2011年8月27日土曜日

竹村正人監督『ダダッ子貫ちゃん』仙台上映会

アート界の仙人・糸井貫二(ダダカン)さんと僕との対談を記録したドキュメンタリー『ダダッ子貫ちゃん』(竹村正人監督)仙台上映会の日程が決まりました! 東北の方はこの機会にぜひお越し下さい。


◆10/7(金)20時開場、21時上映開始(平日夜なので、遅めの時間にしています)

●会場:超五感cafe&gallery PANGAEA 
http://www.pangaea-sendai.com/
980-0811 宮城県仙台市青葉区一番町1-11-20 SUGA-DUNビル4階
TEL:022-395-6198 FAX:022-395-6199

●連絡先:tikuson3◎yahoo.co.jp(竹村 ◎→@に)

●入場無料(カンパ制)

2011年8月26日金曜日

Ghérasim Luca - "Passionnément"




この詩は鈴木雅雄氏が「パッションでイッパイで」というタイトルで翻訳しています(『〈シュルレアリスムの25時〉 ゲラシム・ルカ -ノン・オイディプスの戦略』所収,2009,水声社)。

2011年8月22日月曜日

北川冬彦「恋愛の結果」

骨片を桐の木の下に埋めると、一本の茸が生えた。

茸はいい匂ひがする。

どこか骨の匂ひのするのが、いひやうなく懐かしかつた。

わたしは骨片を舐めるよりも、この一本の茸の匂ひを嗅ぐ方に傾いて行つた。




◆詩集『戦争』(1929年,厚生閣書店)所収




北川冬彦の詩ではこれが一番好き。短い作品なので、評言は控えよう。

彼(本名・田畔忠彦)の墓は多磨霊園の西に奥まったところに位置する(23区2種8側)。すぐ近くには同じ時代に生を享けながら詩人としては全く対照的な生き方死に方をした、小熊秀雄の墓がある(24区1種68側)。北川作品の優れた批評者でもあった村野四郎の墓もまた多磨霊園にあるが、こちらは多磨霊園のメインストリート「名誉墓域通り」から東に入った、比較的浅い場所(8区1種14側)。

2011年8月19日金曜日

深夜2時のオフィス街


高層ビルの底で、
マストを見上げるモホイ=ナジの写真と瀧口のテキスト越しに、
十七夜の月を見上げる。

(瀧口修造『白と黒の断想』108-109頁)

2011年8月11日木曜日

『詩と思想』8月号詩誌評(平川綾真智氏)

平川綾真智氏執筆の『詩と思想』(土曜美術社出版販売)8月号の詩誌評で『紫陽』23号(2011.1刊)に掲載した竹村正人(うんこ詩人)の詩三篇が取り上げられているのだが、この詩誌評が凄い。何が凄いかというと、「誌は臀淫された。補選挙される家畜の腸を翻訳していく空罐として。朝餉へ喀血し始める猟銃で凌いだジェネリックとして」という書き出しで始まり、そのまま全編こんな調子で貫かれていくのかと思いきや、詩誌・詩作品を取り上げる段ではこんなレベルを遙かに凌ぐテンションで、ほとんど意味不明とも言えるぶっ飛び具合になるのだ。ここでは詩誌評といいながら漢語を独自の用法で駆使した長篇詩のような体裁がとられている。これを、文体への尋常ならざるこだわりの強さによるものだと簡単に納得してはいけない。そこからは、批評の言語が否応なしにまとわりつかせる“視座の超越性”への透徹した批判精神とゆたかな諧謔精神が窺えるのだ。批評言語の不可能性、という問題を前にしてのある種の実験として、この詩誌評を遊んでいるのだろう。


僕も書架に海賊版(台湾版)『大漢和辞典』13冊を備え、パソコンには梵字・甲骨文字・西夏文字まで収録する高額な外字ソフト「今昔文字鏡」をインストールする(正規ユーザーである)相当な漢語・漢字マニアなのだが、平川氏のこの言語感覚には本当に恐れ入った。

そんなゴチゴチの文章の中に竹村の「恋は/下痢からはじまる/からつらい」「ちんこは/まんこではない」といった掌詩が三篇、全文引用されているのだから、なかなかに笑える。