2010年12月8日水曜日

ジャン=リュック・ナンシー/マチルド・モニエ『ダンスについての対話 アリテラシオン』より

ダンスはより多くの両義性を生み出し、単純な決定=決断をますます妨げる(中略)なぜなら、ダンスはそれほど簡単に型どおりのモデルや図式のもとに整序されないからです。たとえさまざまなステップやフィギュア〔全体を形作る動きの総体〕が、あるコンテクストでは完全にコード化されているとしても、それでも、単独の〔独異の、特異なsingulier〕身体、単独の身振りには、固有の何らかの表現性や強度が残っています、それを度外視することはできないし、そうしたものは、翻訳可能な意味作用を欠いたまま、それ自体において「意味をなす」(私の想像を付け加えるなら、実際のところ、われわれにとって最もコード化された、最も形式的なクラシックバレエにおいても、舞踊家にとって、また真の観客にとって、やはり常に、以上のような身体の意味の何がしかが存在したのです)。

ジャン=リュック・ナンシー/マチルド・モニエ『ダンスについての対話 アリテラシオン』(大西雅一郎+松下彩子訳,2007年,現代企画室)26頁、ナンシーの言葉。


これはコンテンポラリーダンサーのマチルド・モニエの質問に対する哲学者、ジャン=リュック・ナンシーの応答から抜粋したものですが、ここでいう「ダンス」は所謂「ダンス」だけにとどまらず、パフォーマンスアートをも含む身体表現全般に当てはまるものと理解していいでしょう。

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