2013年2月26日火曜日

京都精華大学修了制作展 (京都市美術館別館)

星野菜月さんの手びねりによる陶作品「内包する宇宙」。

笠原美希さん「右も左もわからない」。ミラーに視線をやると方向感覚はおろか、平衡感覚までもが混乱する。 本当の話である。

栗棟美里さんのシリーズ「言葉無く法を説く百合」(クリスティーナ・ロセッティ「花の教」上田敏訳より)。百合の花から流れ出す気のようなもの(銀箔とパステル)は、静謐でいて、そして凛々しい。より躍動的に、より擬人的に。
 http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.jp/2012/09/work-in-progress-2012.html

 活版印刷による小さな本の群れは山崎喬彦(鳥彦)さんの作品。詩に版画が添えられている。丁寧な装幀、料紙の選定、版画の精細さ、詩文の洗練性、それらすべてが高いレベルで調和している。
 「海洋漂流船 F17-1-995号 乗組員の日誌」。
 「The Pilot and The Diver」。

 130号の鳥の子紙にゲルインクボールペンで細密に描画した、川崎瞳さんの「反復される世界」。画面のいたるところに、指の形でシンボル化された人や動物が無数に蠢いている。ほぼオートマティスムによって描き上げられた驚異的なこの絵は、我々が生きているこの世界の鳥瞰図なのだろうか。ヒエロニムス・ボスを彷彿させる。

 鹿毛倫太郎さん「よろこび」。床のマス目には、数字を象った鉄のオブジェがならぶ。この黄色い生き物にはなんか見覚えがあるなぁと思ったら・・・。
精華大のキャンパス内に打ち棄てられ、朽ちつつある、これである↓

 春名祐麻さん「命について」。青空のフレームに貼り付け(磔)られた木村くん(春名さんの後輩)の体は「命」という字をかたどり、その横には美術館の係員風に黒いパンツスーツを着た春名さんが立つ。
10分間の磔状態の後、木村くんは10分間休憩をとる。期間中、これをずっと繰り返す。
春名さんといえば「男根オブジェ」というイメージが流布しているが、休憩中に閲覧できるポートフォリオをみると、マッチョなものを戯画化するという一貫した態度によってなされていることがわかる。
一貫する思想をコンセプチャルに明示したのが「命について」なのだろう。


◆2/20~2/24

京都精華大学卒業制作展より、稲野純也「衝動」(京都市美術館本館)

 あの池田模範堂の名薬「ムヒ」を、精巧に、巨大に再現。ブッ飛んだ作品がごった返す立体造形のフロアでもひときわ強烈な存在感を放つ。意表を突かれた哄笑のあとに洩れ出してくるのは、感心の溜め息。
造形は鉄、文字はマスキングテープを使った手作業によるペイント。だが二本のうち、立っている方のチューブの裏側、製造者・成分などを表示した部分はペイントが間に合わなかったためプリントしたシールを貼り付けている。また、使用期限年月の刻印も間に合わなかったようだ。
力業と繊細さ、暴力的な衝動と腰が抜けそうなほどの滑稽さ、完璧への意思と挫折、それらが綯い交ぜになったこの巨大「ムヒ」は美事というほかない。文字通り、無比である。

稲野さんは卒業後、制作を続けることはしないそうだが、だからだろうか、このたった1回の展示に精魂のすべてを、存在のすべてを懸けた者だけがなしうる壮絶な魂の爆発を感じた。まるで打ち上げ花火のように。
作品に意味があろうがなかろうが、いずれにもせよ、ここには意味を超越した崇高さがあった。

◆2/20~2/24

2013年2月23日土曜日

「吹きよせの 落ち葉の中に ひとひらの」 於、Gallery Out of Place (奈良)

作風も方法も違う15名の作家の作品が、ひじょうに見やすくまとめられたグループ展。
森村誠さんの、ガールズバーのチラシからとび出した蝶。しかし虫ピンでそれぞれの持ち場に留められ、自由には飛べない。

河合晋平さんが乾燥させたバターロールから生みだした"オルブテルアール"なる架空生物。これは犬に寄生して血を吸うダニのように見える。

50年に一度だけ咲くというリュウゼツランの花かと思ったが、これは雨に濡れるガラス越しにみた木である。木の姿が映るところにだけ雨の滴りが見える。大江孝明さんの写真作品。

酒器のような轆轤引き木製オブジェと、それを家族の肖像に見立てた静物写真。小林且典さんの作品。

中島麦さんのアクリル画。見慣れた風景に潜む時間の断層をとらえ、クローズアップしたような絵である。

岩名泰岳さんの花叢。冬の到来が必ずや春をもたらし、そして夏を約束することを、しずかに、つよく語る。


The trumpet of a prophecy ! O, Wind,
If Winter comes, can Spring be far behind ?

おお、風よ、予言のトランペットを吹き鳴らせ!
冬が来たならば、春がまだ遠いなどといえようか?
Percy Bysshe Shelley "Ode to the West Wind"  (パーシー・ビッシュ・シェリー「西風へのオード」最終連)


Gallery Out of Place (奈良)  「吹きよせの 落ち葉の中に ひとひらの」 2/8~3/10
出展作家:岩名泰岳 内山聡 大江孝明 河合晋平 小林且典 関智生 中島麦 中村航 
林圭介 蛇目 西岡恵子 森村誠 山江真友美 山本昌男 ダニエル・ボドラズ

2013年2月16日土曜日

しまだそう展「明後日の芳香」 於、spectrum gallery(大阪・空堀商店街脇) 

ブラウン管TVのドットを拡大したようなインクジェットプリントは、過去の絵画作品をコラージュしたもの。
そもそもしまださんの絵画は、自身の意識に何かしらの擦過を残し、その後記憶の中で変成されながら定着したイメージをコラージュしているのだから、これらはメタコラージュということになる。マスメディアから受信したものを集積することで作品化したものが、また別のデジタルメディアを通して作品化されたという事実に、強く惹きつけられる。

(これはシルクスクリーンで刷られたもの)

今回の展覧会では、インクジェット、シルクスクリーン以外に、アクリル画、油彩画などまとまった点数の作品が壁を埋め尽くすように集められている。
しまださんはアトリエの引っ越し作業と展覧会準備を同時並行で進め、展覧会前日に引っ越しが完了し、無事初日を迎えるというスリリングな日々を駆け抜けた。
そうした極度の緊張状態を経ることで、それ自体がカオスである一枚一枚を適所に配し、美事なコスモスを実現させることに成功したのだろう。
その光景が鑑賞者の無意識へと浸透していくカオスモーズを実感できるのは、大いなるよろこびである。

spectrum gallery 2/15~2/26

※カオスモーズchaosmose・・・「カオス(混沌)」、「コスモス(秩序)」、「オスモーズ(浸透)」の3語を組み合わせたフェリックス・ガタリによる術語で、カオスとコスモスが未来へ向けて無意識裏に浸透していくイメージを表す。

2013年2月14日木曜日

児玉真人展「count down」 於、Gallery E.R.I.(奈良・生駒)

身のまわりにありふれたモノや生物の一部を型どりし、鋳つぶした活字合金で鋳造した「キヲク」シリーズ(手前から右奥へ、牛の脊椎、オチャノミ、落花生、アサリ)。
 アームスタンドに、"生きた化石"ともよばれるオウムガイの殻をとりつけた「ヒカリノタビ」。
「internal-external(オウムガイレコード)」。
LP用の33回転、シングルレコード用の45回転に加え、1960年頃まで販売されていたSP盤78回転モードまでついているビクター社製の古いポータブルレコードプレーヤーに、オウムガイの断面図を象った真鍮製の渦巻きオブジェを載せて回転させる。
しかし真鍮オブジェそれ自体は時計回りに回転しているものの、オブジェが表象するオウムガイの殻が渦巻く方向とは回転が逆になっている。
このように順回転するプレーヤーの上で逆回転する渦巻きを眺めていると、いったんノスタルジーへと遡行的に誘われた意識が、象徴物によって押し返されるかのような気分に囚われる。そのアナクロニズムこそが、この作品のあじわいであるように思われた。

その他、1855年に地球の自転を証明した"フーコーの振り子"を思わせる「クサリ・キヲク」、海辺に漂着した発泡セメントを載せた「finder」など、時間や記憶の象徴を深い思索の上に結晶化した立体作品が多数展示されている。

Gallery E.R.I. 2/5~2/17
(池田友里さんによるキュレーション)


2013年2月11日月曜日

"TRANSNATIONAL ART 2013" 於、大阪府立江之子島文化芸術創造センター

SOHO Art Gallery主催の現代美術国際交流展"TRANSNATIONAL ART 2013"から、心に引っかかった作品をいくつかピックアップ。 
群のなかの孤独、をテーマに制作をする藤原千晶さんのインスタレーション「真夜中の傷」。これらは蝶の形に抜きだされた紙であり、人の姿の喩でもある。

"浮遊感"や"ざわつき"をアニメで表現する今村知也さんの「FLOWERS 2012」も、蝶が視覚イメージの変成を刺激するモチーフとしてシンボリックに登場する。

マシュー・ファソーンMatthew Fasoneさん「Message in a Bottle」。
古びたボトルには紐で括られた手紙が入れられ、コルクで密封されている。これらの手紙は家族、友人、元教師、恋人といった作家の人生にユニークな影響を与えた人々に当てられたものだそうだが、瓶を破壊しなければ読むことはできない(つまり観客には読めない)。そして表面に付着した土は発掘のメタファーなのだと作家はいう。投瓶通信のような切実さや達観は感じられない。しかし、存在をめぐる時空の秩序が意図的に攪乱されてありながら、この作品がある脆さと繊細さによって辛うじてその布置を維持しているところに魅力を感じた。

劇団態変の舞台美術を手掛けたこともあるOKAさんは殻とともに生きるゆえに愛おしい"かたつむり"をモチーフに、シュルレアリスム絵画のオーソドックスな技法によって物語の種を提示する。その種は鑑賞者の空想から生まれる発声されない言葉によって発芽するのだろう。
フランシス・ポンジュの詩「かたつむり」には以下のような一節がある。
孤独、あきらかにかたつむりは孤独だ。あまり友達がいない。だが、幸福であるために友達を必要とするのではない。彼は実にうまく自然に密着している。密着して、完全に自然を楽しんでいる。かたつむりは、全身で大地に接吻する大地の友だ、葉の友だ、敏感な眼玉をして昂然と頭をもたげる、あの空の友なのだ。高貴、鷹揚、賢明、自尊、自負、高潔。
(『物の味方』阿部弘一訳,1971年,思潮社)

タムラグリアさんの大判タブロー「Hunter」。
小鳥(ズズメ目)の翼は枯れ枝、ではなくまさに芽吹かんとする枝のようだ。捕らえようとする人の手に、鳥は立ち向かっているのだろうか。
加世田悠佑さんの立体作品"Escape me alone"からのエコーが聞こえた。

いのとみかさん「みぎへならえ」(2枚一組の1枚)。
虫害に強いため文書や典籍の料紙として古くから使われてきた雁皮紙(がんぴし)を支持体に、作家の内面にすまう"いきもの"を描画することで人間の心理やさまざまな関係を表象。
雁皮紙は光を透過するので裏返しても鑑賞できるが、裏返さなくても後ろからみているような錯覚を楽しむこともできる。

wtnb..kanaさん「Bubbles」(4枚一組の1枚)。
不定形の穴が穿たれた白いパネルの下に見えるのは、油彩画の上を無色透明の樹脂で固めたもの。これは水面下から見上げた海の風景である。
波と光がつくりだす動的な自然の風景を描いたものと見做せば具象絵画ということになるが、その形象に意識を注ぐなら抽象絵画ということになる。

わにぶちみきさん「Boundary Line」(2枚で一組)。
彩りゆたかに描かれた模様の上から、キャンバスの中央部を帯状に残して白い絵の具をぶ厚く塗りつけている(中島麦さんと近似した技法)。そうして現れた線は、近づいて凝視すれば明確な線ではなくなる。だが、これがなにかを画する境界であることが頭から離れることはない。
上と下、右と左、赤と青、こちらとあちら、過去と未来、熱さと冷たさ、わたしとあなた・・・






2013年2月3日日曜日

高須健市「Hello world!」 於、ギャラリーあしやシューレ

 芦屋市内に落ちていたゴミを拾い集め、それを型抜きして作った某ブランドのモノグラムを壁一面にちりばめた「SURFACE -Ashiya」。

展覧会タイトルの「Hello world!」とはコンピュータプログラミングの初歩の例題であり、またプログラムの冒頭で常套的に使われる文字列である。
打ち棄てられたゴミを探すのが困難な土地柄で「こんにちは、世界!」と呼び掛ける高須さんは、資本主義が排泄したものに手を加えることでこの世界を覆っている薄皮を剥がしているのか、薄皮を被せているのか・・・。

ハイブランドへのアンチ、あるいは単純な戯画化というのではなく、表層的な価値判断で流れていく消費者心理への鋭い批評精神が作品の根底にある。



ギャラリーあしやシューレ 1/22-2/11

2013年2月1日金曜日

夫婦善哉

道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当たっているところに古びた阿多福(おたふく)人形が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書かれた赤い大提燈(おおぢょうちん)がぶら下がっているのをみると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。おまけに、ぜんざいを註文すると、女夫(めおと)の意味で一人に二杯ずつ持って来た。碁盤の目の敷畳みに腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜(すす)りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛りにするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいっているようにみえるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫の方が良えいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて、そこの座布団(ざぶとん)が尻(しり)にかくれるくらいであった。

織田作之助「夫婦善哉」(1940年/テキストは新潮文庫版による)

蝶子(淡島千景)と柳吉(森繁久彌)

(20130201撮影)