2013年12月29日日曜日
池田友里展「Inner Vision」 於、gallery CLASS (奈良市旧市街)
作家とのマンツーマンフォトセッション"Inner Vision"。
暗いブラックキューブに設えられた作品から請い求められるのは、まぶたに焼き付いた光の残像を鑑賞すること、近づく者の姿をシャープに、しかしながら浅くしか映さない鏡面に映る、欠けた己を見つめること。
そこに、横たわる作家・・・。無言で、微動だにしない。
ある角度でカメラを構えると、光の輪が浮き上がる。
◆gallery CLASS 12/11~12/24
このパフォーマンスは12/28、20時頃に行われた。
2013年12月23日月曜日
詩「反り返りある凹面鏡」
泥の河に架かる屋根付き橋を渡りゆく黒い人の群れ
冬の朝鮮海峡を渡りゆく蝶番の大群
土筆の群落の地下浅くをうねる土龍の律動
にも似た窮屈さで まなじりを腐す
しずる夏の夜の 死にし神の面影にさきはわれ
欠けそめる咳の航跡に引き拓かれる 芋畑の憧れ
(二十三夜月の南中)
詩人・小島きみ子さんが拙詩に応答して制作してくださったドライフラワー「蝶番」。
◆小島きみ子個展「薔薇と詩歌句:Rose fantasy」 12/2~12/24 於、画廊喫茶「パンの花」
広瀬大志、松尾真由美、池田俊晴、京谷裕彰、池田康、久保園理恵、上野典子(現代詩)、廣田恵介(翻訳詩)、倖田祐水、東徹也、中村みゆき(短歌)、鈴木伸一(俳句)、大原鮎美(自由律)、13名の言語芸術家と小島きみ子さんの薔薇のドライフラワーアレンジとのコラボレーション展。もちろん、小島さんご自身の詩も。
2013年12月11日水曜日
藤井貞和さんから頂戴した色紙 (に、したためられた問い)
「レヴィ=ストロース氏が、
マジノ線でドイツ軍の攻撃を待ち受けながら、
そのとき私は(と氏の言う)
タンポポの花の丸い球をじっと眺めて、
この対象の奇蹟とも言いえるような規則的な構造について、
因果関係や、 歴史的な偶発事や、
あるいは各部分の単なる組み合わせを並べてみても、何にも説明できない、
というふうに考えたのでした。
美とは何か?」
貞和さんから大きな宿題を頂戴しました。
ずっと考えておりますが、心の中でひとまずの回答を試みるも、言葉の手前でするりと抜けていってしまいます。
それでもまた、今日も考えているのです。
マジノ線でドイツ軍の攻撃を待ち受けながら、
そのとき私は(と氏の言う)
タンポポの花の丸い球をじっと眺めて、
この対象の奇蹟とも言いえるような規則的な構造について、
因果関係や、 歴史的な偶発事や、
あるいは各部分の単なる組み合わせを並べてみても、何にも説明できない、
というふうに考えたのでした。
美とは何か?」
貞和さんから大きな宿題を頂戴しました。
ずっと考えておりますが、心の中でひとまずの回答を試みるも、言葉の手前でするりと抜けていってしまいます。
それでもまた、今日も考えているのです。
2013年12月7日土曜日
野田万里子展「HOPE」 於、TEZUKAYAMA GALLERY(大阪・南堀江)
野田さんが制作という営みの外側で日常的に考えていることと、制作の内側で考えていること、そして出来上がる作品との関係がどうなっているのか、野田作品に接する時いつも気になっていた。
静謐な佇まいとモチーフを稠密に反復するスタイルは、視覚的な印象批評においては誰もが言及する顕著な特徴としてあるのだが、それと対をなすように視覚の外側を流れる、強い思想性がある。そのことに注目し、その両者に張り詰められた接線を探求することが、野田作品を深く鑑賞する上での重要事ではないかと私は思っている。(そんなことをせずとも充分に楽しめる作品なのだが、ここは敢えて)
全体と個とが、また個と個とが共鳴すべく設えられたインスタレーションは、視覚的には説明性が希薄である。その一方で、「このように読み解いて欲しい」という、作家にとっての正解が存在する。
ゆえに、解釈の自由と正解とのはざまに立って、見ること、感じること、その直後から"考えること"が要請されるのだ。
だがしかし、視覚の外側にあるだけに、正解には辿り着けない(とはいえ、野田さんは知りたい人には包み隠さず語ってくれる)。それでも、鑑賞者の意志は正解へと惹きつけられ、惹きつけられる意志がある限りにおいて、正解へと近づくことはできる(はずだと信じられる)。
それは真理への到達不可能性をうすらうすらと覚知しながら、それでも到達への意志を持続させることでようやく"希望"がひらかれる、そんな営みと相似的なのだ。
だとすると、その論理に気づくことがひとまずの正解である、と言ってもあながち誤りではなかろう。
意志と、意志を惹きつけるもの・・・
インスタレーションとテキストとの関係から、〈見える〉と〈見えない〉、感性と理性、全体性と無限、などなど・・・、
野田さんの作品が投げかける、対極性への、あるいは関係性への問いは、古今の哲学的な問題系との通路をゆっくりと顕現させてくれる。
そこで提示される美学のあり方には、今この時代において、何か大きな可能性が秘められているのではないか、そんな期待感が湧き起こった。
それはたしかに、"希望 HOPE"といいうるなにがしかであるのだろう。
◆TEZUKAYAMA GALLERY 11/23~12/21
三尾あすか・あづち展「Re born」 於、ondo (大阪・土佐堀)
"Day Dreaming"(2013)
双子の姉妹、あすかさんとあづちさんは、四本の腕と四本の脚、そして四つの眼で絵を描く。
そこにある複数性、そして「双子だから」と同種的にまなざしてしまう視線を美事に裏切ってくれる異種交雑性が、新たに加わった油彩画という方法によって以前にも増してはっきりと窺えるようになった。
画面に描かれるニョロニョロのような、おばけのようなおなじみのキャラクターたちは、
時空をかたどるいくつもの支持体を横断するように、わずかな差異を伴いながら、そこかしこに顔を出す。
ここではないどこかからやってきて、未だ見知らぬどこかへと移り去って行く。
その姿は、それと気づかぬうちに生まれ変わる私たちの姿と、ときに重なり合い、映し合い、響き合い、そして行き違う。
"彼女"であり、"彼女たち"であるような、
"私"であり、"私たち"でもあるような、
あるいは、
"誰"でもないが、"誰か"でしかないようなあり方で・・・。
◆gallery & product "ondo" 12/5~12/27
2013年12月2日月曜日
仲摩洋一展 ―inside the forest― 於、コンテンポラリーアートギャラリーZone (箕面・桜井市場)
そこに広がるのは、まぎれもない風景である。
だが、それがいかなる風景であるのかは自明ではない。
足を運ぶ、佇む、見る、(タイトルやステイトメントを)読む、という行為を通じてそれが森を描いた風景であることがゆっくりと明らかになる。
モチーフは、とある原生林だという。
仲摩さんは森の中を歩き回って写真を撮り、アトリエに帰りついた後から時間をかけてドローイングを重ね、そしてタブロー(油彩)に仕上げてゆくそのプロセスをとても丁寧に考えている。
だからこそ、モチーフを採取する場と制作する場、という隔たる空間や時間の間(あいだ)に、作家の意識や無意識を通じた何かがこもってゆくのだろう。
鑑賞者の意識が入り込むのも、もちろんこの"間(あいだ)"である。
作品の前に立つことが、森の中に立つ、ことを意味する"inside the forest"(2013)。水面に映り込んだ森を描いた120号の大判タブロー"water mirror"(2013)。鏡像を通じて開示される存在を示唆しているのだろう。
そこに私が"いる"ということ、目の前に絵が"ある"ということ。
存在への問いはここからはじまる。
絵の前に立ち、それを絵として対象化することは、すなわち世界を対象化することである。ここでいう世界とは、人間存在を取りまく外部世界であると同時に、絵の中に世界を見出し、見通す作家や鑑賞者の内面世界でもあるのだ。
ゆえに、森に流れる空気や射し込む光といった現象を描くことは、とりもなおさず世界内に生起する様々な現象に私たちの思惟を結びつける象徴を描くことへと転位する。にもかかわらず、それとひと目でわかる象徴的な図像が描かれているわけではない。
そんな仲摩さんの作品はどれも、タイトルが重要な意味を持っていることがすぐに理解できるのだが、ここでヤスパースの哲学に水先案内を依頼するならば、深遠さを象徴する森とは存在の暗がりを、作品に付けられたタイトル(言葉)は暗がりに光を照らす理性を表していると解釈することができる。
そうして"water mirror"から光を照り返された私は、絵の前で"問い"を発する私の存在、その内奥にある実存の闇に光を当てることを促されてしまうのだ。
このように幾つかの段階を踏まえ鑑賞者の実存をも照射する力がある光の表象、というのは大きな魅力である。この光の表象をめぐっては、印象派の多くが瞬間の光を捉えるのに対し、仲摩さんの絵においては、持続する時間がキャンバスにつなぎ止められている。それは具象的モチーフが写真や紙を経てキャンバス上で抽象的に溶けてゆく、その制作に要する時間の中でつなぎ止められる持続なのだろう。
なるほど、私たちは何かを対象として把握し、思惟し、認識しようと努める時、かならず時間の中で遂行するほかないのだという真理に至りつく。
つなぎ止められた時間の持続は、表象された光によって絵画本来の力へと変換されるのだろう。
◆コンテンポラリーアートギャラリーZone 11/23~12/5
"water mirror"(2011)
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