今日はかねてから心にひっかかっていたアーティスト、束芋(たばいも)の個展にいってきました。
国立国際美術館では同時に横尾忠則全ポスター展も開催されていたのですが、夜勤明けの頭では消化できるはずもないので420円だけ払って束芋だけに集中しました。
束芋は1975年生まれのいわゆるロスジェネ世代にあたりますが、彼女はみずからを含む1970年代生まれの世代を「団塊の世代」との対比で「断面の世代」と称し、集団よりも個を尊重する存在としての側面を一つの実体的存在として仮定します(そう、実はそれは側面でしかなくまた表現を展開するための仮設である)。そして、かかる個を断面として切り裂いたときに出現する二次元の影像を、アニメーションによって立体的に構成するという手法で表現するわけですが、個と社会、内面と外面、ミクロとマクロ、内在性と超越性、倫理と道徳、相対と絶対、などわれわれをとりまくあらゆる対極的な価値の間を自在に往還するイメージを提示します。
今回展示された六つの映像インスタレーションと吉田修一の新聞連載小説『惡人』の挿絵原画は、もう、こんな駄ブログで何を言っても贅言にしかならないほどの圧倒的な作品群ですが、けっして見る者の創造性をこけおどしのサブライムで圧倒し萎縮させるようなものではありません。
先日このブログで団地の話題を書いたので(なんてことはどうでもいいのですが)、団地をモチーフにした映像インスタレーション《団断》(2009年)に添えられた作家本人によるキャプションを紹介しましょう。
「団断 danDAN
団地を上から抉ったような空間構成。
団地はいくつかの棟から成り、それぞれの棟は多くの住居を抱え込む。そしてそれぞれの住居にはそれぞれの生活があり、現代社会では隣り合う部屋同士でもまったく交わらない人生が存在することもある。塊の中にありながら、個の尊重を重視し、尊重の表現として無関心を装う。実際に触れる距離に居ながら、情報を集積することで、その感触を想像して満足するような関係。
抉られた空間の断面から、直列に繋がれていく隣室と、並列する展開するストーリーを覗き込む。抉られた空間は、鑑賞者によって補完されることを目的としている。それは、今までの制作にも共通していたように、作品と鑑賞者との関係を成立させる。」(展覧会リーフレットより)
この「束芋 ~断面の世代」展は国立国際美術館にて9/12まで。
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