2014年3月17日月曜日
あまのしげ『視覚は欲望である』より
顔は政治的である。
手は戦略的である。
あまのしげ『視覚は欲望である』(2010年,澪標)
ちょうど政治と芸術との不可分な関係をめぐるジャック・ランシエールの美学論について思索しているところなので、とてもタイムリーだった。
上に紹介した二行は、現代美術の実践者によって示された、ある真理の輪郭に触れる言葉であろう。
だが、言葉それ自体が真理そのものではありえないことを、彼は熟知している。
美術家・あまのしげさんは今、大阪・西天満のギャラリーH.O.Tで個展を開催中。
◆ あまのしげ展「千の甍」 3/17~3/29 Gallery H.O.T
2014年3月11日火曜日
三瀬夏之介×宮永亮「石舞台プロジェクション つらなり」 於、石舞台古墳(奈良・飛鳥)
約1400年前に築造された石舞台古墳は、それが墓として祭られた時間よりも忘れ去られた時間の方がはるかに長い。
いつの頃か墳丘の盛り土がはぎ取られ、石室が露出するようになったことが一因としてあるのだろう。
露出した巨石の上で旅の一座によって能が舞われたとか、キツネが女性に化けて舞ったとか、謎の巨石建造物・石舞台として人々に親しまれ、空想を掻き立ててきた時間の長さが、物差しでは測れないところに魅力がある。
キツネが化けた話から、タヌキとウサギが月夜の晩に踊ったとかなんとか話はいくらでもふくらんでゆく・・・
が、旅の一座が舞台とした、ってのはさもありなん。
ここに三瀬夏之介さんの絵画と宮永亮さんが撮影した明日香村の風景写真とがシャッフルされた映像が投影される。
スクリーンは、玄室を構成する石の一つ一つ。
足を踏み入れると必ず感じる威圧的な重量感が、このときばかりは軽やかに霧消してしまった。
連続する静止画像がフラッシュする間中の出来事である。
『朝日新聞』の記事↓
http://www.asahi.com/articles/ASG3B63TMG3BPOMB01C.html
◆3/11~3/22 13:00~16:45 (石舞台古墳の入場料が必要)
いつの頃か墳丘の盛り土がはぎ取られ、石室が露出するようになったことが一因としてあるのだろう。
露出した巨石の上で旅の一座によって能が舞われたとか、キツネが女性に化けて舞ったとか、謎の巨石建造物・石舞台として人々に親しまれ、空想を掻き立ててきた時間の長さが、物差しでは測れないところに魅力がある。
キツネが化けた話から、タヌキとウサギが月夜の晩に踊ったとかなんとか話はいくらでもふくらんでゆく・・・
が、旅の一座が舞台とした、ってのはさもありなん。
ここに三瀬夏之介さんの絵画と宮永亮さんが撮影した明日香村の風景写真とがシャッフルされた映像が投影される。
スクリーンは、玄室を構成する石の一つ一つ。
足を踏み入れると必ず感じる威圧的な重量感が、このときばかりは軽やかに霧消してしまった。
連続する静止画像がフラッシュする間中の出来事である。
『朝日新聞』の記事↓
http://www.asahi.com/articles/ASG3B63TMG3BPOMB01C.html
◆3/11~3/22 13:00~16:45 (石舞台古墳の入場料が必要)
2014年3月10日月曜日
『飛鳥古跡考』(1751年)
手元にあるのは1977年に豊住書店が『大和名所記(和州旧跡幽考)』と併せて一冊本として刊行した翻刻版。
このページの左端から酒船石(さかふねいし/万葉文化館すぐ南の丘の竹藪にある)についての記述が始まる。
「村ヨリ三町艮(うしとら)
一酒船石 長二間横五尺三寸。飛鳥由来記にニは酒谷山、鳥形山の南半町、山の峰に大石有。上に大壺を掘、これより溝あり、上の壺に濁酒を盛て下へ流し、清して神酒となし飛鳥社へ供ふ。これ和国か清酒の始なりといふ。」
酒船石は斉明天皇(在位655-661年)による飛鳥再開発(大土木工事)の際の遺物であることは周辺の遺跡の年代からして間違いなさそうだが、これがなんのためのものなのかは依然謎のままである。
「飛鳥古跡考」が伝える清酒起源譚の正否はともかく、飛鳥の石造遺物が時の人々の想像力を触発した力には崇高なものを感じる。
2014年3月4日火曜日
『一篇の詩を三人がそれぞれ修正する四通りのケース』(及川俊哉+髙塚謙太郎+松本秀文+山田亮太)
差出人不明のメール便で『一篇の詩を三人がそれぞれ修正する四通りのケース』(及川俊哉+髙塚謙太郎+松本秀文+山田亮太)なる詩誌が届いた。
これは四氏各自がそれぞれ既発表の詩を提出し、他の三氏が各々自由な方法によって書き直した上で、その意図についてコメントを添える、というもの。
詩語に込められたイメージと伝達におけるその変容、そして原詩を受け新たな詩の創成へといたるプロセスの中に、自他の境界線上で詩性を受け容れつつ拒絶する、スリリングな美学のせめぎ合いがみられる。それぞれに屹立する主体の辛辣さ(あるいは峻厳さ)とは裏腹に、そこでは詩性がすでに自他不分明のものとしてやりとりされてあることに、ほのかな温もりが感じられるのだから大したもんである。これは、共にあることのよろこびに違いない。
そんな彼らは互いにまったく異なった個性をもつ詩人たちだが、共有しているものは小さくないように思えた。
本誌は四氏共同による詩学的実験でありつつ、詩がどのように読まれ、別の詩を触発するのかについての大変興味深い報告書(のようなもの)になっている。
一般的な通念として了解される類の詩誌ではない。
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