小島きみ子さんの新詩集『僕らの、「罪と/秘密」の金属でできた本』が出来です。
私は巻末に小島さんの詩法についての解説を書かせていただきました。
おもしろかわいい小笠原鳥類さんによる表紙の装画、軽やかな造本、ではありますがたいへんな重力のある詩集です。
散文詩型と行分け詩型とが交互に展開しながら、知の世界へと通ずる豊穣な言葉と、隙間から差し込む光や時折でくわす暗い裂目とが、私たちの潜在意識に共振します。ですが意味はそう簡単には開示されません。閉ざされたものをひらいてゆくための思索へ。思索へ、と促す力は詩のテクストから発せられるにしても、開示されるべき意味はテクストの方ではなく、こちら側にあるのかな、と思います。
小島さんとは6年にわたって5千通以上のメッセージを往復し、実存と実存とで交わってきました。そうして日々の交わりの中から生まれたのが2015年『エウメニデス』誌上において、未来を予示するべく共働したシュルレアリスム特集でした。持続する出来事の中での、あるいはいくつもの成果を経ての、渾身のお仕事です。
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2018年1月刊 A5判 56頁
頒価:1200円
ご購入は eumenides1551◎gmail.com (◎→@) 小島きみ子さんまで。
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潜在意識、あるいは創造性の源へ
京谷裕彰
小島きみ子さんの詩は、詩と論が、詩と思想が、散文的に展開と収斂を繰り返しながら転がってゆくことから、〈詩論詩〉と呼ばれたり〈思想詩〉と呼ばれたりする。
その詩法における外形上の特徴は、文と文との、あるいは節と節との連接の妙にあるといっていいだろう。結構としては行分け詩型よりも散文詩型になじみが深いが、行分け詩型であってもその本質は変らない。ここではひとまず散文詩型について述べることにしよう。
小島さんの散文詩型における連接の論理は、当然のことながら通常の散文とは脈絡のあり方が異なっている。順序を飛び越え、ある整序された脈絡を攪乱するそのスタイルは、小島さん独自のものである。そのシンプルに綴られる文と文との間(あいだ)にある飛び越えは、論理としてはときに飛躍であったり、夢想としては飛翔としてあるなど、異なる位相の間を意識が自由に行き来することを可能にする。整序されたものを切断するための切れ目にして、分断されてあるものをつなぐメディウムにもなる。この、切れ目かつメディウムとしての〈間〉は、控えめでありながら、何かを感受する感覚の鋭さにドライブをかける機能がある。この点、一九二〇年代の短詩運動にもみられた、行と行の間の飛躍とのアナロジーをも窺えよう。
行・文字・余白を自由に、自在に行き来する小島さんの精神と、われわれを包み、かつ超えたところの領域に伏蔵された真理にまつわるなにがしかを通じて、読者であるわれわれの精神とがここで出会いを遂げる。
これは行分け詩型における改行と同様のものであり、また、余白でもあるが、あらかじめ視覚的には計量されない余白である。だから、文字通りの余白を視覚的に明示する必要がないのだ。・・・・・・・・