2011年2月13日日曜日

ランシエール『イメージの運命』より

何かを芸術として見るということ(中略)は、そこに同時に二つのものを見ることを意味します。同時に二つのものを見るということは、だまし絵や特殊効果の問題ではなく、形態を展示する表面と言葉を刻印する表面のあいだの関係の問題です。しかし、この記号と形態の新たな結び目――それは批評と呼ばれ、芸術の自律性の宣言と同時に生まれます――は、剥き出しの諸形態に意味を付け加える事後性の言説という単純なかたちで作用するのではなく、まず新しい可視性を構成することに取り組みます。新しい絵画とは、別の仕方で見るように訓練されたまなざし、表象の表面上で、絵画的なものが表象のもとに出現するのを見るように訓練されたまなざしに映じる絵画のことです。現象学の伝統とドゥルーズの哲学はとかく、表象のもとに現前を引き起こすという務めを芸術に与えます。しかし、現前とは、表象の意味作用に対置されるような、剥き出しの絵画的事物ではありません。現前と表象は、言葉と形態の二つの編み方の体制なのです。現前の諸々の「無媒介性」から成る可視性の体制は、その布置をやはり言葉の媒介によって定められるのです。


ジャック・ランシエール『イメージの運命』(堀潤之訳,2010,平凡社) 105頁~

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。