作家は横たわる花を描き
私は掛けられた絵を眺める
作家の時間と私の時間 が 束の間ここで交わる (束の間?)
作家が花を見つめること と 私が絵の中の花を見つめること との間に いつかどこかで見た あるいは未だ見てはいないが どこかに在る(はずの)花が浮かぶのだとしたら
〈花〉とは? 〈在る〉とは? 〈見る〉とは?
詰み 摘まれる 花の死 と 描き 書かれる 作家の生 から産まれた絵は
人物画にして静物画 隠喩にして換喩 且つ 何ものでもあり 何ものでもない(のだろうか?)(複数の他者? 複数の私? それとも複数にして単数の存在?)
絵を見ることが必ずしも絵と向き合うことを意味しないように 絵と向き合うことが必ずしも他者と向き合うことを意味しはしない (では 自己と向き合うこと?)
だが 絵と感性とが絡まり合えば 否応のないヴィジョンが現れ 否応のない問いへと引き寄せられてゆく 例えば
二つの花を結ぶ三つめの存在 としての〈顔〉 誰の?
絵は視線とアウラを濾過する出入り口 それは窓?
螺旋状に進みつ 退きつ ある 存在と時間の戯れは
いくつもの透き徹った問い とともに 掟の曠野を超えてゆく
(会場配布リーフレット寄稿のテキスト全文)
◆Nii Fine Arts 2014.4.4~4.20