描かれている図像そのものは、目を凝らしてみるとなかなかにおどろおどろしいのだけれど。そのギャップがとても面白い。
ギャラリーを後にするやいなや、その意味を考える時間に戻ってしまわざるをえない私にとっては、たとえつかの間ではあっても、小松原さんが描く場所に共にいる時間はさわやかなものだ。
入り口を入って階段を昇ると開けるホワイトキューブで展開するのは、設営中の期間を含めると約2ヶ月にわたって変化し続けるワークインプログレス作品。点々と設えられたタブローの外側へと増殖するように、壁一面にそれは拡がる。使っているのは墨と付けペン。
初日(9月2日)の様子。
10月10日の様子。
奥の和室に設えられた作品。
この奥の和室の壁は何枚ものタブローによって隙間なく埋め尽くされているのだが、ここには私たちの感性をざわめかせる、まるで情念が淵のように滞留したアウラがある。
それに対し、白い静謐な空間に線が引かれ、図像が次々と現れるホワイトキューブでは、アウラは滞留していたものを濯いでくれる、せせらぎのように流れていることが感じられる。
これは描き出された図像という現象、その微細で深い世界から、自然と適度な心的距離がとれることによるのだろう。そこにどんな秘密があるのだろうか。
いずれの部屋にあっても、絵画におけるオートマティスムを、極めて高い純度で実践する作家の営みに立ち会うことができる。
◆小松原智史 展 「コノマエノコマノエ」(Konohana’s Eye #13) the three Konohana 2016.9.2-10.16
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