2014年5月12日月曜日

山中散生「裂けた鏡」

鏡の中にも雨は降る
蝙蝠傘をひらいたまま
君はそこに濡れている
黄昏の通行者も絶えて
舗石の上の灰白質の眠り
君の憎悪にみちた眼は
ふと 車輪のように廻る

くづれかかる僕の予感

僕は非常に痙攣的に振り向く
すれちがう瞬間を見極めるために
僕は眼を閉ぢ 眼を開く
しかし君の狙いはすでに外れた
僕の背後に
鏡はきらきらと粉砕される
その反響のなかで
僕は自分の命運をかぞえる

雨の雫が滴りくだる

鏡の罅をつたつて
僕の髪 僕の睫毛
そうして僕の凹んだ頬も
わづかに濡れる
裂けた鏡
茫漠とした流れのなかに
僕はじつと耐えている

                  (一九四六、二、一五)


◆詩集『黄昏の人』(1956,国文社)所収。テキストは黒沢義輝編『山中散生全詩集』(2010,沖積舎)による。

『黄昏の人』の装画・装幀は北園克衛。



鏡の中の「君」は実体をもった存在であるのか、鏡を割ったのが「君」なのか、振り向く「僕」は「君」と対面したのか・・・。詩の一行一行をひとつひとつのショットとしてシーンを想像すると、詩語が喚起する超現実的なイメージは現実感のある像へとじわりとシフトしてゆく。おののきを催すほどの強さで。

日本におけるシュルレアリスム運動のオルガナイザーだった山中散生(やまなかちるう・1905-1977)の詩は、読まれなくなって久しい。公刊詩集はすべて初版のみ。手ごろな価格で求められるものは一切ない。
だが、なぜ読まれなくなったのかを探ることには、計り知れない意義があるだろう。

いわゆるオートマティスムによるシュルレアリスム詩とは異なる(初期には実験的な作品もあるが)、山中の詩法におけるイメージの現実的強度は、新たな、あるいは再びの出会いに値する。

全詩集を編んだ黒沢義輝氏の尽力に、最大限の敬意を表しつつ。

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