2019年11月3日日曜日

『現代詩手帖』2019年11月号「特集:瀧口修造、没後40年/追悼・長谷川龍生」 

前回生誕100年時以来、16年ぶりとなる瀧口修造特集に、鶴岡善久さんへのインタビュー「シュルレアリスムを生きる」と、論考「瀧口修造と冨士原清一、あるいは二人の守護天使」の2本を寄稿しています。さらに小林坩堝さんと中野もえぎさんより『薔薇色のアパリシオン』の書評をいただきましたので、冨士原清一関連が4本入っています。










































































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【特集Ⅰ】瀧口修造、没後40年 実験とは何か

インタビュー
鶴岡善久+京谷裕彰(聞きて) シュルレアリスムを生きる 瀧口修造と冨士原清一

インタビュー
巖谷國士 瀧口修造と「共時的星叢」 台湾国立美術館の展覧会から

座談会
久保仁志+山腰亮介+山本浩貴+h 「影どもの住む部屋」の余白に

論考
野海青児 寒冷な鏡面・瀧口修造の故郷
帷子 耀 「詩への広場」から
笠井裕之 瀧口修造1963  「オブジェの店」と「リバティ・パスポート」
京谷裕彰 瀧口修造と冨士原清一、あるいは二人の守護天使
早﨑主機 宮脇愛子「ウフフの人」を読む
山腰亮介 瀧口修造の〈余白〉 層|透明|痕跡|註記|影|編集(順不同)

作品
高貝弘也 鏡の鏡の鏡

【特集Ⅱ】追悼・長谷川龍生

対談
倉橋健一+細見和之 戦後詩の最後の一人が亡くなった 長谷川龍生の詩と生

エッセイ
平林俊彦 いつか何処かで
新藤涼子 夜明け前の空気のように
山田兼士 静力学と動力学 小野十三郎から長谷川龍生へ
城戸朱理 明晰さと狂気と
白井知子 「移動と転換」をコアに

追悼
川上明日夫 旅するお人 長谷川龍生
たかとう匡子 龍生さんの思い出
三井喬子 安らかにお眠りください
細田傳造 遭遇したということ
野沢 啓 龍生さんへの感謝
岩佐なを 解放区の長谷川さん
前川整洋 長谷川龍生先生に個人指導していただいて
森川雅美 弱い者へのまなざし
岸田将幸 最後の力

作品
和合亮一 おれは新しい靴のうらにごむをつけた 第27回萩原朔太郎賞受賞第一作
岡本 啓 野の切れはし #3

連載詩
片岡義男 より良いことを選択しながら 最終回
森本孝徳 暮しの降霊 Ass Meducation #3

連載
北川 透 《灰暗の森》を通る道 『「野性時代」連作詩篇』を読む(下) 吉本隆明、最後の詩の場所

連載
新井 卓 陽の光あるうちに 最終回
月永理絵 映画試写室より 最終回
浅見恵子 詩を生きる地 最終回
外山一機 俳句の静脈
井上法子 ここから、歌の世界は

月評
宗近真一郎 詩書月評
白井明大 詩誌月評

Report
伊藤浩子 明日へ Reborn Art Festival「詩人の家」

Book
内堀 弘 季村敏夫編『一九三〇年代モダニズム詩集』
中野もえぎ 襤褸と宝石 冨士原清一、没後七十五年
小林坩堝  京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』

新人作品  11月の作品

新人選評
阿部嘉昭、野木京子

増頁特別定価1430円(本体1300円)





2019年10月13日日曜日

詩誌『EumenidesⅢ』58号

【詩】
広瀬大志「乱樹師(ゴ・ザイラ)」
松尾真由美「中空での抗い、そのように育むものの」
小笠原鳥類「こわくない人形たち」
渡辺めぐみ「夏至を待つ」
京谷裕彰「ミドリムシとゾウリムシ、その別れ」
海埜今日子「水処(みずこ)」
北原千代「零れる音」
小島きみ子「月光」

【論考】
松尾真由美「アナイス・ニンという作家と詩的なるもの」

【詩集書評】
小島きみ子「無限なものへ至る表現」

【あとがき】

【広告】
京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』(共和国)





◆2019年10月20日発行
 A5判32頁 600円+ 送料
 編集発行人:小島きみ子 
 購読のご希望は eumenides1551◎gmail.com (◎→@) まで


2019年10月2日水曜日

X「傷む心 見えない明日」/寮美千子「心の地層に眠る言葉の結晶」(『紫陽』24号、2011年8月)


傷む心 見えない明日
                       



いまボクが見ている景色は何もないだれもいない真っ暗闇
明日の光さえ ボクには見えない
やさしい君も いまはいない
考えたくもない最悪な思い出
楽しかったあの思い出も
心の痛みがすべてを喰ってゆく
だからボクの中には「苦痛」しかないんだ
うそくさいやさしさ 作り笑い 冷たい目 ギゼン
いらない物がボクにまとわりつく
ボクがほしいのはあの思い出だけで
それ以外何もほしくない
君と過ごした思い出だけでいいのに
君はいま どこにいますか? 
君はいま 何を思い生きていますか?
声が聞きたい
笑った顔をもう一度みたかった
いまボクが見ている景色はおわりのない真っ暗闇
真っ暗闇さえ ボクには見えない
真っ暗闇さえ いまは見えない


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心の地層に眠る言葉の結晶
    ~「傷む心 見えない明日」に寄せて
寮 美千子


 前号の「孤独な背中と気怠さと」に引き続き、奈良少年刑務所の受刑者であるXくんの作品「傷む心 見えない明日」を、刑務所の許可を得て『紫陽』誌上でご紹介させていただけることを感謝している。
 現在、奈良少年刑務所で行われている情緒教育の授業「社会性涵養プログラム」の詳細については、前号で書かせていただいた。そのなかの「物語の教室」というわたしと松永洋介が共同で講師を担当する授業のなかから生まれたのが『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』(長崎出版)だ。
 出版は、昨年6月。広告を一本も打たなかったにもかかわらず、詩集として異例の反響があり、新聞、テレビなどでも取り上げられ、版も重ねている。受刑者たちの詩が、金子みすゞ、茨木のり子、谷川俊太郎などの著名詩人の詩集と並んで読まれている、というのは、ひとつの事件だ。技巧も何もなく、飾りもない、ぎりぎりのところから出た言葉が、多くの人の心を打った。わたし自身「詩とは何か?」ということを自分自身に問う、大きなきっかけとなった。
 ただし、新聞で取りあげられるのは主に「社会欄」。例外として和合亮一氏が読売新聞で「つむがれた詩句に、境遇をたどり現在の自分と深く向き合おうとする少年の姿が見える」(二〇一〇年八月十七日)と評してくださった。また、辛口で有名な東京新聞・中日新聞「大波小波」というコラムでは「節人」と名のる方が「流行と技巧に遊ぶ現代詩人は、少年たちの書くことをめぐる真っすぐな情熱をどう受け取るだろうか。」(二〇一〇年七月十六日)と問題提起してくださった。
 詩集にまとめたのは「物語の教室」の5期までの受講者の作品である。1期は半年なので、2年半分の作品の中から選んだものだ。その後も授業は続き、あす三月十一日の授業で7期が終わろうとしている。6期でも、7期でも、はっとするような素直で素朴な言葉が詩として結実している。いや、それだけでは済まされない詩としての強烈なインパクトを持った作品も登場している。
 度肝を抜かれたのは6期生のXくんの作品だった。前号でも少し触れたが、ともかく寡黙な子だった。この授業を始めてからこんなに寡黙な子はいない、というくらい言葉が少ない。結局、彼は、自分でこの作品を声に出して朗読することはなかった。いままでの授業で、ただ一人、朗読することを頑なに拒んだのだ。無理強いすれば、壊れてしまいそうだった。だから、わたしたちも強制はしなかった。
 彼の詩は、驚くほど繊細で、透明な悲しみと孤独に満ちていた。あまりのすばらしさにわたしは感嘆し、授業の後「これを外で朗読してもいい?」と本人に尋ねずにはいられなかった。彼はすなおにうんとうなずいた。「詩の雑誌に発表してもいい?」と聞けば、またこくりとうなずく。「本名で発表してもいい?」と重ねて聞くと、またうなずき、彼は笑顔を見せた。控えめな、はにかむような笑顔のなかに、彼の歓びの輝きが見えた。
 彼のそんな顔を、わたしはそのときまで、見たことがなかった。いつも、氷原のただなかに、ぽつんと置き去りにされたような、さみしげな表情をした子だった。みんなで体を動かしているときも、教室の片隅で膝を抱えてうずくまっているような子だった。
 その重い沈黙の中で、言葉はこんなふうにゆっくりと結晶していたのだ。このしんしんとしたさみしさ、この絶望の深さ。「真っ暗闇さえいまは見えない」というほど「傷んだ心」が、ひしひしと胸に迫ってくる。
 けれど、彼はそれを言葉に結晶させる術を持っている。「詩を書いて」と言えば、彼はそれを取りだして、そっと見せてくれる。声高らかに朗読することはできないけれど、大切な宝物を差しだすように、掌のなかの結晶を見せてくれたのだ。あ、すごい、とこちらが思ったその瞬間、結晶は、きらりと光を放った。
 ああ、彼自身が、地層深くに眠る、まだ人の目に触れていない晶洞のようだ。無数の美しい結晶をびっしりと壁に生じさせた閉じられた洞窟。その真ん中の真っ暗な空洞のなか、ひとかけらの光もなく、彼の魂は膝を抱えてうずくまっている。
 人の目に触れ、光を受ければ、結晶はいやでもきらきらときらめく。
 この詩は、宮沢賢治が友に書いた手紙をわたしに想起させた。
 
「今朝から十二里歩きました 鉄道工事で新らしい岩石が沢山出てゐます 私が一つの岩石をカチツと割りますと初めこの連中が瓦斯だつた時分に見た空間が紺碧に変つて光つてゐることに愕いて叫ぶこともできずきらきらと輝いてゐる黒雲母を見ます 今夜はもう秋です  スコウピオも北斗七星も願はしい静かな脈を打つてゐます」

 詩の言葉のきらめきが、結晶から反射してくる賞賛の言葉が、Xくんの心を照らしてくれたらと願わずにはいられない。
 Xくんのいた6期の授業は終わってしまった。彼らは「社会性涵養プログラム」を卒業し、刑務所の日常へと帰っていった。わずか半年、しかも、わたしにとっては月に一回だけのつきあいだった。もっともっと彼らの詩を読みたい。彼らといっしょにいたい。まだ、表現の大海原へと漕ぎだすための港についたばかりではないか、ここからいっしょに、彼らと彼方への旅をしたい、と願う。でも、それはいまは許されていない。わたしには、いまのところ、授業を終えた彼らと接触する術はない。残念だ。
 彼はいま、どうしているだろう。わたしたちの授業は、彼のいる晶洞に、わずかでも光をもたらすことができただろうか。彼は、自らが作りだした結晶の美しさに、気づいただろうか。彼が、その美しさに励まされることはないだろうか。
 彼がここに来る以前に詩を発表することができていたら、もしかしたら、罪を犯さずにすんだのかもしれない、とも思う。
 きょうも、刑務所ではいつもの日常が淡々と過ぎていく。そこには、まだ誰の目にも触れたことのない結晶たちが眠っている。地層のなか、さまざまな言葉が、だれにも届かないまま、静かに結晶を伸ばしていく。


追伸:『紫陽』23号を読んだXくんから手紙が来た。「この詩集にのってるのが本当にびっくりです。書いてよかったと思っています。今まではなんでもやりきった事がなかったし、やりたい事がなかったけれど、一つやりたい事が見つかりました」それは詩を書くことであると。よかった。


※(編集人記)『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』は今年五月に新潮文庫版が出版された。
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詩誌『紫陽』24号、2011年8月
編集:京谷裕彰/藤井わらび
発行:紫陽の会

X「孤独な背中と気怠さと」/寮美千子「詩の力・座の力/詩が開く心の扉」(『紫陽』23号、2011年1月)

  孤独な背中と気怠さと
                    X



気怠く笑う耳が千切れそうなほど笑い声が鳴り響いて
強く胸を締めつけるからだれにもわかんないように耳をふさいで
独りあるく夕暮れの空 目の前には笑いつかれた少女が独り
ボクは今、孤独な背中と夢の中 気怠さと笑い声のオンパレード
ボクは今、孤独な背中と夢の中 真っ白な空の下 時が止むのを待っている
ボクは今、孤独な背中と気怠さの中 無音無色の世界が見えた
ボクは今、孤独な背中と気怠さの中 無感情な少女が独りいた
目が覚めたボクは真っ白な部屋の中 小さな窓とベッドといすが一つずつ
自分以外だれ一人いない小さくて白い部屋
窓から見えるキズだらけの空
地面に叩きつけられた雨音に胸を締めつけられ
だれにもわからないように窮屈そうに声を出した その声に少しぞっとする

冷めた表情 伏し目のまま 笑いつかれた少女が キズだらけの空を見た
泣き顔 小さな目 丸まった背中の少女が 仏頂面な空を見た
ボクは今、孤独な背中と夢の中 気怠さと泣き声のオンパレード
ボクは今、孤独な背中と夢の中 仏頂面な空の下 雨が止むのを待っている
ボクは今、孤独な少女と夢の中 無音無色の世界を見た
ボクは今、孤独な少女と夢の中 窮屈そうな声を見た
冷めた声 伏し目の少女は両手を広げてとび立った
ボクはそれを見送ったあと 目を閉じた



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詩の力・座の力/詩が開く心の扉
     ~「孤独な背中と気怠さと」に寄せて
寮 美千子

 わたしたちは自己を表現するための「言葉」を持っている。いわゆる言葉以外にも言葉がある。目の表情、口元、体の姿勢、すべてがわたしたちの「言葉」であり「表現」だ。
 しかし、その表現が極端に苦手な人間もいる。しゃべるのが苦手、笑顔も出ない。そんな人間は、周囲に理解されず「何を考えているのかわからない」と不気味に思われる。時に怖れられ、あるいはバカにされ、いじめられ、彼らはますます自己の殻に閉じこもってしまう。話してもどうせわかってもらえない、という思いが、彼をますます孤独にし、絶望の淵へと追いこむ。
 奈良少年刑務所の社会性涵養プログラムの受講生たちのほとんどが、そのように極端に自己表現が苦手な青年たちだ。ある者は発達障害を抱え、ある者は激しい虐待を受け、ある者は育児放棄された経験を持っていた。自分の意志や努力とは無関係に、運命のごとく社会的に弱者の立場に置かれてきた者が多い。そのせいで、ある意味「言葉」を奪われてきた人々なのだ。
 自分を表現できない、相手と意思の疎通ができない。その悪循環が加速し、その結果追いつめられ、とうとう爆発して事件に至る、というケースも多い。彼らは、加害者である前に、被害者であったのだ。小さくキレて発散できていればすむものが、溜まりに溜まって大爆発になり、不幸な事件となってしまうこともある。
 奈良少年刑務所で、受刑者の情緒を耕すための「社会性涵養プログラム」の講師を務めて、すでに3年が経った。このプログラムは、絵本を読み、詩を読み、さらには彼らに詩を書いてもらい、それを合評していくことで、そんな彼らに、徐々に「自己表現の言葉」を身につけていってもらうための授業である。
 教育の専門家でもなんでもないわたしが、ひょんなことからこのプログラムの講師になった。というのも、明治以来の旧監獄法が改正され、刑務所が単なる懲罰のための施設から、更生のための教育を受けることのできる施設へと、その位置づけが変わったからだ。
 二〇〇七年から新たに始まったプログラムであったため、メソッドもなにもなくて、手探りで授業を始めた。受講者は十名前後。刑務所の中でも、ほかのものと歩調を合わせることができなかったり、極端に自己主張が苦手な子たちだ。授業は月に三回、一時間半ずつ。一回はSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)といって挨拶などの基本を学ぶ授業、一回は絵を描く授業、そしてわたしの受け持つ「詩と物語の教室」だ。これを六ヶ月行う。合計十八回。たったそれだけの授業で、彼らは見違えるほど変わる。変わらなかった者などいない。表情が豊かになり、言いたいことが前よりも言えるようになり、時には曲がっていた背中がまっすぐに伸びて、胸を張って堂々としてくる。堅さがとれて、自然体に近づいてくる。そうなると、他者とのコミュニケーションもスムーズになり、ますます表情が明るくなって〝良循環〟が始まるのだ。
 一回の授業のはじまりと終わりでは、その差がわかるほど変わるのだが、ぐっと変わるのは、詩の授業をしたときだ。それも、有名な詩人の詩を読んで鑑賞したときでなく、彼ら自身が書いた詩を合評したとき。自作の詩をみんなの前で朗読し、拍手を受け、その感想を仲間の口から聞いた時、確かに深いところで閉ざされていた鍵が、かちゃりと音を立てて開かれる。
 時には、これが「詩」だろうか、と思うほど素朴な作品があった。「何も書くことがなかったら、好きな色について書いて」という課題に提出された作品だ。
 
 好きな色
 
 ぼくの好きな色は 青色です。
 つぎに好きな色は 赤色です。
 
 この、ストレートすぎる言葉に、一体どう対応していいのかと戸惑っていると、受講生の一人が「はい」と手を挙げたのだ。そして言った。「ぼくは、○○くんの好きな色を、一つだけじゃなくて二つも聞けて、よかったです」「ぼくもです。○○くんの好きな色を、一つだけじゃなくて二つも教えてもらって、うれしかったです」「○○くんは、ほんまに青と赤が好きなんやなあって思いました」
 驚いた。そして感動した。彼らはなんてやさしいのだろう。なんて友だち思いなんだ。こんな人々が、なぜ刑務所に来なければならなかったのだろうか。きっと、彼らをそこまで追い詰めた何かがあったに違いない。
 そして、わたしは自分を恥じた。わたしは、この作品を、彼らのようには受けとめることができなかった。「詩とはこんなもの」という観念に縛られていたからだ。
 極端に表情のとぼしかった○○くんは、仲間のその言葉を聞いて、笑った。教室にやってきてはじめて、まるで花がほころぶように、ふわっといい笑顔を見せたのだった。
 その瞬間、わたしの中の「詩」の概念がひっくり返った。「いい詩」「すばらしい詩」というものがあるというわたしの固定観念が、微塵に砕かれたのだ。言葉は、詩になるのだ。言葉を発した人が詩だと思い、受け取った人が詩だと感じれば、どんな言葉も、神聖な詩の言葉になるのだ。彼らは、彼らの力で、友の言葉を「詩」たらしめたのだ。指導者の力ではなく、彼ら自身の力で「詩」を発見したのだ。
 もちろん、いい詩はある。いつどこで誰が読んでもすばらしい、完成された作品はある。けれどそれだけではなく、「座」が神聖な「詩」を生み出していく、そのような「場」としての「詩」があるのだと思い知った。
 彼らは、表現や言葉を扱うことが極端に苦手だ。だからこそ、虚飾や嘘が入る余地がなく、ギリギリの言葉を紡ぐが故に、まっすぐに届いてくる。「表現」という時、わたしたちはなにか一見華麗に見える「表現らしきもの」におぼれてはいないだろうか。
 彼らが自分たちの詩を発表し、誰かに受けとめられた瞬間、彼らがあからさまに変わるのを目の当たりにして、わたしは「詩の力」に大きな驚きを感じた。詩には、確かに力がある。わたしが思っていた以上に、それは力を持った神聖な言葉だ。わたしは、いままで、そこまで詩を信じていなかったかもしれない。けれど、この体験を通じて、詩の力を実感することができた。
 彼らの詩をまとめ、授業の様子を書き添えて編集したのが『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』(長崎出版、二〇一〇年六月)である。ぜひ読んでいただきたい。ことに詩を書く人、読む人に、これを読んでもらえたらと思う。
 この詩集には社会性涵養プログラムの5期生までの作品が収録されている。現在、プログラムは7期目に入り、これから詩を書いてもらうところだ。6期でも、驚くべき作品が生まれている。これをなんとか紹介したいと思い、刑務所の許可をいただいて、ここに一つの作品を紹介させてもらった。
 これを書いたのは、緘黙といっていいほど無口で、引っ込み思案な青年だ。それでも、教室では何とか小声で発言してはくれたが、彼はついに殻から出てこようとはしなかった。
 ところが、詩の課題を出して提出された作品を見て、驚いた。そこには饒舌なまでにその心の内側が表現されていたからだ。その痛み、孤独、泣きたくなるほどのさみしさが、見事に言葉として結晶していた。
 「すごいね。すごいよ、この詩」とわたしは興奮して彼に話しかけた。「ねえ、この詩、刑務所の外で発表してもいい? わたしが朗読してもいい?」
 そう言うと、あの緘黙な彼が、すこしうれしそうにうなずいたのだ。
 「ねえ、詩の雑誌に発表してもいい?」
 また、うなずく。
 「きみの名前、書いてもいいかな?」
 彼は、はっきりとうなずいた。しかし、それは叶わなかった。教官から、こんな注意を受けたからだ。
 「それはいけません。詩を発表するには、許可がいりますので、申請をして手順を踏んでください。それから、残念ながら、本名では発表できません」
 というわけで、申請をして許可を得て掲載させてもらうことになったが、彼の名を明かすことはできない。
 授業で、彼が書いてくれた詩は二編。どちらもすばらしい。今号で一編、次号でもう一編を紹介させてもらいたいと思っている。受刑者の詩だからではない、すばらしい詩だから、紹介するのだ。彼の詩には授業の仲間、という枠を超え、見えない大きな座を作っていく力があるとわたしは思う。多くの人が、彼の言葉に心を震わせ、共感するだろう。その孤独の深さの痛みを感じるだろう。彼がそのことを、誇りに思ってくれたら、うれしい。

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詩誌『紫陽』23号、2011年1月
編集:京谷裕彰/藤井わらび
発行:紫陽の会

2019年9月15日日曜日

中野嘉一「ヒプノスの像」(詩集『ヤスパース家の異変』所収、1988年)

   眠らなければみえない
   幻視のヴィジョンがある

ヒプノスという眠りの神を御存知ですか 彼は
右側の耳のところに一枚の翼しかなくて
森や田園をさ迷い歩いていました
木の枝でしずかに
頬をなでたりして
人を深い眠りに誘ったということです
催眠術
それは 世界中の月夜を徐々に
くらくくらくしてみせるようなものです
なにも知らずに
目蓋をとじていさえすればいいのです。
その術にかからないのは
眼玉の明るさをあまり意識するからです
あるいは
哲学的な永遠の眠りを恐がるからです。
現代にもヒプノスの真似を商売とする
賢い神々が彷徨しているのです
その中には医者や庭師や大工の伜たちもいます
森や田園から遠い街の
コンクリートの密閉した一室で
妖しい声色や音楽を使って
奇妙な演出をやるのです
はかない不自然な眠りをつくるのです
「わたしのこえをしずかにきいてください」
「わたしが一から十までゆっくりかずを
かぞえるのをきいてください
「もういまにねむくなりますよ
ゆめがはじまったら
ひだりのてをあげて
あいずをしてください
ねむったままはなすことができます」
などとまことしやかに言うのです
まだ眠れないし夢も始まらない
目蓋をとじていますと
すこし鼻先きがざわざわして旋風がおきて
あかい血がふき出してきたようです
青い葉っぱをつけた蓑虫が垂直に落ちました
霧が白く蝙蝠のような雲が通る
邪馬台国の女神たちと丸木舟のようなものが
すべっていきます
ギザギザの海岸線の土人小舎
上ったり下ったりする鎧戸、もう
しめて下さいとささやきながら
あげようとした左の手の重みで
全身が汗ばんできました
鞭打ち症の男の首にまいた
黄色いバンドが目にちらつきます
眼玉がうごき始めたのかしら
と思った途端目がさめました
すこしは眠ったのかも知れません
もう一人の男は
「同じ料金を払ったのにおれにはかからなかった」
と言って
カウンターの脇の
ヒプノスの像を睨みつけて出てゆきました。


井桁裕子《Hypnos》シリーズ(2013年) 



◆中野嘉一(1907-1988)詩集『ヤスパース家の異変』(1988年、宝文館出版)より。


2019年1月4日金曜日

パーシー・ビッシュ・シェリー「理想美讃歌」1816年(床尾辰男訳)



目には見えない「力」のおそるべき影が
目には見えないけれど われわれの間に漂っている。
それは花から花へとわたる夏の風のように
この定めない世界へ おとらぬ定めなさで飛来する。
それは松山の向こうに降り注ぐ月の光のように
不確かな光で ひとの心や表情を照らす。
夕暮れに目にする色合い 耳にする調べのように
星月夜の大空に広がる雲の群のように
消え去った調べの記憶のように
その美しさゆえに貴く
その神秘さゆえに さらに貴いすべてのもののように




美の精よ。照らすすべてのひとの思いや姿を
お前の色合いで染めて 神聖なものとする者よ。
お前はどこへ行ってしまったのか。
どうしてお前は姿を消し われわれの住処
この ほの暗く広大な涙の谷を 虚ろで侘しいものとするのか。
私は問う――どうして日光は彼方の渓流に
いつまでも虹をかけないのか。
以前は存在していたものが
どうして衰え 消えていくのか。
どうして 恐れや夢や 生や死が
この世の昼間の光に あのような影を投げかけるのか。
どうしてひとは 愛と憎しみ 失意と希望など
相反する感情を同時に抱きうるのか。




これらの問いに答える声が より崇高な世界から
賢者や詩人に届けられたことは かつてない。
それゆえ 悪魔や亡霊や天国といった言葉が
彼らのむなしい努力の記録として 残っているのだ。
弱々しい呪文だ。そんな呪文を唱えてみても
われわれが見聞きするすべてのものから
疑念 偶然 無常さを取り除くことはできない。
お前の光のみが 山々を越えて流れる霧のように
夜風に吹き送られてくる しめやかな弦楽器の調べのように
真夜中の小川を照らす月の光のように
人生の不安な夢に 美しさと真実性を与えてくれるのだ。




愛 希望 自信は 束の間とどまるだけで
雲のように去来する。
ひとは不死全能となるだろう。畏怖すべき未知の
存在であるお前が お前の輝かしいお供とともに
人の心の中にしっかりとどまっていてくれれば。
お前 恋人たちの目の中で 強まったり弱まったりする
共感を運んでくる者よ。
お前 消えかけた炎に勢いを与える闇のように
ひとの思いに力を与える者よ。
お前の影が訪れてきたときには
立ち去らないでくれ。
死後の世界が この世の生や恐怖のように
暗い現実であるかも知れないから。




子供の頃 私は亡霊を求めて 恐怖にみちた足取りで彷徨った――
静まり返った部屋や洞窟や廃墟を 星月夜の森を――
世を去った死者たちと高貴な語らいをするという希望を抱いて。
私は 若者が絶えず口にする有害な名前に呼びかけた。
答えは返ってこなかった。姿は見えなかった。
風が すべての生あるものに求愛し
生あるものは 目覚めて蕾と開花の知らせをもたらす
あの気持ちのよい季節に
私は 人生のあり方について深く思いをめぐらせていた。
すると突然 お前の影が私のうえに落ちたのだ。
私は金切り声をあげ うっとりとして両手を組み合わせた。




私は お前とお前が支配するものに私の力を捧げることを誓った。
私は誓いを守らなかっただろうか。
胸を高鳴らせ 涙を流しながら 正にいま
私は無数の時間の亡霊を その声なき墓から呼び出す。
それらの時間は 幻に満ちた部屋で
研究に没頭したり 恋の喜びに浸ったりして
私とともに たちまち明ける夜を明かした。
彼らは知っている――喜びが私の顔を輝かせることは
決してなかったことを。お前がこの世を
暗い奴隷状態から解放するだろうという希望
おお おそるべき美の精よ お前が これらの言葉が
表す以上のものを与えてくれるだろうという
切なる希望と結びつくことなくしては。




一日は 真昼が過ぎると荘厳さと清澄さを増す。
秋には 夏には聞かれなかった調べが聞こえ
夏には見られなかった輝きが空に見られる。
まるで夏には そのような調べや輝きはありえないかのように
夏には そのような調べや輝きがなかったかのように。
お前の力は 若い頃の受け身な私に 自然の真実のように訪れた。
その力が 今後の私の人生に 落ち着きを与えてくれますように。
私は 美しい精よ お前の魔力に縛られて
自分を大切にし 全人類を愛する者だからだ。

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床尾辰男訳『シェリー抒情詩集』(2006年、創芸出版)より



Hymn to Intellectual Beauty
 by Percy Bysshe Shelley ,1816

The awful shadow of some unseen Power
Floats through unseen among us,?visiting
This various world with as inconstant wing
As summer winds that creep from flower to flower,?
Like moonbeams that behind some piny mountain shower,
It visits with inconstant glance
Each human heart and countenance;
Like hues and harmonies of evening,?
Like clouds in starlight widely spread,?
Like memory of music fled,?
Like aught that for its grace may be
Dear, and yet dearer for its mystery.

Spirit of Beauty, that dost consecrate
With thine own hues all thou dost shine upon
Of human thought or form,?where art thou gone?
Why dost thou pass away and leave our state,
This dim vast vale of tears, vacant and desolate?
Ask why the sunlight not for ever
Weaves rainbows o'er yon mountain-river,
Why aught should fail and fade that once is shown,
Why fear and dream and death and birth
Cast on the daylight of this earth
Such gloom,?why man has such a scope
For love and hate, despondency and hope?

No voice from some sublimer world hath ever
To sage or poet these responses given?
Therefore the names of Demon, Ghost, and Heaven,
Remain the records of their vain endeavour,
Frail spells?whose uttered charm might not avail to sever,
From all we hear and all we see,
Doubt, chance, and mutability.
Thy light alone?like mist o'er the mountains driven,
Or music by the night-wind sent
Through strings of some still instrument,
Or moonlight on a midnight stream,
Gives grace and truth to life's unquiet dream.

Love, Hope, and Self-esteem, like clouds depart
And come, for some uncertain moments lent.
Man were immortal, and omnipotent,
Didst thou, unknown and awful as thou art,
Keep with thy glorious train firm state within his heart.
Thou messenger of sympathies,
That wax and wane in lovers' eyes?
Thou?that to human thought art nourishment,
Like darkness to a dying flame!
Depart not as thy shadow came,
Depart not?lest the grave should be,
Like life and fear, a dark reality.

While yet a boy I sought for ghosts, and sped
Through many a listening chamber, cave and ruin,
And starlight wood, with fearful steps pursuing
Hopes of high talk with the departed dead.
I called on poisonous names with which our youth is fed;
I was not heard?I saw them not?
When musing deeply on the lot
Of life, at that sweet time when winds are wooing
All vital things that wake to bring
News of birds and blossoming,?
Sudden, thy shadow fell on me;
I shrieked, and clasped my hands in ecstasy!

I vowed that I would dedicate my powers
To thee and thine?have I not kept the vow?
With beating heart and streaming eyes, even now
I call the phantoms of a thousand hours
Each from his voiceless grave: they have in visioned bowers
Of studious zeal or love's delight
Outwatched with me the envious night?
They know that never joy illumed my brow
Unlinked with hope that thou wouldst free
This world from its dark slavery,
That thou?O awful Loveliness,
Wouldst give whate'er these words cannot express.

The day becomes more solemn and serene
When noon is past?there is a harmony
In autumn, and a lustre in its sky,
Which through the summer is not heard or seen,
As if it could not be, as if it had not been!
Thus let thy power, which like the truth
Of nature on my passive youth
Descended, to my onward life supply
Its calm?to one who worships thee,
And every form containing thee,
Whom, Spirit fair, thy spells did bind
To fear himself, and love all human kind.