2019年8月28日水曜日

拙編『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』(共和国)が出来るまで。 

この本は、2017年のある日、共和国の下平尾直さんから企画の打診を受けたところから始まった。いきなり電話がかかってきたのだったかな・・・。
私はいつのころからか冨士原清一に深く魅了され、2016年の秋、「冨士原清一の詩「成立」とシュルレアリスムの明暗」という論考を『エウメニデス』の52号に発表したころには、いつか清一さんの著作をまとめたいという願望が芽生えていたのだった。これほどすごい詩人なのに忘れ去られてしまっているのはあんまりにもあんまりだ・・・絶対に名誉を回復せねばならない、と。
私をそのように強く思うところにまで導いてくれたのは、もちろん先達である鶴岡善久さんのお仕事のおかげである。

さて、下平尾さんからの打診は「シリーズ〈境界の文学〉の一冊として、1930年代の詩のアンソロジーを編んでくれないか?」というものだった。その際、「冨士原清一個人のアンソロジーでもいいよ」と付言されたので、下平尾さんも清一さんの本を出したいという願望をお持ちであることがわかった。これは願ってもないチャンスが到来した!と二つ返事で了承したのだけど、「四六判200頁~最大で250頁」という条件つきである。
はてさて、清一さん一人で200頁埋めるのは、年譜と解説を長くとらないとしんどいのではないか、どれだけ集められるか自信がないな・・・と思い、瀧口修造との二人のアンソロジーを思いついた。
実はかねてから清一さんと瀧口さん二人の友情、ポエジーの共有、そして日本シュルレアリスム黎明期のこの二人の存在感には特別な思い入れがあった。瀧口さんの詩と思想についてはずいぶん長い歳月親しんでいる。私が美術批評をしたり美術家と日ごろから交わっているのも、瀧口さんを理想の存在と思っているからかもしれない。
ところが瀧口さんの詩も手軽に読める版がなく、詩界の若い詩人たちは読んだこともないし、美術界では戦前の詩のことは知られていないかほぼ忘れさられている。そして1967年に刊行された『瀧口修造の詩的実験1927-1937』に未収録の詩も少なくない。そんなことを考えていたところ、ある夜、啓示のように『二人の守護天使 瀧口修造・冨士原清一アンソロジー』なる仮タイトルが降ってきた。
そして瞬時に企画書をしたため、下平尾さんに送信。下平尾さんはタイトルの「守護天使」という文言に(若干の)難色を示し、また瀧口の個性とのぶつかりを多少懸念されていたようだが、(そんな心配は無用なので)その辺はあとで調整することにして「よし、二人のアンソロジーでいこうじゃないか!」ということで企画がスタートした。

仕事に着手した当初、私の手許には鶴岡さんが1970年に編んだ『冨士原清一詩集 魔法書或は我が祖先の宇宙学』(母岩社)と、同じく鶴岡さん編『現代詩文庫特集版・モダニズム詩集Ⅰ』(2003年)、その後発見された著作のいくばくかと単行本、雑誌『薔薇・魔術・学説』復刻版、鶴岡さんをはじめとするモダニズム/シュルレアリスム文学の先行研究、そして拙稿「冨士原清一の詩「成立」とシュルレアリスムの明暗」執筆のために作成し、その後も書き綴っていた独自の研究ノートのみだった。
清一さんはそもそも伝記がほとんどわかっていない謎の詩人ではあるけれど、清一さんの幻を前に途方に暮れていたのはそれほど長くはなかった。ある寒い日の午後、「清一さんの生家はこのあたりだろうか・・・」などと夢想しつつ大阪市北区の本庄公園にたたずみ、清一さんの詩を朗読し、瞑想したのが奏功したのだろうか。
その直後から著作の探索と伝記研究は一気にトップギアに入り、自分史上最大最強、神懸かり的な集中力が持続し、閃きが継起した。そして奇跡としか思えないようなペースでどんどん資料が見つかり、手許に集まってきた。国会図書館や近代文学館と何度も何度もやりとりをして・・・。
もちろん、(忘れ去られた)瀧口さんの著作も同時並行で集まってきていた。瀧口さんの著作をさがすべくマイクロフィルムを渉猟していたら、どんなレファレンスや先行研究にも記録されていない清一さんの著作が偶然みつかるとか、最初からこんな奇跡みたいな出来事だらけ・・・。
それはさておき、清一さんの詩は集まるだけ全部、訳詩や散文はセレクトする、瀧口さんのは戦前の代表作数篇と『詩的実験』未収録作全部+翻訳や散文をセレクト、という方針だった。ところが2018年の春先ごろには250頁にどうやって収めるか・・・という悩みが目の前にちらついてきた。
そんな折も折、近代文学稀覯雑誌コレクターとしても著名な加藤仁さんが『列』(『薔薇・魔術・学説』前身)や『拉典性民族』(『衣裳の太陽』への橋渡しとなる雑誌)、『花卉幻想』など、発見者である加藤さん以外に誰も知らない稀覯雑誌掲載稿をご提供くださった。長年独自に研究されている中野もえぎさんのご協力にもめぐまれて。そしてほぼ同時期に、清一さんの母校である大阪府立北野高校同窓会の笹川事務局長さんが私の調査に全面協力してくださり、学籍に関する資料のほか、旧制北野中学在学中の詩篇を当時の校友会誌から5編みつけてくださった。
さらには同じ月、関西シュルレアリスム研究会での私の口頭発表に清一さんのご令嬢・遠山知子さんとご令孫・健夫さんが同席くださるという、これまた信じられないような奇跡が重なった。ご遺族との連絡の手がかりがなく、詳細な年譜などなかば諦めかけていた矢先に。私の発表に呼応して次々と未知の新事実を披露してくださり、戦没場所「ビルマ」「太平洋の島」など流布している誤った情報を訂正してくださるなど次々に伝記上の謎がほどけていった。ちなみに戦没場所については「沖縄付近の海」と記述していた春山行夫さんの情報がいちばん正しかったようだ(清一さんは沖縄から朝鮮に向けて航行中、魚雷攻撃を受けて船が沈没し、亡くなった)。春山さんは葬儀にも参列していたのではないかと推察される。そして知子さんの記憶がどんどんよみがえってゆく。
知子さんが春山行夫さんからとても可愛がられていたお話とか、清一さんはとにかくとんでもない大酒呑みだったとか、酔っ払ってケンカする際にゲタを脱いで武器にしていた話とか、いつも蓄音機で音楽を聴いていたとか、犬をとても可愛がっていた話とか、いつも友達がやってきては大声で議論していたとか、清一さんも客人もみんなタバコを吸うのでいつも部屋が煙っていたとか・・・。さらには健夫さんがノブさん(清一さんの妻)の亡くなる前に聞き書きをされていた内容を多数披露してくださったことも極めて貴重だった。詩人の妻のお名前が「ノブ」さんである、ということすらこの日まで誰も知らなかった・・・。
この時のことは「関西シュルレアリスム研究会の神回」として語り草になっている。

そうして下平尾さんが「〈境界の文学〉シリーズから外して冨士原清一単独でいこう!見つかったものは翻訳であろうが散文であろうが全部収録しよう!」とご決断くださったのである。
ここで、著作の集成と年譜のみ、編者解説はつけない、という方針が固まった(解説の代わりに別途一冊評伝を書き下ろすというご提案つきで)。
清一さんの復活を帰すべく、八王子の秋田霊園まで下平尾さんと二人でお墓参りに訪れ、墓前で酒盛りしたのは2018年の5月。その数日後にはお手紙でやりとりをしていた鶴岡さん宅への訪問・聞き書きも叶った。鶴岡さんからは貴重なお話をほんとうにたくさん伺った。
そしてシュルレアリスム研究会以後、知子さん健夫さんと密に交流できたおかげで、これまで誰も知らなかった伝記的事実が次々に明らかになり、戸籍や法政の学籍調査、清一さんの実家や家族構成、生い立ちに関する調査、聞き書きを元にした資料探索などが一気に進展し、その生涯を解き明かす詳細な年譜の作成が可能となった(実は今回の年譜に収めることをあえて見送った新発見資料がいくつもあり、評伝ではそれらの事実や継続中の調査研究成果をも盛り込む予定)。

その間、関係先との連絡や交渉など調査にまつわる実務、本文入力、校訂、伝記的事実の検証、などの作業は苛烈を極めた・・・(左目の結膜が破れて出血すること二度!!)。そして原稿作成・提出後も(編集方針をめぐる意見のすりあわせ、校訂や校正など)一筋縄ではいかず、下平尾さんも私もずいぶん疲弊した。いろいろと紆余曲折はあったにしても、こうして日本シュルレアリスムにおける主要詩人の全詩集の一群に加えることができ、この稀有な詩人が21世紀に甦ったことが本当に嬉しい。
そして清一さんのテキストは入力、原稿チェック、校正、などすべてのプロセスにおいて声を出して読み上げているので(フランス語の発音は除く)、すべての作品が私のポエジーと同化したような感覚がある。いつでも私の声で再生できるというのはこのうえなく幸せである。
清一さんの御霊、企画してくださった下平尾さん、そして本書にお力添えをくださったすべての方々に、心よりの感謝を。

2019年は冨士原清一生誕111年、瀧口修造没後40年!


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『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 
冨士原清一/著
京谷裕彰/編
978-4-907986-48-3
本体価格:6,000円+税
判型:菊変形
共和国/刊
初版発行日は2019年9月18日