2012年3月30日金曜日

ミヤザキミホ「カモ」 (「どうぶつ展」より/於、ギャラリー・雑貨 モノコト/大阪・中崎町)

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白い地に黒い線というシンプルな技法でカモの群が描かれている。カモはみな表情がなく、なぜか一様に右を向いている。

だが、その中に一羽だけ正面を向くカモがいる。

その一羽を見つけてしまうと、たちどころにこの絵の印象が変わってしまう。がらりと変わってしまう。

なぜなら、その一羽には強い眼が描かれているからだ。

一様に右を向く「愚かな」カモの群を俯瞰している者を、ギッと鋭い眼光で睨み付けている。

それは、俯瞰している者=鑑賞者の実存に突き付けられる眼光である。





※「どうぶつ展」開催当初の作品タイトルは「ボクはだまされない」。 

北園克衛「夜の要素」


その絶望



把手



のある

の胸
あるひは穴
のある

の腕


偶像


にささへられ
た孤独
の口




ひとつ

眼へ

ひとつの


智慧


あるひは
肥えた穴
のなか



永遠
を拒絶
する
恋へ

図形


憂愁




をやぶる
恋人

陰毛






その
暗黒

幻影






その
幻影



陶酔

黒い砂
あるひは
その
黒い陶酔

骨の把手




(詩集『黒い火』〔1951年〕より)


「彼は特殊な意味の断絶方法によって、特殊な夢の世界を創ろうとしているのである。それだから、この詩に、一般の詩からうけるような何らかの論理的な結論などを予期したら、全く理解しがたいものになってしまうだろう。(中略)
しかしながら、ここで考えなければならないことは、作者自らもいうように、これは詩の新しいパターンなのであって、『夜の要素』という一つの抽象の世界なのだから、たとえそこに論理的な筋書きがないとしても、それは何らかの『意味の世界』だということである。いわば意味を拒絶した意味の世界なのである。
それだから、たとえば『骨/その絶望/の/砂/の/把手』という言葉の配置から、何の心象的反応を示しえない読者にとっては、この詩は全く無縁なものにならざるをえない。それと反対に、そこから何らかの心象的反応を経験し、さらにその上に次々と来る、さまざまな言葉によって惹き起こされる心象的経験を重ねうる人にとっては、やがてそこに、『夜』という空間の内部を形成する人間的欲望の抽象的空間を目撃することができるわけである。」
・・・村野四郎による評(『日本の詩歌25』1969年,中央公論社)

2012年3月26日月曜日

笹倉洋平ライブペインティング 2012.3.24 於、クレフテ(大阪・中津)

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2012.3.24 20:00~21:00 @クレフテ
音楽:guitar noise orchestra from ha-gakure



2012年3月25日日曜日

ジョルジョ・アガンベンの言葉

資本主義は経済思想というよりも、一つの宗教だ。しかも、ただの宗教ではなく、より強く、冷たく、非合理で、息の詰まる宗教だ。資本主義を生んだキリスト教のような救済、しょく罪、破門もない。私たちはよく言っても「在家」という立場でこの宗教にとらわれている。


 要は、経済成長か、それによって失われる可能性のある人間性か、どちらを選ぶかだ。資本主義が見ているのは世界の変容ではなく破壊だ。というのも、資本主義は「無限の成長」という考えで指揮を執るが、これは合理的に見てあり得ないし、愚かなことだからだ。


全文は↓

「急接近:ジョルジョ・アガンベンさん ユーロ危機、フクシマ…世界の近未来?」(3/24付け毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20120324ddm004070152000c.html 



【リンクが切られてしまっているため、保存していた全文テキストを以下に貼り付け/2012.4.30追記】

<KEY PERSON INTERVIEW>

 09年末にギリシャに端を発した「ユーロ危機」は資本主義という名の宗教が壊れ始めた世界での日常の出来事にすぎない--。そう断言するイタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンさんに近未来、そして「フクシマ」の原発事故が与えた衝撃について聞いた。【ローマ藤原章生】

 ◇壊れゆく「資本主義宗教」--イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンさん(69)
 --東日本大震災後、日本だけでなくイタリアでも、経済成長にこだわらない暮らしを求める声が高まってきました。ギリシャの映画監督、故テオ・アンゲロプロス氏は昨年夏、「人々は(未来への)扉が開くのを待っている。イタリアなど地中海圏が扉を開く最初の地になる」と変動を予言しました。社会の価値観は変わりますか。

 ◆ アンゲロプロスの言葉を読み、経済という独裁者が社会生活の細部にまで入り込んでいるという指摘に感銘を受けた。世界の内面を考える上で役に立つ処方箋だ。それを理解するには、資本主義に支配されている現実をよく知る必要がある。

 資本主義は経済思想というよりも、一つの宗教だ。しかも、ただの宗教ではなく、より強く、冷たく、非合理で、息の詰まる宗教だ。資本主義を生んだキリスト教のような救済、しょく罪、破門もない。私たちはよく言っても「在家」という立場でこの宗教にとらわれている。

 要は、経済成長か、それによって失われる可能性のある人間性か、どちらを選ぶかだ。資本主義が見ているのは世界の変容ではなく破壊だ。というのも、資本主義は「無限の成長」という考えで指揮を執るが、これは合理的に見てあり得ないし、愚かなことだからだ。

 --ギリシャやイタリアなど南欧の債務危機が資本主義を変える原因になりますか。

 ◆ 一連の危機はいずれ、今の資本主義世界における普通の状態にすぎなかったと思い出されるだろう。今回の危機は(ギリシャ政府による)「クレジット」(信託)の操作から始まった。それまで、クレジットは元値の10倍、15倍もの値で売られていた。銀行はクレジット、つまり人間の信用、信仰を操り、ゲームを楽しんだ。宗教=資本主義=銀行=クレジット=信仰--というたとえは現実なのだ。銀行が世界を支配し、人々にクレジットを持たせ、それで払わせようとする。

 そして、格付け会社は国のクレジットまで作った。国家には本来、主権があるはずなのに、「財政」という言葉で第三者がそれを一方的に評価する。これもまた、資本主義の非合理を示す一つの特徴と言える。

 ちょっと下品な言い方をすれば「人間性のアメリカ化」が生まれつつあるように思う。アメリカは歴史が浅く、過去と対峙(たいじ)しない国だ。そして、資本主義という宗教の力がとても強い。問題は、過去を顧みない人間のあり方、つまり「アメリカ化」に意義があるのか、それこそが来るべき未来なのか、それとも別の道があるのかということだ。なぜなら、(未来への)扉を開くには、別の道がなくてはならないからだ。

 人間と過去との関係で、ひとつ逸話を話させてもらうと、私は日本の版画が大好きで、(葛飾)北斎の作品を一つ持っている。若く賢い日本の友人にこれを見せたことがある。だが、彼は版画に書かれた字を読めなかった。ラテン語や古代ギリシャ語を読める彼が古い漢字を読めない。これは、私には、過去との関係が危機にある一つの表れだと思えた。

 --歴史を重んじる欧州人も過去を失いつつあるように思えます。危機などの非常事態が日常になってしまうのは、過去を見ていないからと言えますか。

 ◆ その通りだ。それを示すいい例が、大学の危機と、社会の「博物館化」だ。いま、過去がある所は博物館だけになってしまった。過去は忘れられ、単に展覧されるだけになった。過去を生きたまま伝える場であるはずの大学は危機にある。哲学や心理学など人間を学ぶ学科がイタリアで廃止されつつあり、これは欧州全体の問題と言える。

 ◇核被爆国がなぜ原発?
 --フクシマをどう見ましたか。グローバル化の下、ある土地の災害が世界に大きな影響を与えます。あなたの何かを変えましたか。

 ◆ かなり大きな衝撃だった。ひどく心を乱した。日本についての私のイメージも変わった。ヒロシマ、ナガサキを経験した後で、日本が50基以上もの原子炉を設置していたとは思いもよらなかった。日本は寓意(ぐうい)的な事例だと思う。なぜ、ヒロシマの悲劇を生きてきた国が50基もの原子炉を建設できたのか? 私にとっては今も謎のままだ。おそらく、日本は過去を乗り越えたかったのだろう。

 そして、(明るみに出たのは)資本主義を率いてきた人々の思慮のなさだ。それが、国を破壊するということでさえ、日常のことのように思う感覚をもたらしたのだろう。

 --「原子力の平和利用」という言葉で自分たちを欺いてきたとも言えます。

 ◆ そうだ。だが、過ちだったのだ。そこにも、まさに資本主義宗教の非合理性が見える。国土がさほど大きくない国に50基もの原子炉を築いてきたという行為は、国を壊す危険を冒しているのだから。

      ◇

 「急接近」は今回で終了します

 ●映画監督、アンゲロプロス(1935~2012年)の言葉

 未来が見えない今は最悪の時代だ。人々に方向を示す政治が世界のどこにもない。政治家も学者も大衆も待合室にこり固まり、扉が開くのを待っている。西欧社会は真の繁栄を手にしたと長く信じてきたが、それは違うと突如、気づいた。いずれ扉は開くだろうが、その前に私たちが、そして世界が変わらねばならない。

 地中海諸国が扉を押し開く最初の地になるだろう。問題は金融が政治にも倫理にも美学にも、全てに影響を与えていることだ。これを取り除かなくてはならない。扉を開こう。それが唯一の解決策だ。今の世代で始め、次の世代へと引き継ぐのだ。金融が全てではなく、人間同士の関係の方がより大きな問題だと私たちは想像できるだろうか。

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 ■人物略歴

 ◇Giorgio Agamben
 ローマ生まれ。フランス、イタリアなどの大学で教えた後、現在は資本主義、グローバル化、紛争による人間性や社会の変容などをテーマに執筆業に専念している。ほぼ全著作が邦訳されている。

2012年3月23日金曜日

宮本佳明展「福島第一原発神社 ~荒ぶる神を鎮める~」 於、橘画廊(大阪・西本町)



今後も物議を醸すであろう、建築家・宮本佳明(かつひろ)さんの「福島第一原発神社」。
3/22夜、急遽企画された宮本さんと宗教学者の鎌田東二さんとの対談イベントは、たとえトンデモな意見であっても真面目に受け止められ、そして誠実に応答がなされる、自由闊達でユニークな場となった。
それらの意見は、放射性廃物をこの先何万年もの間管理していかなければならないという厳しい現実を前にした、貴重な提言の数々だった。
この神社の実現可能性/不可能性を大真面目に議論することで、様々な問題が浮かび上がってくるのだ。恐ろしい、あまりにも恐ろしい問題が・・・

文明の起源以来、数千年の歴史を振り返ってみただけでも、人間が作ったものを何万年もの長期にわたって管理することなどできるのか?という疑問が即座に湧き起こる。


作品のコンセプトについては、下記のリンクを参照。
http://dancer.co.jp/?p=1096

対談イベントの締めは鎌田さんによるホラ貝。




2012年3月20日火曜日

笹倉洋平展「グリン」 於、クレフテ(大阪・中津)

何がしかの対象、あるいは非対象を透(とお)る、ある生気的な何ものかを線に載せる笹倉のドローイング。
それはさらなる別の形象へと、変容していく可能性を内包した種苗である。

流れを湊(あつ)め、無限大に放出しつつ、
知覚を吸い、無限小に微分化していく、
オートポイエーティカルな装置として、極限まで簡素化された、描線。




今回の個展「グリン」で我々が目にするのは、ある物語性を暗示する作品群。
そこに躍動するイメージは立体的であるだけでなく、多次元的ですらある。

絵本のようなスケッチブック 。 
これが「原基」なのだろうか。 



萌え出る幸福なエネルギーが、空間を充たしている。


◆3/19~3/31
クレフテ

伊吹拓展「燻(くゆ)り」 於、GALLERY 301(神戸・元町)


床。古いタイルを剥がした痕に遺ったコールタールのデカルコマニー。

南側には大きな窓。


地霊の静もりを思わせる古い床の模様、そして大きな窓から差し込む光の変化といった空間の放つ個性と、新旧織り交ぜられた伊吹作品から流れるアウラとの滑らかな溶け合いが魅力である。



燻り

色の

空気の

熱の

時間の

光の

意識の

そして文字通り●●までもが燻っている・・・・・・




◆3.17~3.27


2012年3月19日月曜日

中島麦のアトリエ (天満橋/nm2)

床。



大歳芽里「CELL:EGG」/ジャン=リュック・ナンシー「アリテラシオン」

その場において、生ける者は場所の外へと跳躍する。

生ける者は場所を開き、自己からその場所を隔てる、その場所の現世的性格からこの場所を分離する、 

だが新たに、その現世的性格へとこの場所を再び結合させる、 

そしてこの現世的性格のなかでこの場所を置き換える、あたかも、今や律動化された場であるかのように、拍動し、みずからを持ち上げ、またみずからを空虚にする呼吸のように。

他者から、私の関節へと共鳴するもの、他者から、私の知らないあいだに、私の腱に緊張を引き起こしにやって来るもの、

私の骨に、内臓に、喉頭に、遊び=緩みを与えるもの、

私の頭蓋骨の縫合部のなかにまで滑りこんでくるもの

身体は自分自身の現前性から自由になり、みずからの構成を解きほぐし、接合を解体する。



あらゆる意味=感覚〔方向sens〕に先立つ意味、この意味=感覚はあらゆる意味=感覚を閉じ、次にはそれらをひとつずつ再び開く、そしてそれらすべての意味=感覚のあいだにみずからを滑り込ませ、それらの各々の根底へと跳び込み、ひとつの意味=感覚から別の意味=感覚へと跳び込み、自同なる身体と錯綜状態にある独異なる身体のあいだに、あるいは自同なる身体と錯綜状態の複数の身体のあいだに跳び込み、ひとつの身体を複数の身体となし、複数の身体をひとつのダンス状のものとなす。



大歳芽里(身体)・宮嶋哉行(ヴァイオリン)・酒井敏宏(映像)・飛び入りのこどもたち,gallerism in 天満橋/京阪モール8F,2012.3.17


text:ジャン=リュック・ナンシー/マチルド・モニエ『ダンスについての対話 アリテラシオン』Ⅴ「アリテラシオン」より抽出(大西雅一郎/松下彩子訳,現代企画室)。