個々のイメージは無限の意味の有限な型取りであり、無限の意味はこの型取りによってのみ、あるいはこの区別の描線によってのみ無限であることが示されるのである。諸芸術が多様性と歴史性をもち、そこにおいて様々なイメージが溢れかえっているという事態は、この尽きることのない区別に対応するものである。
◆ジャン=リュック・ナンシー『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳,2006年,以文社)より
『イメージの奥底で』は数あるナンシーの著書の中で、最も惹かれた一冊です。芸術とは何か?という問いが意識に上る時、この言葉の前半部分(命題)が不意に反復されることがよくあります。確かにナンシーはある真理を言い当てていると思うのですが、最近はこの言葉が心に浮かんだ次の瞬間、まだなにか足りないのでは?という疑問を感じるようになりました。その疑問の意味を探求することは、今後の思索の課題になりそうです。
2010年2月22日月曜日
霜田誠二パフォーマンス・アート・ワークショップ
世界各国でパフォーマンス・アートの公演をされている霜田誠二(しもだせいじ)さんによるワークショップが2/19~三日間、大阪・中崎町で開催されていましたが、昨日はその最後のプログラムであるワークショップ参加者によるパフォーマンス・ライブに行ってきました。会場は中崎町の古民家カフェ・サロン・ド・天人(あまんと)。 狭い店内に40人くらい集まり、まさに立錐の余地なし、といった感じ。
まずは最初に霜田さんがベトナムやビルマ(ミャンマー)で開催したイベントのビデオ上映と霜田さんの解説があり、その後ワークショップ参加者によるパフォーマンス・ライブという段取りでした。
ビデオで印象的だったのは、若い父親と小さな少年が親子で実に楽しそうにパフォーマンスをやっている映像があったのですが、それをみて「人と人との関係を構築する上で、パフォーマンスを実生活で取り入れてみるのもいい」と霜田さんが話したことでした(少年はパフォーマンス初体験だったそうです)。なるほど、人と人との関係を構築/再構築/あるいは脱構築する媒介項にもなるのか、と自らのパフォーマンス未満の諸経験を瞬間的に参照しながら感覚で理解したような気になりました。
パフォーマンス・アートはヨーロッパではアクションポエトリーという捉え方をされることもあるそうです(パフォーマーには詩人が少なくないそうで、霜田さんも詩から表現活動をスタートされた方です)。
そういえば詩人仲間でもパフォーマンスをやる人はいますね。通天閣の下で路上宴会をした時に裸で日本国憲法を絶叫したり、ダンボールを使ったパフォーマンスをする路上詩人・橘安純さんや、パリの街角でランボーの詩を日本語で絶叫してたら日本語の分かる女性から「ランボーは叫ばないでしょう?」と囁かれ、それを傍で見ていた映画監督に声を掛けられそのままフランス映画に出演した、しげかねとおるさんなどは近いものがあるかもしれません。
さて、ライブではワークショップ参加者が、熟練者も初めての人も分け隔てなく演じました。
意味があるのかないのかすら分からないものも多いのですが、何をやっているのか、訳の分からないものをみる面白さは言葉による表象を遥かに越えています。でも実は各自しっかりと構成を練って準備をした上で演じているので、その場ですぐには分からなくとも、後でじんわりと意味が現れてくることもありました。行為と解釈の自由が絶対的に保証されていることが、そのまま多様性の肯定に繋がるということなのでしょう。
芸術でも、非芸術でも、反芸術でもなんでもいいのだけれど、そのような言葉で喚起される、僕らが予め持っている(と思っている)既存のコードを土台から揺さぶり、内側から破砕しつつなにかを創り上げる力がそこにはありました。かのネグリさんがいうところの〈構成的な力〉というやつでしょうか。霜田さんは武蔵野美術大でも講師をされているのですが、「美大というのはアートを創る上では機能していないということが分かった」と話していたのが印象に残っています。
「特別な訓練が必要なジャンルではなく、本人のやる気さえあればできる表現ジャンル」と霜田さんが言うように、入り口は広く奥が深い(たぶん出口はない)パフォーマンス・アートに魅了された一日でした。
僕も何かやりたくなりました。
パフォーマンスは一回性のものであるがゆえに、写真でその魅力を伝えることは不可能ですが、あえて。
霜田誠二さんのパフォーマンス。ポケットから取り出したコンビニのレジ袋をもしゃもしゃ。それが下の写真のように・・・
Kit Garchowさん。まずは花束をテープでぐるぐる巻きにし、それを左腕に巻きつけ、さらに脱いだ服も一緒に巻きつけて、ハインツのトマトケチャップを飲んでいます。
イシワタマリさん。幾重もの風呂敷を一枚ずつ上品な手つきでほどいて膝の上に重ねて行きます。最後に何が出てくるのかと思いきや、なんとニンニクでした。そのニンニクを一粒ずつ食べるパフォーマンス。 最後は会場内を巡りながら観客になまめかしく息を吹きかけるというオチ。
イシワタさんが演じる前で、最前列にいた男の子が服を脱いでパフォーマンスを始めました!見る人を触発するパフォーマンス・アートのポテンシャルを感じた瞬間でした。
machi/さん。断片的な言葉を呟いたり叫んだりしながら、もんどり打ち、のたうつパフォーマンス。圧倒的な迫力。理路整然と語ることなどけっしてできないが何かを発するしかない、うめき、もがきといった限界状況を表象しているのでしょうか。ご本人から後で聴いた話によると、これは誰かがどこかで発した言葉をコラージュしたものなのだと。で、なんか覚えのある言葉があるなあと思っていたら、僕がとある討論の会場でしゃべった言葉も使ったのだと明かしてくれました。(^^;)
大橋範子さん。ご自分の左腕をカッターナイフで切り裂く衝撃のパフォーマンス。ここでデジカメの電池が切れてしまったので、血が流れる写真は撮れませんでした。冒頭、蜂を食べたのも強烈でしたが、あれは黒スズメバチだったと思います。
まずは最初に霜田さんがベトナムやビルマ(ミャンマー)で開催したイベントのビデオ上映と霜田さんの解説があり、その後ワークショップ参加者によるパフォーマンス・ライブという段取りでした。
ビデオで印象的だったのは、若い父親と小さな少年が親子で実に楽しそうにパフォーマンスをやっている映像があったのですが、それをみて「人と人との関係を構築する上で、パフォーマンスを実生活で取り入れてみるのもいい」と霜田さんが話したことでした(少年はパフォーマンス初体験だったそうです)。なるほど、人と人との関係を構築/再構築/あるいは脱構築する媒介項にもなるのか、と自らのパフォーマンス未満の諸経験を瞬間的に参照しながら感覚で理解したような気になりました。
パフォーマンス・アートはヨーロッパではアクションポエトリーという捉え方をされることもあるそうです(パフォーマーには詩人が少なくないそうで、霜田さんも詩から表現活動をスタートされた方です)。
そういえば詩人仲間でもパフォーマンスをやる人はいますね。通天閣の下で路上宴会をした時に裸で日本国憲法を絶叫したり、ダンボールを使ったパフォーマンスをする路上詩人・橘安純さんや、パリの街角でランボーの詩を日本語で絶叫してたら日本語の分かる女性から「ランボーは叫ばないでしょう?」と囁かれ、それを傍で見ていた映画監督に声を掛けられそのままフランス映画に出演した、しげかねとおるさんなどは近いものがあるかもしれません。
さて、ライブではワークショップ参加者が、熟練者も初めての人も分け隔てなく演じました。
意味があるのかないのかすら分からないものも多いのですが、何をやっているのか、訳の分からないものをみる面白さは言葉による表象を遥かに越えています。でも実は各自しっかりと構成を練って準備をした上で演じているので、その場ですぐには分からなくとも、後でじんわりと意味が現れてくることもありました。行為と解釈の自由が絶対的に保証されていることが、そのまま多様性の肯定に繋がるということなのでしょう。
芸術でも、非芸術でも、反芸術でもなんでもいいのだけれど、そのような言葉で喚起される、僕らが予め持っている(と思っている)既存のコードを土台から揺さぶり、内側から破砕しつつなにかを創り上げる力がそこにはありました。かのネグリさんがいうところの〈構成的な力〉というやつでしょうか。霜田さんは武蔵野美術大でも講師をされているのですが、「美大というのはアートを創る上では機能していないということが分かった」と話していたのが印象に残っています。
「特別な訓練が必要なジャンルではなく、本人のやる気さえあればできる表現ジャンル」と霜田さんが言うように、入り口は広く奥が深い(たぶん出口はない)パフォーマンス・アートに魅了された一日でした。
僕も何かやりたくなりました。
パフォーマンスは一回性のものであるがゆえに、写真でその魅力を伝えることは不可能ですが、あえて。
霜田誠二さんのパフォーマンス。ポケットから取り出したコンビニのレジ袋をもしゃもしゃ。それが下の写真のように・・・
Kit Garchowさん。まずは花束をテープでぐるぐる巻きにし、それを左腕に巻きつけ、さらに脱いだ服も一緒に巻きつけて、ハインツのトマトケチャップを飲んでいます。
イシワタマリさん。幾重もの風呂敷を一枚ずつ上品な手つきでほどいて膝の上に重ねて行きます。最後に何が出てくるのかと思いきや、なんとニンニクでした。そのニンニクを一粒ずつ食べるパフォーマンス。 最後は会場内を巡りながら観客になまめかしく息を吹きかけるというオチ。
イシワタさんが演じる前で、最前列にいた男の子が服を脱いでパフォーマンスを始めました!見る人を触発するパフォーマンス・アートのポテンシャルを感じた瞬間でした。
machi/さん。断片的な言葉を呟いたり叫んだりしながら、もんどり打ち、のたうつパフォーマンス。圧倒的な迫力。理路整然と語ることなどけっしてできないが何かを発するしかない、うめき、もがきといった限界状況を表象しているのでしょうか。ご本人から後で聴いた話によると、これは誰かがどこかで発した言葉をコラージュしたものなのだと。で、なんか覚えのある言葉があるなあと思っていたら、僕がとある討論の会場でしゃべった言葉も使ったのだと明かしてくれました。(^^;)
大橋範子さん。ご自分の左腕をカッターナイフで切り裂く衝撃のパフォーマンス。ここでデジカメの電池が切れてしまったので、血が流れる写真は撮れませんでした。冒頭、蜂を食べたのも強烈でしたが、あれは黒スズメバチだったと思います。
2010年2月21日日曜日
安里ミゲル「フランス現代思想について」
―――一字一音一語詩の実験をもって「詩の出発」をされた佐藤一英先生のみたまにこのささやかな詩をささげる
腐
宇
狐
尾
母
弟
狸
蛇
毛
螺
蝦
務
茂
耐
流
于
儒
謨
是
牟
夫
與
美
天
是
牟
夫
倭
須
礼
利
※『名詩、産ス名』より
腐
宇
狐
尾
母
弟
狸
蛇
毛
螺
蝦
務
茂
耐
流
于
儒
謨
是
牟
夫
與
美
天
是
牟
夫
倭
須
礼
利
※『名詩、産ス名』より
安里ミゲル「屁威性癌年一月八日 ~鼻ある者は嗅ぐべし」
宮内庁が屁をたれる
政治家どもが屁をたれる
新聞テレビが屁をたれて
国民が
総意に基づき屁をたれる
屁は日章旗をひるがえし
旭日旗をはためかす
屁威性の癌細胞が増殖し
屁威力が増大する
かくて東アジアの
鼻摘みがまたしても
悪臭振撒く癌年と相成る
もはやあらゆる処置を施して
病巣を摘出するのでない限り
癌腫は年月を蝕み元首と化し
元首の屁が御稜威(みいつ)と化し
屁威力が皇害を誘発し
屁威が東亜を席捲し
人民が臣民と化し
臣民が屁威下において赤子と化して
屁威下の赤子が英霊と化すことは
過去の症例に鑑みるなら
屁を見るよりは明らかなのだが
この患者
自覚症状まるでなく
うかれ調子で屁をたれる
※『名詩、産ス名』より
政治家どもが屁をたれる
新聞テレビが屁をたれて
国民が
総意に基づき屁をたれる
屁は日章旗をひるがえし
旭日旗をはためかす
屁威性の癌細胞が増殖し
屁威力が増大する
かくて東アジアの
鼻摘みがまたしても
悪臭振撒く癌年と相成る
もはやあらゆる処置を施して
病巣を摘出するのでない限り
癌腫は年月を蝕み元首と化し
元首の屁が御稜威(みいつ)と化し
屁威力が皇害を誘発し
屁威が東亜を席捲し
人民が臣民と化し
臣民が屁威下において赤子と化して
屁威下の赤子が英霊と化すことは
過去の症例に鑑みるなら
屁を見るよりは明らかなのだが
この患者
自覚症状まるでなく
うかれ調子で屁をたれる
※『名詩、産ス名』より
安里ミゲル「命どぅ宝」
にんげんを
かたっぱしからころしていたら
ついにだあれもいなくなってしまった
というのはうそで
ころしただけのやつだけひとり
たのしくくらしていました
せんそうなどで
ころしたくもないやつをころしたのではなく
ころしたいやつをころしたのですからすっきりしたきぶんなのです
せんそうなどでは
ここまでにんげんがころされたことはありませんでしたので
せんそうのほうがまだましだったかもしれません
やがてこのひとごろしもしぬでしょう
そしたらきっと
じんるいがなつかしくなるでしょう
※『名詩、産ス名』より
かたっぱしからころしていたら
ついにだあれもいなくなってしまった
というのはうそで
ころしただけのやつだけひとり
たのしくくらしていました
せんそうなどで
ころしたくもないやつをころしたのではなく
ころしたいやつをころしたのですからすっきりしたきぶんなのです
せんそうなどでは
ここまでにんげんがころされたことはありませんでしたので
せんそうのほうがまだましだったかもしれません
やがてこのひとごろしもしぬでしょう
そしたらきっと
じんるいがなつかしくなるでしょう
※『名詩、産ス名』より
安里ミゲル「日本の郷土詩人・岩手宏の詩『珍鉾のうた』」
わたしは珍鉾
でっぱってます(僭越ながら)
ぶらぶらしてます
どうもすいません。
わたしは珍鉾
県央産きゅうりほどには
シャキッとしてなかったりします
どうもすいません。
わたしは珍鉾
南部富士 南部鉄瓶 南部塗
ほまれもたかきわがりそう……
どうもすいません。
わたしは珍鉾
岩泉マツタケにもにてますが
かいめんどうぶつのなかまです
どうもすいません。
わたしは珍鉾
三陸の黒ナマコもするように
いったんかんきゅうあれば……
どうもすいません。
わたしは珍鉾
いろんなことがありましたっけ
あんなことこんなこと
どうもすいません。
わたしは珍鉾
わたしをあがめないでください
かつがないでください(神社とかで)
それほどのもんじゃありません。
※『名詩、産ス名』より。
でっぱってます(僭越ながら)
ぶらぶらしてます
どうもすいません。
わたしは珍鉾
県央産きゅうりほどには
シャキッとしてなかったりします
どうもすいません。
わたしは珍鉾
南部富士 南部鉄瓶 南部塗
ほまれもたかきわがりそう……
どうもすいません。
わたしは珍鉾
岩泉マツタケにもにてますが
かいめんどうぶつのなかまです
どうもすいません。
わたしは珍鉾
三陸の黒ナマコもするように
いったんかんきゅうあれば……
どうもすいません。
わたしは珍鉾
いろんなことがありましたっけ
あんなことこんなこと
どうもすいません。
わたしは珍鉾
わたしをあがめないでください
かつがないでください(神社とかで)
それほどのもんじゃありません。
※『名詩、産ス名』より。
2010年2月19日金曜日
安里健(ミゲル)「サブロー烈士」
2004年7月7日
一橋大学という田舎の総合大学構内で
石魔羅障子破り狼生きろ豚は死ね万年太陽族恥無多漏
略称イシマラチンタローという政治化した三文文士が
ふんぞり返って納まりきったクルマのボディーが
サブロー烈士による怒りのキックによってボコボコにされた。
サブロー烈士は心優しい漢(おとこ)であった。
私なら石魔羅軍団のように
高級車を惜しみなく転覆炎上させたのち
石魔羅の丸焼きを豚のエサに供したであろう。
サブロー烈士は心優しい漢であった。
チンタローのタマはとらずに肝を抜いた。
私ならどちらも抜いて豚のエサに供したであろう。
打ってくれといわんばかりに投げられたタマを打つだけで
なんおく円ももらっている野球小僧イチローよりも
討つべきタマを討ってなんおく円ももらっていない
サブロー烈士ははるかに偉大で貧乏である。
サブロー烈士を人民の力で奪還しよう!
(カンパ振込先の口座番号●●●●●-●-●●●●●● 名義人氏名)
◆究極Q太郎編集『ダモ』6号(2004年8月刊)所収。
この詩は石原都政の直接の被害を受けて生活に窮迫したサブローさんという障害をもつ男性が、石原慎太郎が乗った黒塗りのハイヤーのドアに蹴りを入れただけで逮捕され、不当に長期拘留されるという事件があった際に書かれたものです。ちょうどこのころは立川反戦ビラ弾圧事件など公権力による不当な弾圧が頻発していた時期で、シンポジウムの会場などでサブローさんの救援運動も呼びかけられ、僕も少額ながらカンパをさせていただいたことを思い出します。石原に蹴りを入れたくても妄想の中で蹴るしかなかった僕ら小市民に代わって、ほんとに蹴りを入れてくれたわけですから。
サブローさんはお元気なのでしょうか。
安里健(ミゲル)「私の履歴書」
氏名
うんこ
生年月日
うんこ
現住所
うんこ
電話番号
うんこ(うんこ)うんこ
学歴
うんこ
職歴
一貫してうんこ畑を歩んできた。
免許
うんこ
資格
うんこ
得意な学科
うんこ
特技
うんこ
スポーツ
うんこ
趣味
うんこ
志望の動機
うんこ
希望条件等
うんこ
家族
うんこ
以上
◆安里健(徳田ミゲル・最近は安里ミゲル名義で詩を発表)『詩的唯物論神髄』(2002年,スペース加耶)所収。ミゲルさんは1969年、沖縄系ペルー人二世として東京に生まれました。1989年、「三面記事」で第21回新日本文学賞を受賞し、その後はだめ連の周辺でミニコミ活動をされてきた詩人です。河出書房新社の『だめ!』(1999年)では「ビッグマン(神長恒一さん)のだめ日記」の9月25日(金)の記事に登場しています。
ミゲルさんの存在を知ったのはもう五年くらい前になりますが、尊敬する究極Q太郎さんが主催する同人誌『ダモ』6号に掲載されていた「サブロー烈士」 という詩でした。以来、すっかりファンになったというわけです。
いやあ、それにしても詩「私の履歴書」は何度でも声に出して読みたくなる名作ですね。
この詩については『PACE』5号でユニオンぼちぼちの橋口昌治氏が優れた評論を書いているので、知っている方も少なからずいらっしゃるかと思います。
さて、そのミゲルさんは最新詩集『名詩、産ス名』(0番)をお出しになられました。ご注文方法については「0番の詩集」http://reybans.exblog.jp/ まで。
2010年2月15日月曜日
アラン・レネ『恋するシャンソン(みんなその歌を知っている)』上映会
昨日はJR奈良駅近くのスタジオ・ワルハラで開催された、アラン・レネ監督の1997年の映画『恋するシャンソン』の上映会に行ってきました。主催は奈良日仏協会シネクラブ。
この映画はベルナール・スティグレールが『象徴の貧困1』(メランベルジェ夫妻訳,2006年,新評論)で第2章をまるまる全部使って詳細に分析していたので、ぜひ観たいと思っていたものでした。
スティグレールはテクノロジーの進化が人間の知覚に及ぼす様々な影響について研究している哲学者ですが、『象徴の貧困』では、知的な生の成果(概念、思想、知識など)と感覚的な生の成果(芸術、熟練、風俗)の双方をシンボル(象徴)と呼び、この象徴を生みだす力(意味を生みだす力)がテクノロジーに全面的に支配された社会(ハイパーインダストリアル社会)によって脅かされ、人が〈共にある〉という実感をもてなくなってしまっていることを詳細に論じています。そしてスティグレールはレネのこの映画がその問題を考える上で、非常に重要な作品だとして読み解いていくわけですが、とても面白い映画なのでネタはバラしません(あしからず)。
とにかく、集まった人々が気さくで個性的だったので素晴らしく楽しい交流を満喫した一日でした。そして、奈良でこんなにフランス語が飛び交う場所があったことが心地よい驚きでした。 フランス語を勉強したい!というモチベーションは一気に上昇。
さて、ナビゲーター役のピエール・シルヴェストリさん(35歳)は、学生時代に哲学を専攻し、なんとドゥルーズに師事していたとのことでした。ガタリとも3回会ったことがあると。ドゥルーズが投身自殺する直前の1年間、つまりドゥルーズのもとで学んだ最後の学生だったわけです。当時のドゥルーズの講義テーマは『シネマ』だった、とか肺病が相当悪化していた時期だったのでずっとゲホゲホ苦しそうだったとか、とにかくいいおじいちゃんだった、とかドゥルーズ晩年のエピソードを聴けた貴重な機会でした。
そのピエールさん、今はポリティカルな映画を制作しているそうです。
彼は年齢も近いし、趣味や志向も合うので、これから一緒に遊ぶ機会が増えそうです。近々オカバーにつれていきますので、その時は交流を楽しみましょう!(日本語はとても上手なので、心配ご無用です)
会場のワルハラは地下組織のアジトのような雰囲気。 存在自体が面白すぎ。
ナビゲーター役のピエール・シルヴェストリさん(右)。
この映画はベルナール・スティグレールが『象徴の貧困1』(メランベルジェ夫妻訳,2006年,新評論)で第2章をまるまる全部使って詳細に分析していたので、ぜひ観たいと思っていたものでした。
スティグレールはテクノロジーの進化が人間の知覚に及ぼす様々な影響について研究している哲学者ですが、『象徴の貧困』では、知的な生の成果(概念、思想、知識など)と感覚的な生の成果(芸術、熟練、風俗)の双方をシンボル(象徴)と呼び、この象徴を生みだす力(意味を生みだす力)がテクノロジーに全面的に支配された社会(ハイパーインダストリアル社会)によって脅かされ、人が〈共にある〉という実感をもてなくなってしまっていることを詳細に論じています。そしてスティグレールはレネのこの映画がその問題を考える上で、非常に重要な作品だとして読み解いていくわけですが、とても面白い映画なのでネタはバラしません(あしからず)。
とにかく、集まった人々が気さくで個性的だったので素晴らしく楽しい交流を満喫した一日でした。そして、奈良でこんなにフランス語が飛び交う場所があったことが心地よい驚きでした。 フランス語を勉強したい!というモチベーションは一気に上昇。
さて、ナビゲーター役のピエール・シルヴェストリさん(35歳)は、学生時代に哲学を専攻し、なんとドゥルーズに師事していたとのことでした。ガタリとも3回会ったことがあると。ドゥルーズが投身自殺する直前の1年間、つまりドゥルーズのもとで学んだ最後の学生だったわけです。当時のドゥルーズの講義テーマは『シネマ』だった、とか肺病が相当悪化していた時期だったのでずっとゲホゲホ苦しそうだったとか、とにかくいいおじいちゃんだった、とかドゥルーズ晩年のエピソードを聴けた貴重な機会でした。
そのピエールさん、今はポリティカルな映画を制作しているそうです。
彼は年齢も近いし、趣味や志向も合うので、これから一緒に遊ぶ機会が増えそうです。近々オカバーにつれていきますので、その時は交流を楽しみましょう!(日本語はとても上手なので、心配ご無用です)
会場のワルハラは地下組織のアジトのような雰囲気。 存在自体が面白すぎ。
ナビゲーター役のピエール・シルヴェストリさん(右)。
2010年2月13日土曜日
アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』より
激しい不安のなかで、私自身のかけがえのない生の鼓動と熱を感じることは、そして、存在しようと意思する力としてのその生にしがみつくことは、私の足下にある大地の支えを感じることであり、私だけのために定められた可能性を大地が支えていると感じとることである。というのは、この、他の誰のものでもない生の力が生それ自体とかかわる際の不安は、私の生を可能にした世界がその生の力だけのために定めた可能性をもっているという確信においてのみ可能となるからだ。自分の脳の、他の誰のものでもない回路に組み込まれている力への関心は、全世界のなかには、自分の脳以外には結びつくことのない問題があり、それが自分の脳を待っているのだという確信においてのみ可能となる。自分の感受性のなかにだけある力、他の誰にもできないように愛し、笑い、涙を流す力への関心は、世界中の裏道や小路に、自分のキスと抱擁を待っている人びとがいるという確信、そして、自分の笑いと涙を待ち望んでいる湿地や沙漠があるという確信においてのみ可能となるのである。
アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』(野谷啓二訳、2006年、洛北出版)
アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』(野谷啓二訳、2006年、洛北出版)
2010年2月12日金曜日
現代アート作家・重本晋平さんと「まちくさ」
最近、重本晋平(しげもとしんぺい)さんという現代アート作家と知り合いました。2009年12月に築港の海岸通りギャラリーCASOで開催された、奈良アートプロムのプレ展覧会がきっかけでした。また、先日京都の元立誠小学校で開催された平展というグループ展にも参加されていました。
重本さんは町のいたるところに生えている草(いわゆる雑草)に注目します。私たちの誰もが普段生活を営む中で毎日目にしていながら、気に掛けることなどほとんどない、名もない草に独自の名前を付け、分類し、そしてそれを地図の上に記録して分布図を作成。「まちくさ」とはそうして名付けられた草たちの総称です。
たとえば放置された自転車を飲み込む草を「ものくい科」という科に分類したり、コンクリート上に穿たれたポールを差し込む穴(?)に溜まった土に生える草には「あなくさ科」というように、町で目にした面白い草、個性的な草に名前を付けるのです。
誰もその名前を知らないもの、あるいは誰かが一方的に名付けたものに対し、自らの意思で名付け、名付け直すという行為によって、それらを自分のものにし、まちの地図を活き活きとしたものに描き直すという、自己と世界との関係を再構築する実践だといえるでしょう。そのようにいうと、ジャック・デリダやフェリックス・ガタリの思想を想起する人もいるでしょうが、今僕が読んでいるジャック・ランシエール『感性的なもののパルタージュ』に引きつけていうと、「まちくさ」というフィクションを、既存のフィクションとしての和名・学名・雑草というものに対立させること、あるいは既存の現実に対して、「まちくさ」という別の現実を対立させることで、逆説的に対立の図式の外側へと私たちの認識を導き、そして人が町に対して取り得る関係を創造的に組み替えていく実践であると解釈できそうです。
しかし決してそれだけにはとどまらない、未知の可能性を秘めていることは強調しておきたいと思います。
重本さんは赤瀬川原平らの路上観察学会の系譜上に、とりあえずは位置づけられると思いますが、より思想的に進化した感じがします。現在、私たちが暮らす都市空間は過剰な監視と管理によってますます息苦しく住みにくいものになっているわけですが、作家ご本人も現実に都市で起こっていることについての鋭い問題意識をお持ちでした。
そういった意味で極めて政治的な芸術ですが、彼は政治と美学を区別・分離しようとする、昔からある陳腐な図式の虚構性をよく理解しているように思えました。
(例えば「政治と芸術は別だ」「芸術から政治を切り離さねばならない」という言説それ自体がドグマであり、そもそも政治的であることから免れ得ないということ。大切なのはその〈政治的であること〉が政党やイデオロギーといった予定調和的なものに回収されていないことです。→この問題はまた稿を改めて論じます)
重本さんの芸術を強いてジャンル分けするなら主に写真とインスタレーションということになるのでしょうが、展示されたものだけが作品というのではなく、草と出会い名付ける行為そのものが芸術であり、むしろ展示された作品はその記録といった感じでしょうか。あるいは、展示それ自体もまた他者との巻き込まれのなかで生成する芸術である、ともいえそうです。
いずれにせよ、分類という方法を採用しつつも、ジャンル分けなどという既存の分類体系を拒絶している、そこからして大変ラディカルな芸術実践だと思いました。
先日の平展で展示された新作のまちくさファイルでは、一枚一枚のカードに写真と「集団目」「生息地」「特徴」などが記載されていましたが、それらは紛れもなく詩でした(殊に「特徴」として書かれた一、二行の言葉は詩そのもの)。
そこには、草をみる眼差しのやさしさ、ひいては世界への愛が感じられます。そして、はかなく小さき者たちだけがもつ勁さへの、揺るぎない信頼があります。
重本さんの今後から目が離せません。
重本晋平さんのブログ「まちくさ日記」
http://machikusa.exblog.jp/
重本さんは町のいたるところに生えている草(いわゆる雑草)に注目します。私たちの誰もが普段生活を営む中で毎日目にしていながら、気に掛けることなどほとんどない、名もない草に独自の名前を付け、分類し、そしてそれを地図の上に記録して分布図を作成。「まちくさ」とはそうして名付けられた草たちの総称です。
たとえば放置された自転車を飲み込む草を「ものくい科」という科に分類したり、コンクリート上に穿たれたポールを差し込む穴(?)に溜まった土に生える草には「あなくさ科」というように、町で目にした面白い草、個性的な草に名前を付けるのです。
誰もその名前を知らないもの、あるいは誰かが一方的に名付けたものに対し、自らの意思で名付け、名付け直すという行為によって、それらを自分のものにし、まちの地図を活き活きとしたものに描き直すという、自己と世界との関係を再構築する実践だといえるでしょう。そのようにいうと、ジャック・デリダやフェリックス・ガタリの思想を想起する人もいるでしょうが、今僕が読んでいるジャック・ランシエール『感性的なもののパルタージュ』に引きつけていうと、「まちくさ」というフィクションを、既存のフィクションとしての和名・学名・雑草というものに対立させること、あるいは既存の現実に対して、「まちくさ」という別の現実を対立させることで、逆説的に対立の図式の外側へと私たちの認識を導き、そして人が町に対して取り得る関係を創造的に組み替えていく実践であると解釈できそうです。
しかし決してそれだけにはとどまらない、未知の可能性を秘めていることは強調しておきたいと思います。
重本さんは赤瀬川原平らの路上観察学会の系譜上に、とりあえずは位置づけられると思いますが、より思想的に進化した感じがします。現在、私たちが暮らす都市空間は過剰な監視と管理によってますます息苦しく住みにくいものになっているわけですが、作家ご本人も現実に都市で起こっていることについての鋭い問題意識をお持ちでした。
そういった意味で極めて政治的な芸術ですが、彼は政治と美学を区別・分離しようとする、昔からある陳腐な図式の虚構性をよく理解しているように思えました。
(例えば「政治と芸術は別だ」「芸術から政治を切り離さねばならない」という言説それ自体がドグマであり、そもそも政治的であることから免れ得ないということ。大切なのはその〈政治的であること〉が政党やイデオロギーといった予定調和的なものに回収されていないことです。→この問題はまた稿を改めて論じます)
重本さんの芸術を強いてジャンル分けするなら主に写真とインスタレーションということになるのでしょうが、展示されたものだけが作品というのではなく、草と出会い名付ける行為そのものが芸術であり、むしろ展示された作品はその記録といった感じでしょうか。あるいは、展示それ自体もまた他者との巻き込まれのなかで生成する芸術である、ともいえそうです。
いずれにせよ、分類という方法を採用しつつも、ジャンル分けなどという既存の分類体系を拒絶している、そこからして大変ラディカルな芸術実践だと思いました。
先日の平展で展示された新作のまちくさファイルでは、一枚一枚のカードに写真と「集団目」「生息地」「特徴」などが記載されていましたが、それらは紛れもなく詩でした(殊に「特徴」として書かれた一、二行の言葉は詩そのもの)。
そこには、草をみる眼差しのやさしさ、ひいては世界への愛が感じられます。そして、はかなく小さき者たちだけがもつ勁さへの、揺るぎない信頼があります。
重本さんの今後から目が離せません。
重本晋平さんのブログ「まちくさ日記」
http://machikusa.exblog.jp/
2010年2月11日木曜日
松本哉「祭りと騒ぎを起こすために」(webちくま)
詩誌『紫陽』に登場して詩壇を震撼(?)させたり、一緒に物騒なコトして遊んだりする同志・松本哉さんのweb上の短期連載「祭りと騒ぎを起こすために」が先日の第四回で終了しました。とっても面白いのでまだ読んでない方はぜひ覗いてみて下さい。
因みに連載第一回「とんでもない連中だらけの西日本ツアー」では2008年8月14日の奈良騒動の話題があるのですが、これ、僕がホスト役でした(写真もでてます)。
松本さんの連載といえば、マガジン9条松本哉の「のびのび大作戦」もおすすめです。
因みに連載第一回「とんでもない連中だらけの西日本ツアー」では2008年8月14日の奈良騒動の話題があるのですが、これ、僕がホスト役でした(写真もでてます)。
松本さんの連載といえば、マガジン9条松本哉の「のびのび大作戦」もおすすめです。
2010年2月9日火曜日
2010年2月8日月曜日
尹東柱の詩 2篇 (金時鐘訳)
自画像
麓の隅(すみ)を廻り ひそまった田のかたわらの 井戸をひとり訪ねては
そおっと覗いて見ます。
井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
青い風が吹いて 秋があります。
そしてひとりの 男がいます。
どうしてかその男が憎くなり 帰っていきます。
帰りながら考えると その男が哀れになります。
引き返して覗くと その男はそのままいます。
またもやその男が憎くなり 帰っていきます。
道すがら考えると その男がいとおしくなります。
井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
青い風が吹いて 秋があって
追憶のように 男がいます。
(1939.9)
肝
海辺の陽射し照りつく岩場に
湿った肝をひろげて干そう、
コーカサスの山中より逃げてきた兎のように
ぐるりをくるくる廻って肝を守ろう、
ぼくが長く飼っていた痩せた鷲よ!
きて食い漁れ、思いあぐむな
お前は太り
ぼくは痩せねばならない、だが
亀よ!
またとは竜宮の誘惑に落ちたりはすまい。
プロメテウス 哀れなプロメテウス
火を盗んだ咎で挽き臼を吊るされ
果てしなく沈殿する プロメテウス、
(1941.11.29)
※いずれも金時鐘訳『尹東柱詩集 空と風と星と詩』(2004,もず工房)より。
2010年2月7日日曜日
第1回「尹東柱を生きる会」
今日は河津聖恵さんらが主催する「尹東柱(ユン・ドンジュ)を生きる会」に参加しました。東柱が通っていた同志社大学からほど近いBe京都という町屋フリースペースでの、朗読と講演によるとても温かな集いでした。
もうすぐ(2/16)東柱の命日で、今年は日帝による韓国併合(植民地化)から100年。沈思すべきことがいろいろと浮かんできます。
宋友恵『尹東柱評伝』の訳者・愛沢革さんの講演。スライドは尹東柱の生家(現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州)。
金時鐘さん。この後、尹東柱「自画像」を朗読されました。
もうすぐ(2/16)東柱の命日で、今年は日帝による韓国併合(植民地化)から100年。沈思すべきことがいろいろと浮かんできます。
チマチョゴリを着た河津さん
宋友恵『尹東柱評伝』の訳者・愛沢革さんの講演。スライドは尹東柱の生家(現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州)。
尹東柱の詩「肝」を読む竹村正人くん。
金時鐘さん。この後、尹東柱「自画像」を朗読されました。
◆尹東柱(ユン・ドンジュ):詩人。1917年12月30日、朝鮮から豆満江を越えてきた移住民三世として北間島(中国吉林省延辺朝鮮族自治州)の明東村に生まれる。1936年頃から雑誌に詩を発表。1942年日本に渡り、立教大学に入学。その後、同志社大学に転学し、在学中の1943年治安維持法違反(独立運動の嫌疑)で逮捕され、1945年2月16日、福岡刑務所で獄死。
・宋友恵『空と風と星の詩人 尹東柱評伝』(愛沢革訳,2009年,藤原書店) ・金時鐘訳『尹東柱詩集 空と風と星と詩』(2004年,もず工房)
2010年2月6日土曜日
西山雄二監督『哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡』上映会
今日は、西山雄二監督のドキュメンタリー映画、『哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡』の上映会に行ってきました。会場は洛北出版のすぐ裏手、京大農学部総合館の一室。
国際哲学コレージュとはジャック・デリダが中心になって1983年にパリで創設された研究教育機関で、教師は無給、受講も無料、その代わり試験も単位も論文提出の義務もなければ学位授与もありません(素晴らしい!)。無条件性をどこまでも追求するというのが理念なのでしょう。映画はそのコレージュで教育研究に関わったミッシェル・ドゥギーやカトリーヌ・マラブーら7人のインタビューだけで構成された、それでいてとても美しいものでした。
映画の最後に、西山雄二監督がインタビュー後に7人それぞれと握手をする美しい映像が流れるのですが、僕はそのシーンからエンドロールが流れ幕を閉じるまでの間ずっとよろこびで顔がほころびっぱなしでした。映画や舞台芸術などを見るといつもそれを同じ場所で一緒に見ている多くの観客一人ひとりの表情をのぞき込む趣味がある僕は、また例によって会場を見回してみました。笑顔で見ている人はどれくらいいるだろうか、と。意外とみんな難しい表情をしていて、終わり間際ににこやかな表情になった人が数人いたくらいでした(ここが京大だったからかな?素人の乱12号店「地下大学」での上映会ではもっと沢山の人が笑ってたんじゃないか?)。
たぶん、僕の表情がほころんだのはこの映画は詩なのだと思ったからでしょう(こう言えばなんでも何か言った気になるものですが、そうとしか言いようがなかったのは事実)。上映後の討論で、ゲストの廣瀬純さんが「この映画はデリダの本(『哲学への権利について』→西山監督がただ今翻訳中)を原作に、それを西山がシナリオにして7人の登場人物にセリフを割り振ったような映画だ」「コレージュはデリダのテクストを原作にした学校」と言った時に、すとんと胸に落ちました。
つまり、これは現実のコレージュの姿をそのままドキュメントしたものではなく(講義風景などコレージュの映像は一切なし)、監督が質問項目を予め用意し、関係者が理念を語った映像を編集した映画なのでした(映画の作り方としてはよくあるものです)。
廣瀬さんはこうも言ってました。「コレージュの創設はデリダにとってとんでもない賭けだった。言葉に肉を与えることに対して人類60億の中で最も警戒心の強い男が、脱構築の場を制度として構築するなどという訳の分からない企てをしでかした。」「言葉が肉をまとわねばならぬ時に、身にまとわりつく汚らわしいもの、肉のノイズ、そういったものがこの映画には映っていない。だけどそのことがこの映画の力強さだ」と。
廣瀬さんとお会いするのは2008年6月に京都三条の「ラジオ・カフェ」で催された、マウリツィオ・ラッツァラートを囲んでの小さな集いでラッつぁんとの通訳をしていただいて以来でしたが、今日もその溢れ出るユーモアに大いに触発されました。 そして、フロアからつまらない質問をするアカデミシャン(らしき人々)にも誠実に受け答えをする西山監督の人柄に魅了されたひと時でした。
そんなわけで今日は朝から哲学三昧・・・。
今後の上映予定については、「哲学への権利」公式HPをご覧下さい。
→ http://rightphilo.blog112.fc2.com/
上映会には行けそうにないけど、国際哲学コレージュの理念に興味があるって人は、ジャック・デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社)をどうぞ(僕はまだ読んでない)。
国際哲学コレージュとはジャック・デリダが中心になって1983年にパリで創設された研究教育機関で、教師は無給、受講も無料、その代わり試験も単位も論文提出の義務もなければ学位授与もありません(素晴らしい!)。無条件性をどこまでも追求するというのが理念なのでしょう。映画はそのコレージュで教育研究に関わったミッシェル・ドゥギーやカトリーヌ・マラブーら7人のインタビューだけで構成された、それでいてとても美しいものでした。
映画の最後に、西山雄二監督がインタビュー後に7人それぞれと握手をする美しい映像が流れるのですが、僕はそのシーンからエンドロールが流れ幕を閉じるまでの間ずっとよろこびで顔がほころびっぱなしでした。映画や舞台芸術などを見るといつもそれを同じ場所で一緒に見ている多くの観客一人ひとりの表情をのぞき込む趣味がある僕は、また例によって会場を見回してみました。笑顔で見ている人はどれくらいいるだろうか、と。意外とみんな難しい表情をしていて、終わり間際ににこやかな表情になった人が数人いたくらいでした(ここが京大だったからかな?素人の乱12号店「地下大学」での上映会ではもっと沢山の人が笑ってたんじゃないか?)。
たぶん、僕の表情がほころんだのはこの映画は詩なのだと思ったからでしょう(こう言えばなんでも何か言った気になるものですが、そうとしか言いようがなかったのは事実)。上映後の討論で、ゲストの廣瀬純さんが「この映画はデリダの本(『哲学への権利について』→西山監督がただ今翻訳中)を原作に、それを西山がシナリオにして7人の登場人物にセリフを割り振ったような映画だ」「コレージュはデリダのテクストを原作にした学校」と言った時に、すとんと胸に落ちました。
つまり、これは現実のコレージュの姿をそのままドキュメントしたものではなく(講義風景などコレージュの映像は一切なし)、監督が質問項目を予め用意し、関係者が理念を語った映像を編集した映画なのでした(映画の作り方としてはよくあるものです)。
廣瀬さんはこうも言ってました。「コレージュの創設はデリダにとってとんでもない賭けだった。言葉に肉を与えることに対して人類60億の中で最も警戒心の強い男が、脱構築の場を制度として構築するなどという訳の分からない企てをしでかした。」「言葉が肉をまとわねばならぬ時に、身にまとわりつく汚らわしいもの、肉のノイズ、そういったものがこの映画には映っていない。だけどそのことがこの映画の力強さだ」と。
廣瀬さんとお会いするのは2008年6月に京都三条の「ラジオ・カフェ」で催された、マウリツィオ・ラッツァラートを囲んでの小さな集いでラッつぁんとの通訳をしていただいて以来でしたが、今日もその溢れ出るユーモアに大いに触発されました。 そして、フロアからつまらない質問をするアカデミシャン(らしき人々)にも誠実に受け答えをする西山監督の人柄に魅了されたひと時でした。
そんなわけで今日は朝から哲学三昧・・・。
今後の上映予定については、「哲学への権利」公式HPをご覧下さい。
→ http://rightphilo.blog112.fc2.com/
上映会には行けそうにないけど、国際哲学コレージュの理念に興味があるって人は、ジャック・デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社)をどうぞ(僕はまだ読んでない)。
2010年2月5日金曜日
竹村正人「考察 その壱 ―なみちゃんに」
うんこは
幼児語であり
「うん」はいきむ音
「こ」は接尾語である
うんこは
ひらがなであり
うんこには漢字がない
しかし
「ふん」といきむことも
あるのだから
糞という字を
「うんこ」と読んでも
よいはずだ
すると
糞(うんこ)という字が
米と異(ことなる)という字から
なっていることが
わかる
語源は兎も角
同じ米を食っても
出るものが異なるから
米に異(ことなる)と
書くのだろう
しかし
なぜ異なるのか
全く同じものを食べても
なぜ出るものが異なるのか
それは
食べ物が口から入って
肛門から出るまでの
過程が異なるからだ
だとすれば
糞(うんこ)という名詞は
たとえ場を動かぬ時でも
常に
同じものが異なっていく動態的な過程を
表現していることになる
ひらがなでは届かない
米が異なるという
漢字を通して
甫(はじ)めて
糞(うんこ)の潜在的な速さを
體で撼じることができる
口から肛門までを
駆け抜ける時の速さを
〈存在すること〉は
〈異なること〉である
という
ガブリエル・タルドの
命題に遵えば
糞(うんこ)は
存在することの
過程そのものを
内在した名詞であることが
わかる
それなのに
否
だからこそ
か
糞(うんこ)は生まれ落ちてすぐに
抹殺される
誰もその名を
呼ぶことなく
誰からもその名を呼ばれることなく
糞(うんこ)は
無菌世界から追放される
われわれは
毎日でなくとも
ちょくちょく
われわれが
存在することの
ぷりミティブな証明を
産み落としているのに
存在の耐え難き黒さ
耐え難き臭さを
手にしていると
いうのに
おそらく
生きづらさの
理由はここにある
糞(うんこ)が
軽視される時
存在もまた
軽視されるのだと
近頃
便秘気味のわたしは
痛感している
※『紫陽』20号(2010年1月)より
→『紫陽』についてのお問い合わせは frieden22@hotmail.com まで。
うんこ詩人・竹村正人(1984年-)は詩誌『紫陽』創刊当初からの全面的な協力者であり、独自に様々な自律空間を創造・触発し、それらを自在に横断しながら人と場所と人とを結び合う、関西オルタ界のキーマンである。彼の実践的な場に根ざしたラディカリズムと脱力系のキャラは、アカデミックな言説が覇権を握るあらゆる批評空間を揺さぶる力に満ちあふれており、この新たなストリートの思想家に注目する知識人は少なくない。現在はオカバー(素人の乱京都店)スタッフ、『PACE(パーチェ)』編集長、『ツェルノヴィツ通信』共同編集人。
幼児語であり
「うん」はいきむ音
「こ」は接尾語である
うんこは
ひらがなであり
うんこには漢字がない
しかし
「ふん」といきむことも
あるのだから
糞という字を
「うんこ」と読んでも
よいはずだ
すると
糞(うんこ)という字が
米と異(ことなる)という字から
なっていることが
わかる
語源は兎も角
同じ米を食っても
出るものが異なるから
米に異(ことなる)と
書くのだろう
しかし
なぜ異なるのか
全く同じものを食べても
なぜ出るものが異なるのか
それは
食べ物が口から入って
肛門から出るまでの
過程が異なるからだ
だとすれば
糞(うんこ)という名詞は
たとえ場を動かぬ時でも
常に
同じものが異なっていく動態的な過程を
表現していることになる
ひらがなでは届かない
米が異なるという
漢字を通して
甫(はじ)めて
糞(うんこ)の潜在的な速さを
體で撼じることができる
口から肛門までを
駆け抜ける時の速さを
〈存在すること〉は
〈異なること〉である
という
ガブリエル・タルドの
命題に遵えば
糞(うんこ)は
存在することの
過程そのものを
内在した名詞であることが
わかる
それなのに
否
だからこそ
か
糞(うんこ)は生まれ落ちてすぐに
抹殺される
誰もその名を
呼ぶことなく
誰からもその名を呼ばれることなく
糞(うんこ)は
無菌世界から追放される
われわれは
毎日でなくとも
ちょくちょく
われわれが
存在することの
ぷりミティブな証明を
産み落としているのに
存在の耐え難き黒さ
耐え難き臭さを
手にしていると
いうのに
おそらく
生きづらさの
理由はここにある
糞(うんこ)が
軽視される時
存在もまた
軽視されるのだと
近頃
便秘気味のわたしは
痛感している
※『紫陽』20号(2010年1月)より
→『紫陽』についてのお問い合わせは frieden22@hotmail.com まで。
うんこ詩人・竹村正人(1984年-)は詩誌『紫陽』創刊当初からの全面的な協力者であり、独自に様々な自律空間を創造・触発し、それらを自在に横断しながら人と場所と人とを結び合う、関西オルタ界のキーマンである。彼の実践的な場に根ざしたラディカリズムと脱力系のキャラは、アカデミックな言説が覇権を握るあらゆる批評空間を揺さぶる力に満ちあふれており、この新たなストリートの思想家に注目する知識人は少なくない。現在はオカバー(素人の乱京都店)スタッフ、『PACE(パーチェ)』編集長、『ツェルノヴィツ通信』共同編集人。
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