"強い主義が支配する現実。それのみをもって「最先端」や「時流」を定義することを安易に許してはならない"※と主張するディレクター・小島健史(こじまけんと)さんにもっとも近しい立ち位置にいることを、制作行為と作品によって示してきた加世田悠佑(かせだゆうすけ)さん。ここには、加世田さんがbudの群の向こう側に見出したものが仄めかされているのだろうか("bud"については過去の記事を参照)。
枠のような二つの鉄に画された空間に身をさらすなかで呼び起こされたのは、ジャン=リュック・ナンシーの以下の様な言葉であった。
「個々のイメージは無限の意味の有限な型取りであり、無限の意味はこの型取りによってのみ、あるいはこの区別の描線によってのみ無限であることが示されるのである。諸芸術が多様性と歴史性をもち、そこにおいて様々なイメージが溢れかえっているという事態は、この尽きることのない区別に対応するものである。」
(『イメージの奥底で』より。西山達也・大道寺玲央訳、2006年、以文社刊)
◆KYOTO CURRENT 2013 9/17~9/22
※KYOTO CURRENT 2013ディレクター・小島健史さんのステイトメント