2013年10月25日金曜日

GALERIE CINQ オープニング・エキシビション 井上明彦展「ふたしかな屋根」 (奈良市旧市街)


インスタレーション「雨宿りするレーニンのための習作」

雨とは、もっともストレートな意味での雨そのものから、まるで自然現象のような顔をして人々を抑圧し心身を縛り上げる資本主義の禍(わざわい)の喩まで、幅広いグラデーションをもっているが、それがめぐみの雨でないのは明白である(立場の異なる人にとっては「めぐみ」と解される場合もあろうが)
そしてレーニンとは、理想世界を夢見る全ての人々の象徴としてあるのだろう。

トタン、鉄、木などの廃材や西アフリカの土顔料などでつくられたこの光景は、スラムの街で人々が暮らしを営む小屋を意味しているのだという。
メタフォリックな、あるいはシンボリックな図像が描かれた小屋の、どの屋根にも傾きがある。

物質やイメージなど様々な位相を横断するように、拡散するように、収斂するように、いくつもの寓意が込められている。
降り続く雨を避け、
レーニンは 軒下で佇んでいる
スラム化するこの惑星の片隅で

だが、
止まない雨はない

GALERIE CINQ (ギャルリ・サンク) 10/13~10/26 



1 件のコメント:

  1. 「われわれが生きつつあるのは、貧困とテロと絶望の巣窟、生活世界の非人間化の拠点たるスラムが、否応無しに拡大していく時代である。無限の経済成長が都市を発展させていくという展望は、この時代状況において、徹底的な見直しを迫られることになる。低成長どころの話ではない。成長とは真逆の、都市の死、死んだ都市の拡大である。
    人類を待ち受けているのは全面的な都市の死という未曾有の事態であるとするなら、今後われわれにできるのは、都市の死を先進諸国に先駆けて経験しつつあるスラムから、生きていく秘訣を学び取ろうとすることである。今ある都市が死に絶えたあとに来るべき新しい世界のプロトタイプは、ひょっとしたらこういうところにあるのではないか。」
    (篠原雅武『空間のために -偏在化するスラム的世界のなかで』169頁,2011年,以文社)

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