2012年12月31日月曜日

越野潤"perspective" 






[perspective]
遠近法、透視図法、見取図、眺め、遠景、見通し、遠近感、相対関係、ものの見方、展望・・・

次第に五感が研ぎ澄まされ、それにつれて夢想が訪れる。
窓外の騒音さえもが、なにか自然の音であるかのような風景がまぶたに広がる。

そして数日を経て振り返ってみると、夢想は思索への入り口であったことに気付く。

私の見ているもの、見ている風景、見ている世界、その地平の向こう側へとつねに乗り越えようとする意思があることによって私は生きていることを実感する。その地平の向こう側から私を引っ張ってくれるものにしたがって、向こう側を臨むこと。展望perspectiveとはそういうことではないか。
〈私〉を〈私たち〉と置き換えることで、共にあることをも展望できるはずである。

ART SPACE ZERO-ONE  11/17~会期延長中



2012年12月28日金曜日

鎮座する機械、拡散するミーム、回帰するイメージ ~金理有のオブジェ 

オルタナティブスペース・Factory Kyotoの奥の院に、ほんの束の間現れた祭壇。
現代陶芸家・金理有(きむりゆ)さんのオブジェを特徴付ける幾何学的文様は、ミーム(meme)を象徴的に視覚化したものであろうか。
作品は欲望する〈機械〉であり、闘争する〈機械〉であり、抑圧や封鎖を制度化する動きに対し、つねに新たな空間を拓いていく力の源として、また異次元に引き裂かれた世界の断片を溶け合わせる溶剤のようなものとして存在するようだ。

強烈に放射されるアウラは〈衝撃〉をもって鑑賞者の知覚に到達し、イメージは脳裏に深く刻印される。そして即座に強い引力によって意識が動員される。にもかかわらず、主体を犯すことはない。それどころか、〈衝撃〉の反作用として主体の力を引き出し、内側から何かを漲らせる。
また、〈衝撃〉は鑑賞者と作者とを差別しない。なぜなら、射貫かれるのは鑑賞者の実存だけでなく、作者である金さんの実存でもあるからだ。そして、凶暴な外見に具現化された〈強さ〉はそのまま〈弱さ〉の逆説としてもあり、〈弱さ〉と〈強さ〉はいつでも自在に入れ替わりうる。

金さんがあやつるイメージの詩学は、穏やかなアウラで引力と斥力の間にイメージを定位させる作風の作家とは一見異質のように見えるが、インタラクティビティ(双方向性)という点では本質において何も異なるものはない。

そんな金さんは、材料の陶土や釉薬のブレンドなどを秘匿せず、オープンソースを信条としている。

奥の院に足を踏み入れた筆者は、こんな荒療治ともいえるやり方によってしか癒されないものとは何か?を考えることを、今後の課題として与えられたような気がする。
あまた氾濫する生やさしい「癒し」ではない。


※ミームとは文化を形づくる様々な情報であり、人々の間で心から心へ、習慣や技能、物語といったかたちをとってコピーされる情報のこと。会話や文字、振る舞い、儀式等によって人の心から心へとコピーされていく、いわば文化的遺伝子ともいうべきもの。生物学者リチャード・ドーキンスが提唱した形而上学仮説。

Factory Kyoto 「金師範の"寺子屋FACTORY"」 12/21~26

2012年12月23日日曜日

テーマ展"AGING"より 於、コンテンポラリーアートギャラリーZone (箕面)  

"AGING"(歳を重ねること)をテーマに、20人の作家が集う展覧会の様子。

 バロー・リベルト「URASHIMA TARO RETURNS WITH GUEST WORKERS」。
浦島太郎の載せるカメはウミガメではなく、しっかりと大地に足を踏みしめるヌマガメである。
太郎が手にする籠には果物・・・ではなく赤ん坊がぎっしり。

ヤマダヒデキ「大切な物は何か考えてみる part7」。
漆黒の液体に浮かぶ百合の花。つぼみと花とは同じ水面にならぶ。 合成写真ではない。つぼみと花とは、対立してはいない。空間を表象しているのでもない。これは一人の人物の、人生の時間を表象したものであると同時に、異なる時間を生きる者同士が、共にあることをも意味しているように思う。

しまだそう「見てnight Y」「見てnight O」。
この世界の自由と不自由、その両方に彫られたような、あるいはこれから彫られるであろうような表情の二人(一人?)。

入江陽子「inside out」。
二重螺旋状のバネから跳び出さんとしているのは、裏返ったサッカーボール。
球の内側の虚空だけを包んでいたボールは、反転することで宇宙をすべて包みこもうとするが、割れ、ほころび、しぼみ、バネの上でたたずむ・・・


コンテンポラリーアートギャラリーZone 12/20~12/29


通常、ホワイトキューブといえば閉鎖系6面体かそのヴァリアントであるが、このギャラリーは外部との境界となるはずの壁が1面存在せず、古い市場の路地に溶けている。


北夙川不可止×田面遙華「伯爵と魔女」 於、Gallery1(神戸・旧居留地)

庭石の下には龍の干からびて輕(かろ)き木乃伊(ミイラ)となり果ててをり
「この木乃伊どこで見つけた?」「庭石の下にはいつも龍が棲んでいる」

 夏至の夜龍の鱗の飛び散りて数千万の水溜りとなる

人形(ひとがた)の吐息に揺るる燈火よ約束はまだ果たされぬまま


Gallery1 12/7~12/27

歌・北夙川不可止(きたしゅくがわふかし)
書・田面遙華(たづらようか)

2012年12月18日火曜日

ヘアピンのシャンデリア (Gallery1/神戸・旧居留地)





突撃洋服店から譲り受けた古いシャンデリアに、チェーンで緯(よこいと)を差し渡し、それに数万本のヘアピンを引っ掛けた蜘蛛の巣状のシャンデリア(八木智弘さんが制作)。

ここは神戸の旧居留地、1938年に竣工したチャータード銀行ビル。この堅牢な建物は1995年1月の震度7をも耐え抜いた。

2012年12月17日月曜日

「アブストラと12人の芸術家」展クロージングパフォーマンス 於、大同倉庫(京都)20121216

出展作家の田中和人さんとマイアミ君によるパフォーマンス「出会い」。
カンディンスキーの肖像写真や絵画作品が随所にモンタージュされた映像が、シェーンベルクの音楽とともに壁面に投影され、始まる。



 映像が終わるとステージがライトアップされ、マイアミ君と田中和人さんによる朗読劇に移る。カンディンスキーやシェーンベルク、あるいはどこかの教授様にさしあてた(ほとんど)一方通行の手紙を朗読するという内容。写真はマイアミ君。
 田中和人さんは自身の連作「モダンアートのゴースト」が貼られた壁の端に終始座ったまま。
 ステージの光を受ける八木良太さんの「CD(Black)」。
この写真を撮影していた時、マイアミ君が朗唱する以下のような言葉に耳が惹きつけられた。
「いたるところで、新しい芸術家達が挨拶をおくり合う。
分かり合うためには、まなざしと握手で充分だ。」
このフレーズは、会場に集う人々とともに唱和し、何度も反復された。
そしてこの日(12月16日)146歳の誕生日を迎えたカンディンスキーを祝うケーキが振る舞われ、パーティへ。

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「アブストラと12人の芸術家」展 11/11~12/16


2012年12月9日日曜日

加世田悠佑「,1秒先の観測点 -コンマいちびょうさきのかんそくてん-」 於、Factory Kyoto

budと名付けられたキューブ状のオブジェ群が配された暗闇の中を、懐中電灯をもってめぐるというインスタレーション。
コンクリート製のキューブにはどれも穴ぼこがあり、それは弾孔のような、穿孔のような、あるいは岩窟や坑道のようにも見える。
穴ぼこの底からは、何かが芽ぐむようにせり出している。
どうやらそれはガラスのようだ。

 コンクリートもガラスも、近現代文明を構成する代表的な建築資材であり、それゆえ身のまわりにありふれたものである。この角度からライトを当てると、まるで都市の廃墟を思わせる影がなびく。

 手に載せると重く、掌に冷たさがしみわたるが、眺めていると温かみが体の内側からこみ上げてくる。そのとき、無機物であるはずのガラスの芽は、ゆたかな表情を湛えだす。
(手に取ることを推奨される、スペース中央に積まれた5㎝立方のbudたち)
ガラスとは、壊れやすく繊細な性格でありながら、酸によってもアルカリによっても腐食しないつよさを備えた物質である。
光を受けたガラスの、やわらかくしなやかな芽が生気的に放つアウラは、視線をやさしく引き寄せ、ほどよい位置で意識とつりあう。
ここではアウラの属性である引力と斥力とが、絶妙な関係を保っているようだ。

すぐれた象徴性と、豊潤なイメージの詩性を感じさせる加世田さんの作品は、他者の感性に一方的に覆い被さる〈こけおどしのサブライム〉とは全く別の志向性に貫かれている。
その、柔和なる美学・・・。


Factory Kyoto 11/30~12/9 
加世田悠佑展「,1秒先の観測点」(小島健史キュレーション)


2012年12月8日土曜日

【覚書】ジョルジョ・アガンベン『到来する共同体』




ジョルジョ・アガンベンが来たるべき民主主義のために書いた『到来する共同体』(上村忠男訳,2012,月曜社)では、〈何であれかまわない存在〉が共同性の(非)主体として想定されている。

すなわち、アガンベンのいう〈到来する共同体〉とは、〈何であれかまわないもの〉たちの共同体、ということになるのだが、〈何であれかまわないもの(存在)〉とは何なのか? 
それをアガンベンは、いつものように古今の哲学・宗教・文学・言語学などを縦横無尽に行き来しながら、晦渋な論調で一冊まるまる使ってレリーフのように彫り進めていく。それはこの概念が明確に定義付けるということとはそもそも馴染まない性質のものだからである。それでもアガンベンの他著作と関連の深い文脈では、簡潔な言葉でその属性が明かされる。

存在しないでいることができる存在、自ら無能力であることができる存在」(50頁/9節「バートルビー」)

何であれかまわないものというのは単独性に空虚な空間が加えられたもの、有限でありながら、ある概念によっては限定されえないものである」(86頁/16節「外」)

ブランショ『明かしえぬ共同体』、ナンシー『無為の共同体』という共同体の(不)可能性をめぐる問いの系譜を同じく引き継いだリンギスの『何も共有していない者たちの共同体』に比べると、悟性的にも感性的にもすっきりとは理解しづらい。苦しみの中で求め、読み、この本に行き着いた人たちであっても、やはりそのように思う人は少なくないだろう。それがアガンベンの不人気の理由なのだろうが、すっきり晴れやかにはけっして語り得ないものの中にこそ価値をみるというのがアガンベンのこだわりなのだから、仕方がない。それでもやはり、実践を見越した思想書である以上は使えないと意味がないので、アガンベンからこの本を受け取った私たちは〈何であれかまわない存在〉を具体相においてどのような存在に当てはめて語るかを考える必要がある。それが、この本を道具として実用化する上での鍵になることは間違いない。
「不法」就労者、薬物中毒者、失業者、ニート、フリーター、知的浮浪者、芸術的浮浪者、有象無象など、思い当たるフシのある人にとっては大した話ではないかもしれないが、語ることで実用化するためには、あえて文学作品から例示するのもちょっとした面白みになろう。

私が最初に思いついたのは、寮美千子さんの『星兎』(1999年,パロル舎)に出てくるぬいぐるみのような生身の生き物「うさぎ」であった。

以下は、「うさぎ」と主人公の少年・ユーリとの会話。

「ところできみ、名前は?」
「えっ」
「なんて呼んだらいいのかな、きみのこと」
「あ、ぼくユーリ。ユーリって呼んでよ。きみのことは、なんて呼ぼう」
「『うさぎ』でいいよ」
「名前は、いらないの?」
「どうして名前なんかいるの? 『うさぎ』って呼んで、ぼく以外のうさぎが返事をすると思う?」
ぼくは、首を横に振った。
「ぼく、なんにもいらないんだ。例え名前だって、持たなくてもすむものは、いらない。家だっていらないし、記憶だとか、過去だとか、そんなものだって、なくたっていいって思っているのさ。実際、ないんだけどさ。だからって、やせ我慢してるわけじゃないんだ。これはこれで、さっぱりしていて気持ちがいいよ。いくところもないし、帰るところもない。でも、どこへでも好きなところへいけて、好きなところへ帰れる。ぼくは、誰のものでもない。ぼくは、ぼくのものなんだから」
ぼくは、びっくりしてうさぎの顔を見た。
こんなふうにいうのはおかしいかもしれないけれど、その時のうさぎの顔は、すごくきれいだった。夕陽がうさぎの顔を照らして毛の尖(さき)がきらきらと光り、うさぎは遠くを見ていた。どこか、すごく、すごく遠くを。薄紫に煙る半島に太陽が沈もうとしていた。その反対の海から、月が顔を出そうとしていた。


2012年11月30日金曜日

井桁裕子「加速する私たち」 於、ときの忘れもの(東京・南青山)

 「墜落」(桐塑に油彩)



 「加速する私たち」(桐塑に油彩)





桐の粉に糊を混ぜ粘土状にした素材で造形する、桐塑(とうそ)という伝統的技法で制作された「加速する私たち」は、2年近い制作期間の間中(その最初の頃から)、壊しては作り直し、削っては盛り直して磨く、をずっと繰り返しながら仕上がる直前まで細部の造形を続けたのだ、と井桁裕子さんはいう。
数ヶ月前には、白い肌に手直しの痕でまだら模様になった着彩前の姿が撮影・公開されたのだが、もう二度と実物で見ることのできない姿が公に示されたということは、この人形の体に起こったあらゆる出来事全てを含み込んだものとして、作品が成り立っていることを意味しているように思う。見る人の趣味的好悪を超えて迫り来る、とてつもない存在感は、そのような制作姿勢によって担保されているのだろう。
一つひとつの作業工程の中で加えられた手の痕には、微細な時間が折り畳まれているかのようだ。
360度×360度、あらゆる角度から、あらゆる角度に。

この「加速する私たち」は、天空揺籃に所属する舞踏家・高橋理通子(たかはしりつこ)さんをモデルにした作品であり、小さめの作品「墜落」も、つくっているうちに顔が理通子さんに似てきたのだという。
舞踏=動、人形=静。舞踏家の理通子さんは生が死を内包していることを象徴する白塗りの肌で舞台狭しと躍動するのに対し、人形の理通子さんは傷ついた姿を晒しながらも生命力漲る血色のいい肌で静止している。
モデルと作品との対照性を通じて、矛盾や二律背反、そしてあらゆる対極的な価値観がひとつの場所に共在する作品が、両義性を開示する。しかもその両義性は、さらなる複数的な位相の重なりをかたちづくる。

そうして目の前に現れた作品は、高橋理通子さんの肖像であると同時に、感性までもが高速化を強いられる時代を生きる、"私たち"の肖像でもあるのだ。

人はどこまでも独りであることを峻厳に示しながら、それでいて理通子さんの似姿は孤絶への志向ではなく、共にあることへと向かって走り続ける。たとえ肉体が千切れても、墜落しても、主体が想定する事態を超えた圏域から、掬ってくれる手が現れるという希望。
神のように大きく頼もしい手であったり、赤ん坊の小さな手であったり。
そこに空虚なニヒリズムはない。しかしニヒリズムのどん底を経て、その彼方を展望した者だけが確信をもって語ることのできる"私たち"という一人称複数がここにはある。
作品と共に過ごしたあとに残る余韻の、神々しいまでの清々しさはおそらくそれに起因するのだろう。

ところで、玩具と芸術とのあわいから、フェティッシュ・アートとしての球体関節人形という分野をハンス・ベルメールが開拓し四谷シモンが展開したことは美術史に記録される事実であるが、彼らを継ぐ作家としてその系譜上に井桁さんがいることもまた周知のことである。
だが井桁さんは、自らが拓いた肖像人形という閾をも超えて、新たな境地に達しているのではないか。
にもかかわらず、それは他ならぬ人形であり、極北の舞踏を志向する理通子さんとの交わりの中でしか生まれ得なかったものなのだ。

その、舞踏家の身体を静止した姿でつくるという行為は、永遠への差し向けを意味する行為である。
現前する世界秩序の彼方に光るものをしかと見ているからこそ、井桁さんはそれを成し得るのだろう。

"加速する私たち"が今いる場所は、決してpoint of no return―後戻りの出来ない地点―ではないことを、語っている。
確かな視座から。
おぼろげな未来への投企という形をとって・・・。


ときの忘れもの 井桁裕子作品展「加速する私たち」 11/22~12/1


陶による小品も粒よりのものが並ぶ。


2012年11月28日水曜日

落合風景 瀧口修造夫妻が愛でた枝垂れ桜(西落合)


詩人・美術評論家の瀧口修造(1903-1979)が自宅庭で生ったオリーブの実を親しい友人たちに瓶詰めにして贈っていたことは、日本美術史の1頁に刻まれるべき有名なエピソードである。
(上掲2枚の写真は『別冊太陽』382号「特集:瀧口修造のミクロコスモス」〔1993年,平凡社〕より)

蔵書も夢日記もすべて戦災で失った瀧口は、戦後8年間の間借り生活を経て1953年(昭和28)、住宅金融公庫を利用して西落合のこの地に小住宅を新築した。
その西落合も今や都内有数の高級住宅街。
瀧口の自宅があった場所は今、敷地一杯に建てられた他人の邸宅になっており(写真左側の赤レンガの家)、名高いオリーブの木はもうそこにはない。
ただ、瀧口夫妻が毎春愛でていたという隣家の枝垂れ桜だけが往時を偲ぶよすがである。


※この枝垂れ桜が咲いた様子は、旧瀧口邸の現在を探訪した中村惠一さんのブログにでている。



2012年11月27日火曜日

落合風景 尾張屋(ソバ屋)

 喫茶ワゴンのほど近く、林芙美子がデートに使っていた尾張屋は健在。

蕎麦とミニ天丼のセット(800円)。お味は極上、非の打ち所なし。

落合風景 喫茶ワゴン跡

太宰治、壇一雄らがよく出入りしていた喫茶ワゴンの跡地は今、カフェ・コロラドになっている。場所は西武新宿線中井駅を東にすぐ、妙正寺川の北岸。