2011年1月20日木曜日

麻生三郎展 (京都国立近代美術館,ギャラリー鉄斎堂)

 今、池袋モンパルナスの画家・麻生三郎(1913-2000)の本格的な回顧展が京都国立近代美術館で開催されています。
愚かで罪深く、そして愛おしくもある人間という存在の根源を、徹底して見つめ続けた作家の実存的な画業を見渡す上で、またとない機会でした。

僕にとっては、愛すべき池袋モンパルナス※の愉快な仲間たちがどんな絵を描ていたのかがずっと関心事としてあったので、その主要人物の一人である麻生の作家人生を作品に沿ってなぞることができたのは大きなよろこびです。(※昭和戦前期に池袋にあった大規模なアトリエ村を中心に形成された芸術家たちのコミューン。詩人小熊秀雄が命名)

カバーが破れ背も折れてぼろぼろになるまで愛読している宇佐美承『池袋モンパルナス』(1995,集英社文庫・初版1990)から、麻生の人物像に関する記述を抜粋してみましょう。

「池袋モンパルナスの前衛たちは、律儀な吉井(忠)をのぞけば決して行儀がいいとはいえぬ者たちであった。なかのひとり麻生三郎は戦後に武蔵野美術大学教授になった人だが、かれこそいちばんの暴れん坊かもしれなかった。
麻生は美校の入学試験に落ちて太平洋美術学校に学んだのだが、しばしば酒で乱れた。酔えば奇声をあげて友だちのアトリエの戸を叩きつづけた。屋台をひっくり返したり、やくざにからんでピストルで脅されたり、懇親会で暴れて首をしめられ、気を失ったりしていた。舶来の画材が手に入りにくくなったころ、寺田政明からフランス製のペインティング・オイルを“どうじゃ、ほしいか”とこれみよがしにみせつけられて怒り心頭に発し、杖をふりまわして奪いとるや、やにわに地面にたたきつけて瓶を割ったこともあった。麻生は、どこへいくにもアルミニュームの弁当箱をふろ敷にまいて腰にくくりつけていた。かれは貧乏ゆすりの癖があったから、仲間といっしょに畑の大根を失敬するなど小さな悪事を働くとき、いつもその弁当箱がカタカタと音をたてて、みなをあわてさせた。
そんな麻生であっても、友はみなその絵に敬意を払っていた。物と事と人を凝視するこの人の絵には、描き手の精神の苦渋がにじみ出ていて人間臭く哲学的であった。
ただひとり江戸っ子だったことも、仲間から一目おかれる理由のひとつだった。(中略)東京の下町そだちがしばしばそうであるように、麻生もまたたいへんな照れ性であった。そのような人は道を求めているとき、あるいは求めてつまずいたとき、決してそれを口外せず、かわりに常軌を逸した行動にでるものである。いちどは喧嘩をせねば仲よくなれぬこともある。そうした麻生にある都会人の香りを、田舎からでてきた者たちは羨望するのだった。」(文庫版422~423頁)

面白いですね。

残念ながら、池袋モンパルナスに住んでいた1930年代~終戦前までの作品の大半は空襲で消失したため、その時期の作品で今回展示されていたものは少数でした。

麻生の回顧展が実現したのだから、寺田政明(小熊秀雄の親友で俳優・寺田農の父)の本格的な回顧展を企画するキュレーターがでてこないものか、と首を長くして待つことにします。

因みに寺田政明展は最近では2008年の夏に「新池袋モンパルナス・西口まちかど回遊美術館」の一環として東武百貨店で小規模なものが開催されたようですが行けませんでした。その2週間前に池袋モンパルナスのアトリエ村跡地をうんこ詩人とフィールドワークしたのに、タイミングが悪く・・・。

他に池袋モンパルナスゆかりの作家といえば、彫刻家・佐藤忠良の回顧展を世田谷美術館がやっていますが、関西にも巡回してくるので楽しみですね。うちの近所の駅前にも佐藤の作品が設置されているので、実はなじみ深い作家でもあるのです。





京都国立近代美術館「麻生三郎展」(2/20まで/2月に一部展示替えがあります)
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2010/384.html

また、新門前通東大路通を西に入ったところにあるギャラリー鉄斎堂でもこの企画に合わせて所蔵している麻生のデッサンとタブロー40点余りを展示しています(1970年代の作品が中心)。こちらもぜひ。




ギャラリー鉄斎堂(2/27まで)  
 http://www.tessaido.co.jp/


追記。河津聖恵さんがブログで素晴らしいレビューを書いています。
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/01/post-e75d.html

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