2010年2月13日土曜日

アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』より

激しい不安のなかで、私自身のかけがえのない生の鼓動と熱を感じることは、そして、存在しようと意思する力としてのその生にしがみつくことは、私の足下にある大地の支えを感じることであり、私だけのために定められた可能性を大地が支えていると感じとることである。というのは、この、他の誰のものでもない生の力が生それ自体とかかわる際の不安は、私の生を可能にした世界がその生の力だけのために定めた可能性をもっているという確信においてのみ可能となるからだ。自分の脳の、他の誰のものでもない回路に組み込まれている力への関心は、全世界のなかには、自分の脳以外には結びつくことのない問題があり、それが自分の脳を待っているのだという確信においてのみ可能となる。自分の感受性のなかにだけある力、他の誰にもできないように愛し、笑い、涙を流す力への関心は、世界中の裏道や小路に、自分のキスと抱擁を待っている人びとがいるという確信、そして、自分の笑いと涙を待ち望んでいる湿地や沙漠があるという確信においてのみ可能となるのである。


アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』(野谷啓二訳、2006年、洛北出版)

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