。


Mugi NAKAJIMA 

2012年9月17日月曜日

栗棟美里「法を説く百合」 (Work in progress 2012より)

シリーズ「法を説く百合」から2点出展されたうちの一枚(1455×2273) 。


クリスティナ・ロセッティ 「花の教」(上田敏訳)

心をとめて窺へば花自(おのずか)ら教あり。
朝露(あさつゆ)の野薔薇のいへる、
「艶(えん)なりや、われらの姿、
(とげ)に生(お)ふる色香(いろか)とも知れ。」
麦生(むぎふ)のひまに罌粟(けし)のいふ、
「せめては紅(あか)きはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
(げん)ある露の薬水を
盛りさゝげたる盃ぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく
法を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
声もかすかに菫草(すみれぐさ)
「人はあだなる香(か)をきけど、
われらの示す教暁(さと)らじ。」

(テキストは岩波文庫版『上田敏全訳詩集』より。漢字は通用字体に変更)

百合の写真をプリントした布に、パステルと銀箔によって気体のようなものが描かれている。大判でありながらまったく威圧感はなく、離れても近づいても、平面と視覚とはつねにつり合い、立ち現れるイメージは穏やかに馴染んでゆく。
花であること、モノクロであること、そして画面に漂う気体のようなものがその心地よさを醸しているのだろうか。
作家の意識に感受され描かれた気体のようなものとは、花と人との間にあって、生気的に躍動しながら知覚に触れたり触れなかったり、ときには結び合う、アウラの動きそのものなのだろう。
長きにわたって読み継がれてきた上田の訳詩との邂逅。
訪れるロセッティの詩魂、
彼方の百合とカサブランカ。

銀箔のきらめきは、時空を超えて響き合うモナドのきらめき・・・

MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w (京都・東九条西岩本町) 9/14~9/28

2012年9月14日金曜日

椎木かなえ個展「乾いた蛾についての考察」 於、秘密倶楽部アニマアニムス(大阪・千日前) 




どの作品に描かれる「人物」にも顔は二つある。

〈乾いた蛾〉とは何か?
蛾についてのシンボリックなイメージを想起することに意味があるのかないのか、それすらもよくはわからないが、意識の深層へと染み込むものに注意することにしよう。

会場である店の名前がユング心理学に由来することも興味深い


秘密倶楽部アニマアニムス 
「乾いた蛾についての考察 ~私はいつでも手に負えないほどの永遠を願う」 9/3~9/29


※ ユングは無意識下における魂のイメージが異性像をとって現れるとし、男性の中の女性像を〈アニマ〉、女性の中の男性像を〈アニムス〉と名付けたわけだが、これがヘテロでない場合のことが気になる。

2012年9月9日日曜日

酒井龍一・丸岡和吾 展「黄昏彼岸」 於、くちばしニュートロン (京都・四条寺町) 



以上は酒井龍一さん「忘却の海」。前世代の遊園地や廃工場の幻影を、光りのような人々の群が楽しそうに眺めている。白い境界線を越えていく人々の姿も・・・。この人々もまた幻影なのだろうか。

「忘却の海」に手向けられた花を収める、丸岡和吾さんによる髑髏の花器。

丸岡さんの髑髏杯。上の花器もそうだが、この黒地に金の髑髏にカメラを向けるとなぜかAF機能が安定せず、ピントが合わない。

酒井さん「Slumber」。伝統的な日本画の技法を駆使して現代の幽玄を描く酒井さんの絵から放たれる光は、それがごく微かなものであっても、ときに実存への照り返しは熾烈なものになる。

死を内包する生を象徴する肉体とは逆に、死の象徴とされる髑髏には、生へと強力に差し向けられた精神が秘められている。それは、丸岡さんの手によって宿された。


◆くちばしニュートロン、最後の展覧会 2012.7.2~7.29



2012年9月8日土曜日

ガストン・バシュラール『空と夢』(宇佐見英治訳)より

『プロメテーウス』(第二幕、第一場)においては、次のような偉大な楽弓の音(ね)が諸天に響きわたる。

ききたまえ。精霊たちが語っている。彼らの大気の下から
液状の答えがなおも鳴り響いている。

Hark! Spirits speak. The liquid responses
Of their tongues yet sound.

地上のものにとっては、地を離れるとともに一切が散り一切が失われてゆくのに、空に住むものにとっては、昇るとともに一切が集まり一切が豊かになる。シェリーは照応correspondanceを実感しているようにわれわれには思われる。それをボードレールの照応と比較してみると非常に示唆に富む。
ボードレールの照応は物質的実体の深奥の一致からうまれるものである。それは多くの点でランボーの錬金術よりも統一的な、感覚のもっとも偉大な化学を実現する。ボードレールの照応は物質的想像力の強力な中心である。この中心にあらゆる想像的物質、あらゆる《詩的要素》が会してその富を交換しあい、相互に他のものによって隠喩を養いあう。
シェリーの照応は幽霊のような軽さをもった力動的想像力の共時態(サンクロニー)である。ボードレールの照応が物質的想像力の王国であるとすれば、シェリーの照応は力動的想像力の王国である。シェリーの形而上詩学においては、資質のすぐれたものが互いに他を軽減することによって相集まる。それは一緒になっておのれを昇華する。それは果てしない進歩のなかで互いに手を貸しながら互いを昇華する。


◆バシュラール『空と夢』(宇佐見英治訳,法政大学出版局)70~71頁。

2012年9月7日金曜日

10周年記念wks.祭・立体展の様子 於、GALLERY wks.(大阪・西天満) 

無賞、無審査、無資格のアンデパンダン展(アンパン)の第二弾は立体作品展。
 ミヤザキプールさん「糸出てるよTシャツ」は一見、何の変哲もないユニクロの白Tシャツ。しかし裾からは赤い糸が一本ひょろり。

裾をめくると好青年が。赤い糸は小指に繋がっていたのでした。

フロアのほぼ中央、上瀬留衣さん「提案-誕生006」。あの5月の、この同じ場所に出現したビジュアルショックを思い出させる赤いプール。→http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.jp/2012/05/living-sculpture-gallery-wks.html
水面にたくさん浮いている黒髪美人は上瀬さんご本人。

福田真知さん「いわくも -001」。カミ(紙-上-神?)をちぎり、ねじり、複雑にはりつけて造られた雲のようなもの。

「いわくも -001」の隣には漆芸家・亀谷彩さんの「トリノクラ」。塔の壁面?には雷模様が・・・。この作品の台座の下にも作品がある。


ヤマダヒデキさん「青空の味 Taste of summer」。黄色いコップをひっくり返したら、空が滴り落ちてきた、ような・・・。
どっかで聞いたことのあるモノスゴイ叫び声が響いてくるなと思ったら、京都三条河原での大橋範子さんのパフォーマンス映像が。「原発絶対反対 よくなれ地球」と絶叫。

田中加織さんの飴みたいな「水石」。左から二番目のは富士山に見立てたもの。

かのうたかおさんの陶芸作品「掌中天アリ」。眺めていると、今自分が属している時空との整合性が解体されるほどまでに意識が吸い込まれていく。この裂け目の中に。実に深い。
かのうさんについては並木清貴さんが素晴らしいレヴューを書いているのでそちらをどうぞ。
http://den393.blog81.fc2.com/blog-entry-762.html

木っ端の上に石が乗っかっているようなワタナベさんの「へイハチ ヲ マネル」。樟を彫りだしたものだそう。台座の端にピンクの「さわっていいよ」マークがついているので、これを持ち上げると中からヘンなものが・・・。目を疑うばかりの超絶技巧に唖然。

千光士誠さん「阿吽」。

福永宙さん「Step Foward」。青赤メガネを使って立体化する宙さんの肖像。だがそう簡単には(?)結像しないという代物。

なんだかイヤラシイ突起物が壁から突きだした山岡敏明さんの「A Point of GUTIC2012」。これも触っていい作品。

伊東恭子さんの「今日もこんなことを繰り返す」。破片化した飴みたいなものが詰まっている。「こんなこと」ってどんなこと?

倉庫の把手には「Please Pull.」と書いた札。この奥には鬼村克哉さんの「住みたくない街」なる不思議なジオラマ状の作品。


賀川剣史さん「祝い豚」を写真に撮ろうと思ったら、出展作家の西村有理さんが自分の作品の中から婆さんの人形を一体もってきてアニメを撮影していた。逃げまどう仔豚さんをおわえまわす老婆の物語か。他人の作品でなんてことを・・・
撮影する西村有理さん(左)。それにしても美事なコラボになっている。


出来上がったアニメはこれ。



ファインダーの外に出され一箇所に集められた豚さんは、さながら福島での餓死や、宮崎での殺処分を思わせる不気味さ。

「・・・晩夏の蝉殻に像、残す/ロマンポルノの乾いた、響き/夏の湿った指は乾いてしまった、のか。」という詩が添えられた塚本佳紹さん「セミの映像」。この8ミリ映写機のレンズを覗いてスイッチを押せば、レトロなポルノ映画が流れる仕掛け。

おや?
「どくいりきけん」と書かれたくしゃくしゃの紙が貼られたヘンな容器がおいてある。昔のメロンシャーベットのメロンをミカンにしたような。フタをあけると極めてワイセツなもの(ロマンポルノの比ではない!)が入っていたのだが、wks.オーナーの片山さんによると、これはいつの間にか何者かが置いていったものらしい。 
このようなハプニングがみられるのもアンデパンダン展ならではの醍醐味といえば醍醐味であろう。

作家と作品の数だけ存在する、無限へと開かれた世界観の象徴物が、ひとつの空間に共在する小宇宙、としてのホワイトキューブ。
wks.祭/立体展は間主観性の現象学をそのまま空間に視覚化させたようなものである、とひとまずは言ってみたいのだが、そんなコムズカシイことはどうでもいいほどにアートと戯れる楽しみを満喫できる展覧会である。





GALLERY wks. 9/2~9/22

田中加織 / コタニカオリ / オオモリヨシエ / 山本朱 / 梶川能一 / フルタミチエ / 大橋範子 / 木内貴志 / 賀川剣史 / 安藤吉準 / ミヤザキプール / 西村有理 / たなかさく / ヤマダヒデキ / ムラギしマナヴ / かまぼこムーブセンター( 小池芽栄子・荻野ちよ・土橋良一) /
 藤原拓馬 / 鬼村克哉 / 伊東恭子 / 友田多恵子 / 西本紀文 / 片山和彦 / 赤土浩介 / 山岡敏明 / 高田景子 / 北浦和也 / ハザマヨウイチ / 安部永 / 谷口和正 / 森川穣 / 森岡厚次 / かのうたかお / ワタナベ / Abbey Yoshihiro / 福田真知 / 亀谷彩 / 上瀬留衣 / 吉田周平 / 岩城典子 / 城戸みゆき / 千光士誠 / 李綾子 / 中山恵美 / 星川あすか / 久野安依子 / 下垣沙耶香 / 塚本佳紹 / 福永宙 以上 出展作家 48 名