2016年9月24日土曜日

島尾敏雄「非超現実主義的な超現実主義の覚え書」(1958年)より

眼に見えたかたちだけが安らかだと思いたがる傾きがあって、眼に見えないものにはおそれが先立つ。眼に見えたもののようになにかが表現されていなければ、落ち着きを失い、それはじぶんとはかかわりのないどこか違った世界のできごととして避けてきた。理解しようとこころをうごかすまえに、しりごみして、その影響のそとにでたがる。しかし眼に見えたかたちだけでは理解できない無数のものに取りかこまれていることを認めると、足がすくんでくる。それはわれわれをなやまし続けている亡霊のひとつとなった。しかしそれを拒否するだけでは、その知ることのできないゆがんだかたちのものにますますおさえつけられるばかりだから、限りなき小胆が、しかしどこまでも、かたちのはっきりしたものだけを、そうでないものから区別して、じぶんの味方にしようとはたらきはじめ、しかしわれわれは対象を崩したり組みたてたりすることになれていなかったから、対手はおさえようもなく大きくなって行くばかりだ。それらはからみ合っているために、意識すればますます窮屈な場所に身をちぢめこめなければならないことになった。知ることのできないゆがんだかたちのものは、こちらを併呑した。それはどんなにかわれわれを威嚇したことか。区別し隔離することに失敗すれば、われわれは敵のただなかに武者修行をはじめなければならぬはめになった。敵は亡霊のなかだけでなく、その利用者としても現れていた。小胆を表札にかかげておいても、敵は容赦なくひとのみにおそいかかってくる。
 仮に自らを処分しなければ、この無慈悲なこころみのなかで、習熟し馴狎することのないぶざまな舞踏を舞い続けなければなるまい。その舞いも又連続させられず、そのため、ぶざまな状態に習熟することさえない。習熟するかとみえると断絶におそわれそしてその断絶の淵におちこんだまま凍死することもできず、又もや習熟の場にはいあがって行く。それは永久にくりかえされる機構だ。そこから脱けでたいと考えるが、あらゆるつばさはもぎとられているから、脱けでて行く道はふさがれているようなのだ。ひどいはじらいが、対象を切りくずし且つ組みたてる技術に手をつけることをさせず、素朴でおかしな胎内旅行がはじまり、それを続けなければならない。さわやかな光はみな手前でそれて流れて去ってしまい、光の利用者たちが凱歌をあげているおそろしい声からのがれられない。が又してもはじらいが湧きあがり、もはや転身しなければ、効果を期待することはできないと考えても、なおこの場所をぬけ出せない。やがて、天地はくらみ、かすかながら与えられていた、うすぐらい、ごく身の廻りの光をも失ってしまうと、「眼に見えたかたち」は喪失してしまう。当然そこに安らぎが広がり、眼に見えないもののおそれは、その安らぎに場所をゆずる。あれほどおそれていた敵は依然としてあるが、敵の眼の下で、ゆるやかに表現のしみが広がって行く。「かかわりのないこと」がなくなってしまったのではないが避ける気遣いに心くばることなく、表現じしんが、みうちの満ちてくるときめきを覚え、日常は夢の中にも侵入する。しかしもはやその日常は超現実とも言えない。われわれの周囲の「眼に見えたかたち」だけの現実もそこに持ち込まれ、眼に見えたままに表現されていないような装いが生まれてきても、眼に見えないもののおそれをじぶんのうちがわに消化してしまったのではない。それは、つと逃げてなおその外側に、はなれたままぼんやりとそしてはっきり位置をもつ。広がった日常はいっそう危機に追い込まれる。これがわれわれの現実の広がりを獲得するについての理解の程度であった。ついにわれわれはシュールレアリスムをつかみだすしごとに成功しなかった。(以下略)

◆島尾敏雄「非超現実主義的な超現実主義の覚え書」(『非超現実主義的な超現実主義の覚え書』所収、1962年、未來社[初出:『映画批評』1958年2月号])


日本におけるシュルレアリスム運動の挫折、それへの批判を、実存の問題として語る。






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