2016年5月12日木曜日

山崎なな「アイデンティティの消失と」(In front of DADA/箕面市桜井市場)

過去にダダカン(糸井貫二)が一万円札五枚を燃やしたメールアートを制作したり、森村泰昌が《森村千円札》と称して紙幣に手を加えた作品を発表したことがあったが、捜査されたとか、逮捕されたとかいう話はとんと聞かない。
そりゃそうだ、硬貨を損壊するのは違法であっても、多くの人の手をわたるうちに自然に傷んでくる紙幣に手を加えたとて法には抵触しないのだから。

ただの紙とお金の境界を問う山崎さんの作品群は、法や制度や価値観の基準を越え、快不快を感じる私たちの心の閾にストレートに迫ってくる。

閉鎖的なギャラリー空間ではなく、子どもの画塾・アトリエDADAの真ん前、市場の通りに面した(壁のない)開放系の空間であるだけに、笑いや驚きを伴う出会いは、まさにハイデガーが芸術作品の本質であると規定した〈衝撃〉という概念にぴったりとあてはまる(『芸術作品の根源』)。

また、個展タイトルに「アイデンティティ」という言葉が入っているのはとても示唆的で、作品を目の当たりにした〈衝撃〉を機に、それぞれの内面に思索の火を点そうという意図があるのだろう。

というのも、私たちは誰かが流布さた「アイデンティティ」という言葉をよく分からないままに使っているだけなのに、まるでそれが何かの本質を表しているかのように錯覚しているものだ。実のところ、私たちには絶えざるアイデンティフィケーション(自己同一化という行為)があるにすぎない。

お金の有無、貧乏か金持ちかで「アイデンティティ」を強要するなど、社会に構造化された暴力への抗いが籠められているように思える。

そして紙幣もまた、「アイデンティティ」を失っているのだ。

《Fの肖像》


《いちおくえん》


In front of DADA 2016.5.7~5.14




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