2012年10月7日日曜日

小野十三郎『詩論+続詩論+想像力』より

98
歌と逆に。歌に。

114
素朴さということこそその時代の最も複雑な科学である。

117
一人の詩人についていえば、詩精神は各々その分に応じた内面秩序の自律性を持っている。詩人は殊更それを意識する必要はないかも知れない。生得の抒情精神とはそういうことに一切関心を持たぬことを矜としている。ためにそこに自己批判ということも成り立たない。往々にして、これが「自然」や「純粋」の意味にはき違えられる。或種の「純粋」な抒情精神に対して、我々が感じる生理的反撥。

197
現代詩は、その抒情の科学に「批評」の錘を深く沈めていることによって、短歌や俳句の詩性と自ら区別される現代の歌であることを忘れてはならない。この批評精神が失われたならば、おそらく詩は短歌や俳句の一般性、通俗性に対して抵抗することは出来ない。詩人は、現代詩のこの独自の要素を深く自覚することによって大衆に見えようとする。リズムとは批評である。抒情の科学の中に完全に融和した「批評」は政治的諷刺詩というような狭小な範囲だけでなく、他の様々な詩のジャンルに於いても美しく開花する。「批評」の要素に於いて妥協した抒情に真実の歌がこもる筈がない。

241
歌と逆にゆくとき、詩は必然的に、発想、スタイルともに複雑化する。これと反対に、詩が歌を指向するとき、それらは等しく平明化乃至単純化する。云いかえると、歌と逆にゆくと、読者にとって、詩はますますわかりにくいものとなり、歌の方向をとると、詩はしだいにわかりやすくなるということになる。したがって、詩人が、ただ読者にわかりやすいということを詩の理想とするならば、はじめから歌と逆にゆくようなプロセスは無視してもさしつかえはない。また、わかりにくい、わかりやすいというようなところに、詩の根本的な問題はないと考える詩人なら、彼がどういう状況におかれても、歌と逆に歌の方へという方法的探求などこんりんざい発足する余地はないだろう。(後略)


◆小野十三郎『詩論+続詩論+想像力』(1962年,思潮社)

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。