2010年2月6日土曜日

西山雄二監督『哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡』上映会

今日は、西山雄二監督のドキュメンタリー映画、『哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡』の上映会に行ってきました。会場は洛北出版のすぐ裏手、京大農学部総合館の一室。

国際哲学コレージュとはジャック・デリダが中心になって1983年にパリで創設された研究教育機関で、教師は無給、受講も無料、その代わり試験も単位も論文提出の義務もなければ学位授与もありません(素晴らしい!)。無条件性をどこまでも追求するというのが理念なのでしょう。映画はそのコレージュで教育研究に関わったミッシェル・ドゥギーやカトリーヌ・マラブーら7人のインタビューだけで構成された、それでいてとても美しいものでした。

映画の最後に、西山雄二監督がインタビュー後に7人それぞれと握手をする美しい映像が流れるのですが、僕はそのシーンからエンドロールが流れ幕を閉じるまでの間ずっとよろこびで顔がほころびっぱなしでした。映画や舞台芸術などを見るといつもそれを同じ場所で一緒に見ている多くの観客一人ひとりの表情をのぞき込む趣味がある僕は、また例によって会場を見回してみました。笑顔で見ている人はどれくらいいるだろうか、と。意外とみんな難しい表情をしていて、終わり間際ににこやかな表情になった人が数人いたくらいでした(ここが京大だったからかな?素人の乱12号店「地下大学」での上映会ではもっと沢山の人が笑ってたんじゃないか?)。
たぶん、僕の表情がほころんだのはこの映画は詩なのだと思ったからでしょう(こう言えばなんでも何か言った気になるものですが、そうとしか言いようがなかったのは事実)。上映後の討論で、ゲストの廣瀬純さんが「この映画はデリダの本(『哲学への権利について』→西山監督がただ今翻訳中)を原作に、それを西山がシナリオにして7人の登場人物にセリフを割り振ったような映画だ」「コレージュはデリダのテクストを原作にした学校」と言った時に、すとんと胸に落ちました。
つまり、これは現実のコレージュの姿をそのままドキュメントしたものではなく(講義風景などコレージュの映像は一切なし)、監督が質問項目を予め用意し、関係者が理念を語った映像を編集した映画なのでした(映画の作り方としてはよくあるものです)。
廣瀬さんはこうも言ってました。「コレージュの創設はデリダにとってとんでもない賭けだった。言葉に肉を与えることに対して人類60億の中で最も警戒心の強い男が、脱構築の場を制度として構築するなどという訳の分からない企てをしでかした。」「言葉が肉をまとわねばならぬ時に、身にまとわりつく汚らわしいもの、肉のノイズ、そういったものがこの映画には映っていない。だけどそのことがこの映画の力強さだ」と。

廣瀬さんとお会いするのは2008年6月に京都三条の「ラジオ・カフェ」で催された、マウリツィオ・ラッツァラートを囲んでの小さな集いでラッつぁんとの通訳をしていただいて以来でしたが、今日もその溢れ出るユーモアに大いに触発されました。 そして、フロアからつまらない質問をするアカデミシャン(らしき人々)にも誠実に受け答えをする西山監督の人柄に魅了されたひと時でした。

そんなわけで今日は朝から哲学三昧・・・。

今後の上映予定については、「哲学への権利」公式HPをご覧下さい。
→ http://rightphilo.blog112.fc2.com/

上映会には行けそうにないけど、国際哲学コレージュの理念に興味があるって人は、ジャック・デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社)をどうぞ(僕はまだ読んでない)。 

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